つれづれなる日々

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2004年10月の日々


10/31/2004(日)

きょうも1つ、仕事を終わらせ、メールで送る。あともう1つだけど、それも、めどが立った。帰国して1週間、がんばったかいがあった。

韓国語の勉強に俄然燃えている。いえの人には、「どうして、ソウルから帰ってきてから?」と言われた。たしかに、行く前に勉強するならわかるけどなぜ今?という感じがするんだと思う。でも、ソウルにいたときは、ボディーランゲージも英語も総動員してしゃべってたし、通訳の方もいてくれたし、韓国語しかできない人ともなんとか少しは話ができた。それが、帰ってきて、メールとかの書いた物でしかコミュニケーションがとれない状態になったので、韓国語を書けるようになりたい、という気持ちが高まったのである。三日坊主になりませんように。


10/30/2004(土)

いえの人にいろいろとやってもらった。まず、私の掲示板で韓国語の書き込みが文字化けしないようにしてもらった。それから、自分のパソコンでハングルを入力できるようにしてもらった。ローマ字入力のことも教えてもらった。カタカナにすると同じ「オ」だけどホントはちがう母音、というような場合、ローマ字入力ではそれぞれ別のキーが割り当てられているから、韓国語のローマ字入力をすることによって、発音自体にもいままでより注意が向くかもしれない。

文字コードというのは富士の樹海のようにわけのわからないものらしく、入力はできたけど保存したら化けちゃったとか、この文章をコピー&ペーストして読めるようにしたらこっちの文章ができなくなったとか、紆余曲折あって、ようやく掲示板に韓国語でメッセージを書いた。まちがいがいっぱいあったようで、いえの人は、「うーん、これは、わかってもらえるかもしれない。ここは、ちょっと無理かな」などと言っていた。でも私自身は、韓国語を書いた、ということ自体で、すでに充分満足なのでした。


10/29/2004(金)

私の掲示板に、パク先生が書き込みをしてくれた! 文字化けしてしまっていたが、いえの人が直してくれた。とりあえず、英語で返事を書いてみた。

小さな翻訳の仕事をいくつも、いま、抱えていて、一つひとつ片づけていっている。きょうも1つ終わったので、FAXで送る。

夜、『天の煙』(作:松田正隆、演出:平田オリザ)を見に行く。最初の通し稽古を見せてもらったときから、私は、この作品の中の内田淳子さんが大好きで、きょうも、ひっそりと楽しんだ。ひっそりとというのは、なんていうか、劇場中のお客さん全員で笑いたいわけじゃなくて自分だけの楽しみ、みたいな気分。


10/28/2004(木)

自分の作った物が食べたくなって、スーパーに買い物に行く。帰ってきて、ナベを作る。具は、鶏肉と、ダイコンとニンジンとゴボウと、結び昆布、葛切り、エリンギ、それとスジなんとかという、練り物。あんまりうまくできなかった。あぁそうか、ネギとか入れたらよかったのかもしれない。あと、一人で食べたからそれでつまらなかったということもあるかもしれない。

知り合いに頼まれていた翻訳の仕事をしながら、友人や親戚に手紙を書く。あいかわらず字が下手で、しかもすぐに手首が疲れてくる。投函は明日。

料理したい衝動がまだおさまらなくて、カレーも作った。

夜、DVDで、VGR29世紀からの警告前後編を見る。これが正月映画じゃなくて1時間枠のテレビ番組(2回分)だってところがすごいな。


10/27/2004(水)

めざめると、身体のあちこちが痛い。もみ返しか。というか、顔とか足の裏とか、何箇所かピンポイントで痛む。強くやってもらいすぎたね、たぶん、きのうのマッサージ。でも、ゆうべよく眠れたのはよかった。

ソウルでの山内のワークショップの記録をまとめる。短くするのに、けっこう骨が折れた。

岩明均『ヒストリエ』1巻、2巻を読む。す、すごい。チェーホフが、家が没落して以前住んでいた家に家庭教師にいった、とかいう話を前に聞いたことがあるけれど、それどころじゃないよ、エウメネス。


10/26/2004(火)

歯医者に行く日。朝先生から電話があって、前の診療が長引きそうだから予約の時間より30分遅く来てくださいと言われたんだけど、時間の見積もりを間違えてさらに15分遅れてしまった。でも、まだ前の人の診療中だった。「妥協したくないんですよ」と言っている先生の声が聞こえてきた。「人生、妥協ばっかりしてますからね、診療だけは妥協したくないんです」、冗談のような、本気の信念のような。

私はきょうは虫歯の治療で、以前抜いた歯の隣を、削って詰める。帰りに、乗換駅まで来たらお腹がすいてたまらなくなったので、ベトナムの丼の店に寄る。食後に熱いお茶とミルクゼリーが出た。雨の日サービス?

そして自宅の最寄り駅まで帰ってきて、マッサージに行く。『ソウルノート』の本番から打ち上げ、飛行機やバスでの移動などで、普段もガチガチな背中が、もうギシギシいいそうな感じに凝ってしまっていたので。チラシや看板は見ていたし、いえの人は何度か行ったことがあると言っていたけれど、私は初めての店。「肩や背中が凝ってつらい」と言ったんだけど、60分お願いしたら前半は脚とかだった。背中や首は気持ちよかったけど、ものすごく痛いポイントがあった。

マッサージの後、駅でいえの人と待ち合わせをしてぼーっとしていたら、偶然、友に会う。おかえりー、ただいまー。

いえの人と、チェーンの焼肉屋へ。焼酎を、「ストレートで」と言ったら、「?」という顔をしている。「そのままで」と言ったら、「焼酎は、ロックか水割りかサワーしかないんですよ」。めんどくさくなって「じゃぁロックで」と言うと、「ロックっていうのは、ストレートですから」。「氷が、入ってるでしょ」と言うと、「氷なしにしますか?」。そうしてもらった。ストレートはダメだけど、ロックの氷なしならできるっていうのかい……。

仕事を仕上げて、送信。いえの人と、ヴォイジャーの特典映像を見る。


10/25/2004(月)

昼まで寝る。ソウルの写真の現像を頼んだら、CDに焼くのもお願いしたんだけど、3時間でできると言われてビックリ。便利な世の中ですねぇ。

あすいっぱい締切という仕事があって、でもなかなか確認がとれなくて、始められない。荷物の整理などをする。夜になって、仕事開始。


10/24/2004(日)

