喫煙者を救え!


●やめられない理由

一般に、タバコをやめるのは難しいとされている。マーク・トウェインの「禁煙なんて簡単だ。私は何百回もやっている」というセリフは有名である。禁煙に失敗する理由について、一部の人は何とも恐ろしい誤解をしているらしい。タバコを吸うことによって得られる何かがあり、禁煙しようとしてもその「得られる何か」の誘惑に負けるからタバコをやめられない、という誤解である。これはとんでもない誤解だ。タバコをやめられないのは誘惑に負けるからではない。誘惑ではなく、「欲求」に負けるからである。体がタバコを欲しがる状態、この強い欲求、これこそが、タバコをやめることのできない本当の理由である。

この「体がタバコを欲しがる状態」という感覚を、喫煙習慣を持った経験のない方に理解してもらうのは難しいと思うが、それは同時に、それだけ誤解もされやすいということでもあるので、頑張って説明してみようと思う。

まず例として、「空腹」という状態を考えてみて欲しい。空腹とは「食事をしたい状態」である。空腹になると、腹部がなんとなく空虚な感じになり、臓器が音を発したりする。さらにそれを我慢していると、体力が落ち、全体的にやる気がなくなってくる。場合によっては体温が下がったりすることもある。

では次に「喉が渇いた」という状態を考えてみて欲しい。「喉が渇いた」とは「水分を飲みたい状態」である。自覚症状としては、喉のあたりが乾いたような感じになり、声を出しにくくなったりする。ちなみに、喉が渇いた状態というのは、普通は物理的に体が水分を欲している状態なのだが、まれに、心理的なことが原因で喉が渇くこともある。

さて、タバコである。喫煙者がタバコを何時間も吸わないと、「ニコチン渇望」という状態になる。「ニコチン渇望」は、「空腹」とか「喉が渇いた」とかと同様に、身体の状態の一つである。自覚症状は人によって若干違いがあるようであるが、私の場合で言うと「ニコチン渇望」になると、舌や軟口蓋に鉛が埋め込まれたかのように、口の奥の方が全体的に重い感じになり、口の中の空間がやたら狭く感じるようになる。他の感覚でこれに近いものを探すなら「喉が渇いた」が一番近いと言えるだろう。しかし、一番近いというだけで、やはり全然違うものである。私の場合の「ニコチン渇望」の自覚症状は、「空腹」と「喉が乾いた」の共通点を取り出して、強くしたような感じ、といったところである。

タバコを何時間も吸わないと、この「ニコチン渇望」の状態になり、タバコを吸いたくてたまらなくなる。ここで間違って欲しくないのだが、先ほど「舌や軟口蓋に鉛が埋め込まれた感じ」と書いたが、その不愉快な感じが吸いたい「理由」というわけではない。例えば、空腹の時は腹部に空虚感があるが、別に食べたい「理由」が腹部にあるわけではなく、あくまで空腹とは「全身の状態」であることはおわかりであろう。同様に、ニコチン渇望も全身の状態である。全身がニコチンを欲しがるのである。空腹の時に全身が食べ物を欲しくなるように、あるいは、喉が渇いたときに全身が水分を欲しくなるようにである。そこには理由や理屈はない。体の部位も関係ない。そこにあるのは「欲求」のみである。

タバコを吸いたいという欲求は、喫煙を中断して数時間で現れ、その後どんどん強くなる。3日程度でピークに達し、以降は下降を続けるものの、欲求はなかなかゼロにならない。その間のどこかの時点で禁煙者の精神力は限界に達し、タバコに火が付けられる。こうして禁煙は失敗する。おわかりだろうか。とても「誘惑」などというなまやさしい言葉で語れるものではないのである。

体内のニコチンが減ったときに「渇望」となる、これが「中毒」ということである。喫煙者はニコチン中毒であり、中毒だから渇望を感じ、渇望するから喫煙し、喫煙するから中毒状態が継続する。非喫煙者の中には、この「中毒」という実態を理解せず、喫煙者が自ら好んで喫煙を継続しているのだと誤解している人もいるようであるが、それは重大な誤りである。喫煙者は、中毒→渇望→喫煙→中毒という無限連鎖の奴隷になっているのである。


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岩城 保
iwaki@letre.co.jp