6時に起きて、荷造り。7時20分集合でロビーに降りていくと、パク先生、ギウンさん、ジンヒョクさんが現れた。朝まで飲んでいたという。見送ってもらって、ワゴンタクシーで空港に向かう。ホテルを出ていったん右に曲がった車が、運転をしない私にはどういうあれなのかわからないんだけど、Uターンしてもう一度ホテルの前を通過したので、横断歩道で信号待ちをしている3人とまた会った。きのう私たちがプレゼントしたバラの花をそれぞれ手にもって、早朝の交差点で手を振る3人の男たち。

そして空港に着くと、ミンソさんが待っていてくれた。彼も、家には帰らなかった様子。パークの人はみんな朝まで一緒にいて、一緒に朝ごはんを食べたとのこと。疲れたときに飲むものです、とドリンク剤を買ってきてくれたり、受託手荷物の面倒を見てくれたり、最後までミンソさんは親切だった。出国手続きのための仕切りの中に入った私たちに、仕切り(すりガラスだが、下のほうに透明になっている部分がある)の外にしゃがみこんでいつまでも手を振っていた。

いろいろ考えると涙が出そうで、泣いちゃってもいいんだけどなんとなく我慢して、そのまま飛行機に乗って、成田からはバスに乗って、4時過ぎに帰宅。いえの人とご飯を食べる。7時からアゴラで『不眠症』の公演を見たかったけれど、疲れてもいたし、きょう一日はまだ『ソウルノート』以外のことをしたくないという気持ちもおそらくあったんだと思う、結局ずっと家にいた。


10/23/2004(土)

午前中、友と、花屋に注文に行く。メモ帳に花を1本描いて、ラッピングした様子を描いて、「X20」と書いて、「ソンムル」(プレゼント)、「オルマイェヨ」(いくらですか)と聞くと、1,200ウォン、2,000ウォン、3,000ウォンの3つのオプションがあるとの答え。1,200ウォンは、透明セロハンで包む。3,000ウォンは?と聞くと、目の前で見本を1つ作ってくれた。パステルの不織布のような紙で、パラソルチョコレートみたいな形に茎を包む。その上に、紙で作った薔薇のコサージュをつける。じゃ、それで、2時までに、と、絵と日本語と韓国語ミックスでお願いする。

2時に取りにいったら、20個のステキな包みができていたけど、袋に入れてと言ったら、袋はないと言われる。「ピミルソンムルテムネ(秘密プレゼントだから)」とお願いすると、段ボール箱に入れて、上を新聞紙で覆ってくれた。どうもありがとう!

それを、なるべく人目につかないように劇場の隅に運び込み、日本チームで、渡す段取りを相談。

昼公演で、パイロットのシーンのところで韓国チームの台詞がちょっといままでとちがっていたので、パイロットの恋人役のシンちゃんに後で、チェンジ?ミステイク?と聞いたら、パク先生からダメが出たとのことだった。そういえば、上演中めずらしく楽屋にパク先生が入ってきて、出番前で集中しているミンソさんのところに行って、何か話してたな。それがこれだったのか。THE SHAMPOO HATの赤堀さんも『雨が来る』のときそうだったけど、パク先生も、本番が始まってからもダメ出しを続ける演出家だ。昼公演の後も、舞台上で一人で練習していたスンドーさん(木下役に)、ここのところはこうしろと指示を出していた。

夜公演は、最前列の座席の前に座布団をしいてお客さんが座るほどの超満員。空席のある日もあったので、早くに来てくださっていたら、ゆっくり見ていただけてよかったのになーと、すこし残念に思った。

終演後、演出助手のジヒさんが、照明のオペをまちがえた(最後に、暗転しないでカーテンコールの照明がついた)、すみません、と言ってきた。泣いている。「ホントの美術館で公演するときは暗転しないから、私たちは別にこういうのは慣れているので、大丈夫」と答える。舞台上で集合写真。日本チームからお花を渡し、劇団パークからもプレゼントがあり。前にまんとるぷりんしあたーにいて今はこちらに住んでいます、という方が見に来てくれていて、楽屋を訪ねてくれた。

その後、バラシ。日本チームは、字幕機材や衣裳をホテルに運ぶ。まだまだバラシ中のパークメンバーを残し、演劇祭の閉幕式に出席。『武道家とアコーディオン奏者』の人たちもいたので、「見ました、よかったです」と挨拶に行く。そのうちにパークの人たちも次々やってきて、ではこれから場所をかえて、『ソウルノート』の打ち上げをしましょうとなり、JSAに移動。

話したり、写真を撮ったり、4時まで打ち上げは続いた。では、出ましょうとなって、パク先生は、お店の前の道路に、こちら側は青年団、こちら側はパークと2列に人を並ばせて(あの、Gメンみたいに横に広がって、それが向かい合って2列、ということです、おわかりいただけるでしょうか)、「じゃぁ、『また来年、お疲れ様』だからね。1、2、3」、そしてみんなで「また来年、お疲れ様!」と言って別れた。


10/22/2004(金)

友と仁寺洞に行く。ホテルから歩いて30分弱。仁寺洞は、旧軽井沢(最近は行っていないのでよくわからないけれど)みたいに通り1本が観光スポットになっているという感じの場所で、おみやげ屋さんが軒を連ねている。欧米人らしい人の姿も大学路あたりより多いし、日本語の会話もたくさん聞こえてくる。

そういう場所に行ってさえ、私の関心は、着る物にあるのであった。そして、普通に売っているブラウスとかベストとかが、なぜか私にちょうどいいサイズなのである。これは、当然、買います。帰りには、きのう大学路のあたりで探してもらってみつからなかったAPSフィルムも無事入手。ホテルに荷物を置き、友と劇場に向かう。

劇団パークの人たちに何かお礼をしたいけれど何がいいだろう、花がいいんじゃないかということになり、道々花屋さんをリサーチ。値段とか品揃えとか。そして、途中、食事をする。友の行きつけの店らしく、お店の人が、「公演はお客さんがたくさん来ましたか」(たぶん)とか話し掛けてくる。そこを出て劇場に向かって歩いていると、通り過ぎかけた若い女の人が、はっとして、こちらを指差して、「ソウルノート」と言い、あと、見ましたとか、よかったですとかたぶん言ってくれた。

「きょうは、夜、チェ・ヨンミンさんの先輩がプルコギパーティをしてくれるので、お弁当は軽めになっています」と説明あり。昼公演は高校生40人の団体がいるとのことで、たしかに上手よりの一角が常にざわざわしていた。でも、他のお客様は、あまり笑いすぎずによく見てくださっている感じがした。

きのうまでは上演中空調を切っていたと思う(少なくとも途中まで)が、きょうはエアコンの音が最初からずっとしていた。青年団の公演だったら、空調をどうするかは演出家が決めるけど、『ソウルノート』はこれはだれの管轄になるんだろう。などと考えながら、でも、音がしてるものは音がしてるんだから、雨音が響くときとおんなじだよね、と考えて、全体に心持ち声を大きくした。

夜公演のあと、表に出ると、劇場の前でさっきまでミンソさんと話していた人たちが、私にとてもとても話し掛けたそうにしている(日本語のできるミンソさんは、他の人と話していた)ので、ギウンさんに通訳してもらって話をした。とてもよかった、感動した、と誉めてくれて、一緒に写真を撮った。映画監督をしている方だという。

青年団で昔からお世話になっているウンスーさんもきょう観劇し、「字幕がいい。言葉の壁はたしかにまだあるが、この作品は、(韓国語とか日本語とかでなく)『演劇』という言語で作られた作品になっていた」というような感想をおっしゃっていたそうだ。

2次会は、前にも行った洋風の居酒屋、JSAで。ポガンさんが、若者のスラングの変遷について教えてくれた。ていうか、郁恵の『ちょっと、マッチス』という台詞には韓国語で悪い言葉に聞こえる部分がある、ということは前から聞いていたんだけど、それはどういう言葉で、若者が副詞的にこう使いはじめて、それが今ではこのような意味になっている、という説明を聞く。日本語のできるチャンさんも、「そういえば、初めて日本語の『欠席』という言葉を聞いたときにはびっくりしました」と話に加わった。ケーセキは、犬の子つまり、英語でいうところのSOB。

話は尽きないが、2次会の後、友と二人で帰った。そういえば、JSAのお店の人も、『ソウルノート』を見た、よかった(親指を上に向けるジェスチャー)と、握手してくれた。いろんな人に誉められて、嬉しかった。


10/21/2004(木)

山ちゃんが劇団パークの俳優を対象にしてワークショップをやるというので、記録係を買って出た。といっても「もし起きれて、行けたら、行くね。そして、本番前なので、自分の準備の時間になったら、申し訳ないけど途中で退出するかも」というごくアバウトな記録係。でもちゃんと起きられて、パークの稽古場の近くで食事をしてから、稽古場に行った。

12時開始の予定だったが、12時に来ていた参加者は、4人のうち2人だけ。ビデオでの記録をしてくれるはずのパク先生も、通訳のギウンさんも、まだ来ない。きのうは演劇祭の偉い人と夜遅くまで飲んだそうで、まぁ、しかたないかな、という感じで、山ちゃんもそんなにあせってはいないようだった。ワークショップで使う色紙を、事務所に来ていたジヨンさんと買いに行って、近くに大きな文房具店が2つもあった、急に思い立ってこれをしたい!と言ったときにすぐ間に合うこの感じは、とてもソウル的だ、と山ちゃんが言った。

結局12時半をまわって始まったワークショップは、自分たちが普段交わしている会話というものを徹底的に検証してみよう、というもので、パークの若い俳優たちにはいろいろと新しい発見があって刺激になったようだった。

3時前にワークショップが終わり、一目散に(使い方が変?)劇場入り。アップをガンガンやって、3時間パソコンに向かい続けて凝り固まった身体をほぐす。楽屋でメイクをしていたら、日本語のできるソンヨンさん(寺西役)と一緒にポンジュさん(女子大生水上役)が来て、
「この本を見て、マチコさんのことを思い出しました」
と言って、韓英対訳の『星の王子さま』をくれた。どうもありがとう。それを見ていて、チェ・ヨンミンさん(串本役)が、
「その本で一番好きな台詞は、『なぜ酒を飲むのか?』という台詞だ。『なぜ酒を飲むのか?』『忘れるため』『何を忘れたいのか?』『はずかしさを』『なぜはずかしいのか?』」
そこでなんとなく落ちがわかって、
「お酒を飲むことが?」
と言ったら、ビンゴ!そのとおりだった。

開演中に、もらった『星の王子さま』を読み始めたんだけど、涙が出てきてしまって、いかんいかん、と封印する。どうも最近、とみに涙もろくていけない。

ソワレの終演後、楽屋に、
「マチコさんに会いたいという人が来てます」
とサンヒョクさん(橋爪役)に紹介された女の人は、もうなんだかすごく感じてしまったらしく、
「とてもよかったです」
と言ってまた涙をぽろぽろ流すので、
「そんなに泣かないでね。ありがとう」
と言って、ぎゅっと抱いて挨拶した。オーストラリアでもそういう人がいたけど、20代の若い人が何か感じて泣いてくれたりすると、なんだかとても嬉しい。『東京ノート』初演は1994年で、そのとき私は32歳だったけど、自分の演じている「由美」という役が背負っている問題は、まだまだ他人の問題という感じがしていた。だから、30代も半ばになって自分の親が年老いていくという実感を持った人は共感を持つだろうけど、若い人には遠い話なのかなと思っているので、もっと若い人が素直に反応してくれると、演劇の力というものを感じて、嬉しくなるのである。


10/20/2004(水)

きょうからは、「特に集合時間というのはありません、でも、心配になるので、開演の1時間前までには来てください」というスケジュール。2時くらいには行こうと思っていたんだけど、ちょっと遅くなり、2時半頃劇場に入ると、木下と女子大生のシーンの稽古中だった。前に、初日があけてからもよりよい舞台を目指して毎日ダメ出しをするとパク先生が言っていたけれど、まさにそのとおり。

昼の公演はお客さんがあまり多くないかもしれないけれどがっかりしないでください、と言われた。少なめの観客ではあったけれど、静かにじっくりと見てくださっている感じがして、私は、好きだった。ダンスの仕事でソウルに来ていて友だちに誘われた、と言って、舞台照明をやっている知り合いの人が見に来てくれていた。

夜公演は、最前列以外、ほぼ満席。とてもノリのいいお客様で、よく笑うし、ときには拍手も起こった。

終演後、きょうは飲みに行くのは遠慮して、友と、東大門運動場あたりの、夜中やっているファッションビルにちょっとだけ買い物に出かけた。地下鉄の切符をなくしたり、行きたいお店の場所がわからなかったり(その店の袋を持っている人に、どの出口から出ればいいのか尋ねた)の珍道中。apmというビルで1時間ほど各自ショッピング。私は、下着をちょっと買う。友は、決められなくて「友だちを連れて戻ってくる」と言ってきた、と言うので、そのお店に二人で行き、マフラーを試してみてどうしようかな?と迷っている友を横目に、ステキなセーターを見つけ、「これ、黒はないの?」「試着できますか?」とすっかり自分のことに夢中な私。買い物をすませて、さぁ帰ろうとなり、東大門の門からホテルまでの道順はわかっているんだけど、その門に行くにはどう行ったらいいかわからなくて、横断歩道の誘導をしていた人に、「すみません」と日本語で話しかけ、「東大門、オディイッソヨ?(東大門どこですか)」と聞くと、ここらあたりの地名自体が「東大門」なわけだから、その人は、当然、え?何言ってるの?という顔に。重ねて、「東大門、門、オディイッソヨ?」(東大門の「門」はどこですか?)と聞くと、「門ヨ?(あぁ、門のこと?)」と言って、「コッチイッテ、コッチ」と日本語と手まねで教えてくれた。ホントに、珍道中だった。


10/19/2004(火)

俳優2時入り、3時からゲネプロとのこと。1時間で準備をいろいろするのはあわただしいから、ホテルでウォームアップをしてから行くことにする。『ナンバースリー』をまだ見終わっていなかったので、見ながらやる。出掛ける時間までに最後までいかなそうだったので、後半は、パク先生が出ているところ以外は早送りして見た。ランボー(パク先生の役名。詩人)があそこであの人に灰皿で反撃しなければあんな騒ぎにはならなかったんだなぁ。しかし、『アイアンパーム』はDVDで英語字幕があったからわかったけど、字幕のない『ナンバースリー』は、ストーリーの詳細がまったくわからなかった。ラストに、「その後、人々はこうなりました」という後日の姿を紹介する部分があるんだけど、ランボー関係は雑誌の記事とか著作の表紙とかの「文字」情報のみなので、ハングルをそんなに早く読み取れない私には、なにも理解できなかった。もしかして、ランボー、死んじゃったんですか?

字幕スクリーンをどうするか、きのうからいろいろと変更があり、その作業に時間がかかって、ゲネプロは4時過ぎに始まった。終わって、お弁当を食べたら、もう客入れ時間までいくらもない。まぁでも、明日からは、マチネ4時半、ソワレ7時半だから、そのシミュレーションとしては、ちょうどよかったかもしれない。

きのう、ラストシーンについて、「まだ、照明、音響は、(演技とのタイミングが)あっていません。これからあわせますから、心配しないでください」と言われていたんだけど、きょうのゲネプロで、音の長さ(ラストシーンは、音楽がかかります)がぴったりになっていた。

7時半開演で、『ソウルノート』初日。客席は、ほぼ満席。客席から起こる笑い声で、字幕がジャストのタイミングで出ていることがわかり、嬉しくなる。最後は、暗転と同時に拍手。カーテンコールで客席を見ると、にこにこして拍手をしてくださっているお客様が目に入った。ありがとうございます!

1時間弱のアフタートークの後、フェスティバルバー(野外)で乾杯。


10/18/2004(月)

俳優は4時入り、とのこと。いえの人とご飯を食べて、お茶を飲んで、私はいったんホテルに帰り、ビデオ(『ナンバースリー』、パク先生が出演している)を見ながらストレッチなどウォームアップ。

4時少し前に劇場に行く。オリザも日本から無事到着。字幕関係のところだけ一度稽古をしてから、7時半開演で通し稽古。

韓国チームは美術・照明の直しの作業をさらに行うとのことだったが、日本チームはお疲れ様となり、ホテルの近くのサムギョプサル屋にみんなで行く。


10/17/2004(日)

朝、『アイアンパーム』の続きを見る。パク先生は、寝起きとか、殴られてうずくまっているとか、情けない感じのときにとても愛嬌がある。

稽古場で、きょうはいつになく雑談に花が咲き、青年団チームの演技の真似(「ソンブレロ」をやるときに山ちゃんの片足が爪先立ちになっているとか、「結婚はしないのかな?」と言う安部ちゃんの姿勢とか)なども登場し、なごやかな雰囲気となる。

きょうは、この稽古場での最後の稽古。通し稽古のあと、パク先生が、「10月5日に皆さんが来て、それから2週間一緒に稽古してきました。明日からは戦争です(劇場入り→本番)が頑張りましょう。そして来週の今ごろ、皆さんは東京にいます」と挨拶した。泣かせるスピーチでした。

稽古場を撤収して、パークの事務所・稽古場に荷物を移動。きょう再渡韓したいえの人(字幕スタッフ)も無事合流。いつもパークの人たちがお昼を食べるという食堂で、皆で夕食会。小皿が充実していて、生牡蠣や干物(あじ)まであった。

夜9時から劇場に入れるとのことで、ちょっと間に時間があいたので、チェ・ヨンミンさん(学芸員役)と日本チームは、近くの別の店で飲みながら待つことになった。でも、私は、いえの人がギウンさんと一緒にパークの稽古場で字幕の修正をするというので、そっちについていった。

10時過ぎに修正が終わり、劇場へ。パク先生と字幕の打ち合わせをするためだ。劇場内は照明の吊り込み中だった。徹夜で仕込むとのこと。パークの若い俳優さんたちも働いている。

パク先生と私たちは、飲んでるチームに合流。音楽監督のハンさんが来たり、衣裳を買いに東大門市場に行っていたチェ・ソンヨンさん(弁護士役)が戻ってきたり、昨年の『ソウルノート』で郁恵の役をやったユミさんという人が来たり(ユミというのは韓国語の名前にもあるそうです)して、1時半に帰路に着く。パク先生は、仕込みの監督をするといって劇場に戻っていった。


10/16/2004(土)

稽古用に半袖Tシャツとハーフパンツを持ってきたのだが、ちょっともう寒くなってきたので、長袖Tシャツとジャージを買う。靴下も、小さくたためる薄いのしか持ってきてないので、暖かそうなのを1足。今回とにかく荷物を少なくしようとして「持っていこうかな、でも要らないかも」という物は置いてきたから、いろいろと現地調達している。下着屋さんで、スパッツを買ったりもした。

きょうは、マチソワの日を想定して、2回通す予定の日。まずは字幕のタイミングあわせの稽古を1時間ほど。それから、4時半開演で通し。夕食は、お弁当。7時半開演で2回目の通し。

少し体調が戻ってきたので、夜、ちょっと飲みに行った。ホテルの近くの、チキンの店。部屋に帰り、『アイアンパーム』をもう一度見始めたが、途中で寝てしまった。


10/15/2004(金)

ゆうべは、8時頃から寝たので12時過ぎに目覚め、4時くらいにまた寝て、今朝は9時に起きた。気分はいいが、お腹の調子がもう一つなので、朝食はワカメスープを頼んで、スープにご飯を入れて食べた。

『ソウルノート』の翻訳者ギウンさんが、字幕のデータを修正しに私の部屋に来て、稽古に行く時間まで、ギウンさんは字幕用のパソコンでデータ修正、私は私のパソコンで自分の仕事をする。データ修正に関しては、何をどうすればいいという指示はきのうのうちにいえの人からメールで送ってもらっていたんだけど、実際やってみると、韓国語入力がうまくいかなくて、日本にメールで連絡を取ったりする。すぐに返事が返ってきて、ホントに便利な世の中になったもんだ。

ギウンさんが、元は外国語だと思いますが韓国では「翻訳は反逆だ」(翻訳はときに原作に対する反逆となる)という言い方があります、と教えてくれた。韓国語では韻を踏むみたいになる。お返し(?)に、カナダ人の翻訳者が日本語で「訳者は、役者だ」(他人の言葉を自分を通して人に伝える点で似ている)と言ってましたよ、と私も教えてあげた。

稽古は、日本チームは、3時半集合。字幕の機材をセットアップ。プロジェクターを載せるために稽古場にあった棚を移動したら、その裏から、ポガン(女子大生の役をやっている)さんが4年前に友だちに貸してそのままになっていた刀というのがみつかった。黒い袋に入っていて、たしかに名前が書いてある。そんなことって、あるんだなぁ。

きょうは字幕のタイミングや内容の確認を中心にした稽古を6時までやって、夕食。カレー!

日本チームは、夜は、公演芸術祭の、『Korean SuperCussion』という公演を見に行く。金徳洙のサムルノリがめあてで行ったんだけど、舞台上にはコンガだとかマリンバだとかところせましと置かれていて、始まると、20人をこえるミュージシャンが、登場。いくつかのグループが順番に演奏した。各人の年齢とか経験とかも関係していると思うけれど、サムルノリが圧倒的によかった。


10/14/2004(木)

朝食をとりにホテルのレストランに行くと、きのう朝食のときにここで知り合ったジーアさんにまた会って、きょうも同じテーブルでご飯を食べた。ジーアさんは、ソウル国際公演芸術祭に、ジュネの『女中たち』の公演のために、来ている。いいダンスの公演があれば見たいと言っていたので、いまソウルで開催中のSIDance 2004というダンスフェスティバルのパンフレット(きのう見に行った友に、何かあったらもらってきて、と頼んでおいたら今朝持ってきてくれた)を渡したら、トルコのベリーダンス公演が載っていて、
「ベリーダンスは、もともとアラブとかオリエントとかのもので、トルコにはないのに……」
と言っていた(ジーアさんは、オーストリア在住のトルコ人)。

きょうの入り時間は3時半。だらだらできると思ったけれど、朝食を終えて、シャワーを浴びたり洗濯(手洗い)をしたりしていたらもう行く時間に。稽古は、通し稽古のみ。パイロット役のミンソさんがきょうはお休みで、絵を寄付する人の友だち役をやっているジンヒョクさんが代役をしたんだけど、ミンソさんの台詞回しとか動きとか、そっくりに真似するので、見ている人たちが大喜び。

夜は、ギウンさんおすすめの『青春礼賛』という演劇を見に行く予定だったんだけど、今朝から体調が悪かったのが夕飯を食べたら急に具合が悪くなってしまい、ドタキャンして一人ホテルに帰る。急に寒くなったりしたのも関係しているんだろうと思う。ゆっくり寝る。


10/13/2004(水)

きのうの稽古のとき、「青年団の方は、明日は3時に来てください」と言われ、少し時間的に余裕があったので、きょうは昼過ぎに地下鉄に乗って明洞に行ってみた。といっても、1つのビルの中のショップを上から下まで見ただけだけど。小さな小さな店が、各階にいっぱい入っている。

上のほうの階は、靴とかカバンとかで、歩いていると、日本語で「カバンいかがですか。安くしますよ」「おもしろいものがありますよ」と話し掛けられた。婦人服の階は、普通サイズしかなくて疎外感があった(1軒の店でパーカーを試着したら小さかったので「大きいサイズはありますか」と聞いたら、「フリーサイズです」と言うので「フリーサイズじゃないじゃん」、つまり私には小さいよ、と一応抗議の姿勢を示したりした)けれど、どうも何軒かのパンツの店は、「大きいサイズあります」と書いてあるみたいだとだんだんわかってきて、1軒で、「ここに書いてある数字は、(このお店にある)サイズですか」と聞いてみたら、「大きいサイズありますよ!」と言われ、「スカートがありますから」と言われてプールの授業みたいにスカートの下でパンツを脱いではきかえて試着。うわ、ぴったり!

「でもこういう(すそが広がってる)のじゃなくて、こういう(すそがすぼまってる)形がいいんです」と言うと、しばらく韓国語で説明してくれて、私がわからないでいると、「日本人なのよ。お願い!」と他の店舗の日本語のわかる人を大声で呼んできて、その人が通訳して言うには、「すそもあげて、そのような形に、直してあげます。30分したら戻ってきてください」。時間がないので20分でとお願いし、値段交渉も少しだけして、お金を払ってその店を出る。20分経って戻ってみたら、お店にはだれもいなくて、向かいのお店の人が「チョットマッテ」と日本語で教えてくれる。まぁ、そんな感じかもな、と思っていたので待っていると、通路のむこうからお店の人がパンツを手に持って走ってきた。お待たせしましたーと袋に入れようとするのを、「待って。はいてみる」(この辺になると、もう韓国語じゃなくて、日本語プラスジェスチャーになっている)と再度試着し、「はいて帰るので、こっちのを包んで」と、いままではいていたジーンズを包んでもらった。

待っている間に見た、隣の店舗の看板が面白かったので、ここに写しておきます:

Fresh woman's smile as beauty
Through as acasia, can experience everything of skirt.

日本でも衣料品や看板で変な英語を見かけるけど、これもそうとう変。そして、パンツ専門店なのに、どうしてスカート?

稽古は、マチネの本番を想定して、16:30開演で通し稽古。その後、ダメ出し。そして、夕食。豆腐を薄く切って炒めたものがすごくおいしい。ごま油で炒めて、味付けは、唐辛子、ニンニク、胡麻、そして醤油らしい。なんだかトマトっぽい味わいがあるんだけど、それはなんなんだろう?

夕食後も、稽古。「平山」「由美」「好恵」のシーン(他の俳優と関係があるところのみ)。9時頃には終了。青年団チーム3人で歩いて帰る。きのうから急に冷え込んできた。バク先生のビデオは、Mr. Iron Palm以外にもあるんだけど、きょうはなんだか疲れてしまったので、見ないことにして一人で部屋に帰った。


10/12/2004(火)

ゆっくり朝食をとり、部屋でストレッチなどをしてから、稽古場に向かう。早足で歩くと、Tシャツ一枚でも汗ばむくらい。

稽古は、パイロットのシーンと、しばらく稽古をお休みしていたチェ・ヨンミンさん(学芸員役)の出ているシーンを部分的にやった後、衣裳のチェックを兼ねてパンフレット用の写真撮影、そしてそれから、衣裳を付けて通し稽古。

写真は、夫婦、カップル、学芸員同士、女子大生同士など、二人ずつで撮ったんだけど(私は妹の郁恵と二人)、韓国チームがカメラ慣れしているのにビックリ。みんな、ポーズも表情も、ばっちり決めてくる。照れまくりの日本チームと大違い。

10時までと思っていた稽古が早く終わったので、夜、パク先生出演映画Mr. Iron Palmを、友と二人で見る。彼女(5年前アメリカに行ってしまった)を探してロスにやってきた自称「アイアン・パーム(鉄の掌)」という韓国人の話。パク先生の役は、当てにしていたメモの住所が更地になっていて呆然とするアイアンを自分のアパートに泊めてやり(お金はとるんだけど)、仕事を紹介してやり(あやしい仕事なんだけど)、彼女探しを手伝い、最後はライバルから彼女を取り戻すためにも大働きをする、ロス在住のタクシー運転手。

言語は、アイアンは最初英語のみ(彼女が去ってからの5年間で英語を猛勉強し、もう韓国は捨てたんだと言って韓国語をいっさい話そうとしない)、パク先生は、ほぼすべて韓国語、ジニー(アイアンの元彼女)は英語と韓国語半々くらい、アドミラル(ジニーの今の彼氏)は英語。DVDで、英語字幕で見たので、話はだいたいわかった。

登場人物がキュート(見ていて、「バカだなぁ」「しょうがないなぁ」と思いながら微笑んでしまうような感じ)で、私たち二人ともこの映画がすっかり気に入って、メーキング(特典映像)まで見て楽しんだ。


10/11/2004(月)

きょうは、稽古が休み(最初からそういう予定だった)。ゆっくりメールの返事を書いたりして、2時半頃行動開始。歩いて東大門市場に行く。ホテルから20分くらい、意外と近かった。途中、手にメモを持った二人連れのおばあさんに道を聞かれそうになり、「よくわかりませんので」と断る。助けてあげたいのは山々だけど、道も言葉もわからないのでどうしようもない。

東大門市場は、大きすぎて、物がありすぎて、ただただ圧倒だけされて帰ってくる。夕方、新村に演劇公演を見に行くことになっていたので、ちょっと早めに出掛けて現代デパートをうろうろする。デパートは、静かで、広くて、気持ちが落ち着く。ただ、高い。でも、服とか食料品とか、いろいろ見て楽しかった。

本日見に行ったのは、演劇祭でルーマニアから来ている劇団の『エレクトラ』。バイオリン、ギターなどの生演奏に乗って、黒っぽいコートを着た放浪者風の人々が、次から次から舞台に現れる。エレクトラも、オレストも、他の人も、なんだかみんな苦悩している。すごく苦悩している。そしてその苦悩は、私の共感できない、遠くの苦悩に思えた。でも、そういう苦悩する人々が作り出す一つの世界を、距離を置いて見ている興味深さがあった。見終わって、芸術祭の副監督の方に、「とてもおもしろく(チェミイッケ)拝見しました」と言うつもりで、「とてもおいしく(マシイッケ)拝見しました」と言ってしまって大笑いになった。

帰りに、弘大入口(93年に初めて韓国で公演したときのポスト劇場のあたり)まで歩いて、シアターゼロ(いまは、取り壊されて更地になっている)の近くでサムギョプサルを食べた。


10/10/2004(日)

稽古は毎日1時半からだが、きょうの稽古は「学芸員のシーンを先にやるので、家族の人たちは2時半に来てください」と言われ、いつもよりゆっくり出掛ける。大学路にあるeigenpostという店が気になっていて、きのう入ることは入ったんだけど何も買わなかったので、きょうもちょっと寄ってみようとその方向に行ってみると、大学路はデモの人たちと機動隊(?)の人たちで大混雑だった。なんだかデモの参加者のようになりながら、eigenpostになんとかたどり着き、1階のメンズのフロアでジーンズを購入(女性用はサイズが小さいので)。

稽古は、通し稽古のみ。パイロットのカップルとのシーンが、たぶんきのう韓国チームだけで稽古したときにいろいろと変更があったらしく、カップルの動きを把握できていなくてうまくできなかったので、「これから、もっと練習させてください」とお願いする。

夜は、劇団チャイムの公演を見に行く。7時半からの『幸福な家族』は、なんだか80年代の日本の小劇場演劇を彷彿させる、なつかしくおかしくちょっと悲しいテイスト。10時開演の『悲しい演劇』は、夫と妻の二人芝居で、二人が会話を交わすシーンと、どちらか一人だけが舞台上にいて観客に向かってモノローグを話すシーンが交互に現れるという形式。言葉がわからないので、『悲しい演劇』というからには悲しい話なんだろう、二人でいるときは楽しそうにしているけどモノローグでは心情を吐露しているんだろう、という思い込みだけが私の頼りで、それなのに、二人が、昔出会った頃を思い出させるような服装に着替えて(たぶん)写真を撮るところから泣けてきて、終演時には、一緒に見ていたギウンさん(日本語がわかる)に、「これって、どういう話だったんですか?」と質問しながら涙を流しているという不条理な展開に。一緒に行った日本チームの人たちは、夫が鼻血を出した時点で「あぁ、この人は病気で死ぬんだな」と思っていたらしく、内容を一番理解していない私が泣いているといって、なんだか面白がられた。

ホテルの近くのフライドチキン屋さんで、飲兵衛3人でフライドチキンで生ビールを飲んでから帰る。チキン1羽分(たぶん)が4000ウォンで、味もおいしい。ここも、機会があればまた来たい。


10/09/2004(土)
「きょうは、韓国語の日です。日本語の日は、ありませんか?」と聞かれる。調べてみると、15世紀に世宗(李朝第4代の王)が訓民正音(人民が広く使えるように新たに作り出した韓国語の文字)を公布した日が10月9日で、日本語では「ハングルの日」という言い方が一般的なようだ。

きょうは、日本チームは、稽古がなくなった(きのう決まった)ので、演劇の公演を2本見る。まず4時半から『武道家とアコーディオン奏者』。会場は、『ソウルノート』と同じハクチョン・ブルー。場内アナウンスの人からしてすでに面白く、まぁ普通に、本日はご来場ありがとうございますとか、携帯電話は切ってくださいとか、火を使うシーンがあるけど舞台脇の、そこに消火器が用意してあるからご安心くださいとか(たぶん)しゃべるんだけど、文の途中で、「〜です。それと、」と言って絶句したり、いやーこういうの苦手で(たぶん)とか言ったりするので、かえってみんなの注目をひきつけ、笑いを誘っていた。

開演すると、武術ショーで、ヌンチャクを振り回したり、レンガを割ったり、槍の先をのど元でぐいぐい押し返したり。観客は感嘆の声をもらし、拍手し、最初から大盛り上がり。その次に、インチキ薬の実演販売が始まる。つまりこの作品は、そうやって旅回りをしている武道家、弟子、実演販売のおじさん、助手の話なんだけど、彼らのショーのシーンは、劇場の観客をそのまま会場のお客としてやるので、拍手を促されたり、薬を注文しませんかと聞かれたり、観客参加型である。通路脇の席に座っていた私のとこにも、薬の注文いかがですか、ときれいな助手さんがやってきた。

そのあと、その彼らの日常が描かれていくわけだけど、セットが、横に3分割されていて、舞台手前にある壁をスライドさせて、中央部1部屋を使ったり、上手と下手の2部屋を使ったりして、ちがう場所で起こるストーリーがスピーディーに展開していく。

観客は、終始よく反応し、登場人物の意外な行動に驚きの声をあげ、エッチな展開に笑い、ときには息を飲み、拍手し、ほんとうに集中して楽しんで見ている感じだった。上演時間は1時間40分。

そこから、ミンソさんに引率してもらって地下鉄を乗り継ぎ、チョンドン劇場で『かもめ』(チェーホフ作)。ほとんど何もない舞台の後方に黒い紗幕。これが、劇中劇の幕になり、4幕では2つの部屋のあいだの壁になる。休憩は、2幕と3幕のあいだの1回だけで、その他の場面転換は、舞台上に俳優のいるまま、まわり舞台を使ってささーっと行われた。

この劇場でも、お客さんがよく笑うので、ちょっと驚いた。もちろん、笑いを誘うような動作(アルカージナがトレープレフに投げつけたコインを、下男が後でそっと拾って自分の物にする、とか)や台詞(「あの先生と結婚します」というマーシャに対して、トリゴーリンが、もともとの台詞では「あの先生と?」と言うところを、「あの大きな先生と?」(メドヴェージェンコ役の人が、ふとっちょさん)と言う、とか)にしてあるところもあるんだけど、チェーホフの台詞そのままなのにドッカンドッカン沸くところもあり、何がおかしいんだろうと周りを見回してしまった。でも、まぁ、たしかに「トリゴーリン、ここに眠る。いい作家だったが、ツルゲーネフにはおよばなかった」というのは、可笑しい台詞なのかもしれない。

念のため言っておくと、韓国語の台詞がこんなに聞き取れたわけではなくて、自分で出演したこともあるので『かもめ』の台詞やストーリー展開はだいたい頭に入っているから、それと、知っている韓国語の単語を結び合わせて、だいたいいまなんの台詞を言っているかわかった、ということです。

全体的には、私としては気に入らない部分もあったのですが、マーシャの絶望が(一幕のラストでドールンにすっかりなぐされめられるところ以外)悲しくて、終演時にはぼろぼろ泣いてしまった。

いただいたパンフレットによると、この公演をした劇団はアップル・シアターで、ホームページを見ると、『ガラスの仮面』をシリーズ化して上演したりもしているようだ。ホームページには、『かもめ』登場人物の相関図も載っていた。

夜は、初日に行ったカムジャタン(じゃがいもタン)の店にまた行った。いかにも外国人らしくたどたどしくしていたら、他のお客さんの一人が立って来て、「私は、韓国人ですが、日本から来ました。何かあったら、言ってください」と言って、注文を伝えてくれたり、とても親切にしてくださった。同じホテルに泊まっているとのことだった。


10/08/2004(金)

舞台美術の関係で座る位置が『東京ノート』と変える必要が出てきた部分や、『ソウルノート』の独自の設定のために台詞を変更する部分などをどうするのか、原作者のオリザと今回の演出家のパク先生が稽古場で話し合い、確認しながら、決めていく。きょうも一応冒頭から最後までやる。

夜、ソウル国際公演芸術際(に私たちは参加している)の開幕セレモニー。国立劇場の野外劇場にて。笛太鼓のにぎにぎしい伝統音楽で始まり、古武道のデモンストレーションとかジャグリング、成功祈願の儀式(だと思う)、演劇など、盛りだくさん。花火が舞台のすぐ裏からいくつもいくつもあがって、それはそれはきれいだった。

オリザといえの人(と書くとなんだかよくわかりませんね。「いえの人」は私の夫です。今度から、「夫」と書こうかな)が明日帰るので、みんなでご飯を食べる。ご飯というか、豚足とマッククス(冷やし中華みたいなやつ)で、一杯飲んで、という感じ。


10/07/2004(木)

『ソウルノート』を公演する劇場、ハクチョン・ブルーを見学してから、稽古。きょうは、はじめて字幕を投影しての稽古だったし、オリザがはじめて稽古場に来たということもあり、はやり、韓国チームも日本チームも、少し緊張しているようだった。

稽古の後、演劇祭主催のパーティ。


10/06/2004(水)

きのう帰り際、「本当に帰るんですか? 韓国式では、先に帰ると明日からいじめられますよ」と冗談ぽく言われたので、ちょっとドキドキして稽古場に行ったけれど、いじめられなかった。よかった。

午後日本からスタッフが一人(いえの人)到着するので、迎えに行くことになっているミンソさんが出演しているシーンをまず稽古した。その後、冒頭から、きのうやって気になったところを確認したり直したりしていく稽古。

稽古が終わって1階の食堂で食事。終了した頃、ミンソさんといえの人到着。日本チームとミンソさん、ギウンさん(『ソウルノート』のため台本を韓国語に訳した人。稽古場の通訳もしてくれている)で、劇団木花の公演を見に行く。帰りしにビール1杯。


10/05/2004(火)

稽古初日。通訳と俳優を兼ねているミンソさんが、連れていってくれた。少し遠いことは遠いけれど、わかりやすい道なので、明日からは一人でも歩けそう。ホテルから劇団パークの稽古場(稽古の前のウォーミングアップを各自でやる)を経由して稽古場に向かう。ほぼ実寸のとれる稽古場は、使える時間が限られているので、そのような段取りに。ホテルからパークまで徒歩20分、パークから大きな稽古場まで徒歩25分くらい。

稽古は、冒頭からラストシーンまで、必要があればとめながら、一通りやった。稽古場は地下にあり、そのビルの1階の食堂で、稽古の後皆でサムギョプサルパーティ。これからの稽古期間中、ここで皆で夕食をとるとのこと。食事の後、もう1軒飲みに行き、次はカラオケに行くということになったけれど、私はなんだか声の調子が変だし、疲れもまだとれないので、数人で先に帰らせてもらった。


10/04/2004(月)

釧路の人たちを見送る。その後、銀行に行って振込み。お金もおろしたけれど、いくら必要かという計算をまちがえていて、結局2回おろす。手数料掛かるのにぃ。そして六花亭で、ソウルに持っていくおみやげを買う。

出発の前に大通茶館でコーヒーをごちそうになり、はっぱちゃんと富永さんに車で送ってもらって、空港へ。

定刻に羽田着。すぐに出る成田行きリムジンバスに乗ることができ座席に座っていると、受託手荷物を受け取って外に出てきたヤルタチームが手を振った。さよなら、お疲れ様、いってきます。4時半頃成田着。ソウルノートチームと無事合流。9時過ぎ、ソウル着。迎えに来てくれたミンソさんとリムジンバスでホテルへ。疲れているのでコンビニで何か買ってきて部屋で食べようと思っていたけれど、すぐ近くにおいしそうな食堂があったので、他のみんなと一緒に食事。骨付きの豚肉を煮込んだものと茹でたジャガイモとエゴマの葉を卓上鍋で煮て食べる料理。肉がやわらかく、スープが味わい深く、やはり皆無口になる。

なんだか元気になって部屋に戻り、手洗いで洗濯。勢いあまってジーンズまで洗ってしまった。


10/03/2004(日)

劇場は、午前中、北芸が稽古なので、ヤルタは宿舎で台詞合わせをしてから劇場入り。きょうの本番も、高揚しつつ落ち着いた、よい感じ。終演後、荷造り。30分ほどで終了。舞台装置がなくて、テーブルや椅子などの置き道具のみの『ヤルタ会談』は、ホントに身軽だ。

3時から、北芸『受付』(作・別役実)。「あぁ、こういう構造なんだな」というこちらの安心を逆手に取るように、中盤から不条理さが増していく。戯曲の構造自体もそうなっているわけだけど、俳優の表情や動きなどが発する情報量がすごく多くて、わからなさがさらにぐわーっと増加していく。私の考えが甘かった。わかったなどと思った私が悪うございました!と、気持ちよく降伏。

アフタートークで聞いたところによると、北芸の森田さんは、この戯曲をやりたいと17年前から思っていて、それが今回実現したということだ。

演劇祭最後の演目は、帯広演研の『走りながら眠れ』(作・平田オリザ)。他の人や自分や、いろいろな夫婦のあり方に思いを馳せながら見る。アフタートークで、これこれのシーンがどうのこうのと言い始めたら、観劇時の感覚ががーっとよみがえってきて、私は、「泣きながらしゃべれ」になってしまった。

終演後、劇場内で交流会。11時に、大通茶館2Fに移動。荷造りしたり、飲んだり。北見の人たちは、夜中に帰っていった。


10/02/2004(土)

ゆうべはホテル泊だったが、きょうからは他の劇団の方々と同じ宿舎。朝移動してから、女子3人で六花亭本店に行き、喫茶室でお茶。宿に戻り、昼寝。4時に会場に入り(それまでは他の劇団がリハーサルをしていた)、ヤルタのセッティング。6時本番。夕食のカレーがおいしい。

8時から動物園『東京物語』。終演後、アフタートーク。出演俳優としてお客様の質問に答えるという形のアフタートークなら前にも経験があるけれど、この演劇祭でのトークは、ヤルタの3人が、他の劇団の作品を見て感想を述べるというものだ。『東京物語』は、10年前の上演作品の再演とのこと。竹内銃一郎戯曲だが動物園なりに内容を変更しているとパンフレットに書いてあったので、どのあたりが変わっているのか聞いてみたら、けっこう重要なところが変更になっていると知り、びっくりする。でも、動物園の歴史(というと変か……)の中で、どういうことがやりたくてどういうつもりで取り組んだのかという話を聞くと、とても納得がいった。

終演後、大通茶館に場所を移して、交流会。11時半に終了。温泉に行って、その後おとなしく就寝。


10/01/2004(金)

いつも遅寝遅起きなので、「あすの出発は朝5時」といっても急に早寝はできない。それで結局ゆうべは一時間半ほど眠っただけ。

最寄り駅から直通バスで羽田に行き、他の人たちと合流して、空路帯広へ。10時過ぎに公演会場のライブハウスに到着、仕込み。仕込みといっても、テーブルや国旗のポールを組み立て、絨毯を広げ、組み立てた物たちを置く場所を決めるだけなので、1時間もかからない。私が国旗や衣裳にアイロンを掛けている間に、舞台のほうはすでに仕込み終了。

昼食(片寄さん作の豚汁と、おにぎり。おにぎりは、やわらかくにぎったまだあたたかいおにぎりだった。おいしかった!)の後、場当たり。その後、予定を1時間早めて3時開演でゲネプロ。それで、私たちの本日の予定は無事終了。

片寄さんに教えてもらった店にヤルタチーム7人(風邪気味で宿舎に残った人が一人いた)で行き、おいしい夕食。農家の人たちが自分たちのところで作った素材のみを使った料理を出す、という店で、なんもかんもおいしかったけれど、中でも、ビフトロ丼が絶品。温かいご飯の上に、千切り状の、凍った、肉の赤と脂肪の白が鮮やかな牛肉が乗っている。ビフトロ丼を食べ出すと、皆、無口になった。おいしい物は、人を黙らせる。

日帰りで東京に帰るオリザを見送ってから、はっぱちゃんに教えてもらった立ち飲み屋に数人で行く。店のおじさんが、「辛口? 中辛? 甘口?」と好みを聞いて、それぞれにあったお酒を出してくれる。私は「芳醇でフルーティーな感じが好き」と言って選んでもらった。おいしかった。

北見の劇団動物園の人たちが11時まで稽古をした後、演劇祭の顔合わせというか交流会。道東小劇場演劇祭inアゴラ(2003年10月)以来だから、一年ぶりで会う顔がほとんどで、なつかしかった。


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