つれづれなる日々

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2005年3月の日々

髪を切る(「えっ、そ、そんなに切るの?……」)


03/31/2005(木)

起きると、右腕が筋肉痛。どうして? ネタ切りで、左手に持ったカッター自体を動かさず、「切られる」側のネタを右手で回しながら切っていたから? にしても、力入りすぎ……。

きのう読み始めた、テアトロ掲載の山田裕幸さんの『トリガー』(第16回テアトロ新人戯曲賞受賞)を読了。同時掲載の選評に、歯が抜けたから殺人、というのはどうなんだ?とか、いや、そういうこともある、とか、そういった議論があったというようなことがたしか書いてあったけど、じゃぁ、ってことは、この作品における殺人の動機が「歯が抜けた」ことだ、という読み方をする人がいるということなんだろうか? 私にとっては、それが意外だった。

桜が咲いた。淡いピンクの花弁と、濃い暗い赤のガク――お赤飯のようないろどりだと思いながら見た。お腹が空いていたせいもあると思う。


03/30/2005(水)

家の近所がずっと工事中で、駅に行くのに通る道に、車両整理のおじさんがいつも立っている。最初は別になんとも思っていなかったんだけど、「すいません」とか「おはようございます」とか言ったり言われたりしているうちに、おじさんの顔を覚えそうな自分に気づき、あれ、じゃぁ私のほうも、「通行人の1人」ではなく個体認識されてるかもしれないなーと思うと、途端になんだか面倒くさいような気持ちになってしまい、この2、3日は、別の道を通ったりしている。

きのうの続きで、照明のネタ切り。カッターの加減が、だんだんわかってきた。

夜、『御前会議』受付。きょうは、劇場内でお客さまを案内する係り。場内アナウンスもやる(得意ではない。見ていた友に「緊張しすぎ」と言われた)。

終演後、バラシ。そして、打ち上げ。終電で帰宅。


03/29/2005(火)

4月に五反田団を見に京都に行こうと思って500円玉貯金をしていたのが、宿泊費と新幹線代になるくらいたまったので、ホテルを決めて、予約する。『いやむしろわすれて草』は未見なので、とても楽しみ。

夜は、『御前会議』の受付。終了後、いえの人がソースフォーで使うネタ(ゴボ)を切る作業をしていたので、手伝う。このパターン(模様)は「アメーバ」と言うらしい。パッチワークのときの、stipplingとかmeanderingというフリーモーションのキルトラインと、感じが似ている。切り抜かれた、くねくねふにゃふにゃした形の銀色のものたちが、取っておきたいくらいきれいだった。捨てたけど。終電で帰宅。


03/28/2005(月)
注意:山岸涼子作『テレプシコーラ』の内容に触れています。ネタバレ、というほどではないと思いますが。

午前中、CMの撮影(主婦7人のうちの1人なので、あまり写っていないと思います)。行く道すがら、友から借りた『青青の時代』(山岸涼子作)を読む。文庫で2巻まで。非常におもしろく、続きが待ち遠しく(他の友だちに貸しているとのこと)、第1巻の解説(中条省平)を読み始めたら、なんと、結末(というか、ラストシーン)が書いてあるではないか! ショック。このネタバレは、ひどいのではないだろうか。早く忘れよう、忘れなくては!

昔、なんだったか古典的な推理小説を読んで、これは全部読み終わってからだったと思うけど、巻末の解説を読んだら、「本書のような探偵=犯人というストーリーは、ダレダレ作の『ナニナニ』に始まり……」というような一文があった。もし本文を読む前だったら、大ショックだっただろう。私は本文を読んだ後だったからまだいいけど、それでもダレダレ作『ナニナニ』は未読だったのでいやな気分になった。そのことを思い出す。

アゴラに寄って『ヤルタ会談』の衣裳をクリーニングに出し、サンマ塩焼き定食を食べてから帰宅し、やはり友から借りた『テレプシコーラ』(山岸涼子作。これも、他の友だちに貸してる分があるとのことで、とりあえず3巻まで借りた)を読む。キャラクターそれぞれに明確な特徴があり、わかりやすくてメリハリがはっきりしている。それだけじゃなくて、一人一人が魅力的。脇役の人も皆、「この作品が六花(ゆき)の話だから脇役だけど、この人にはこの人が主人公である人生が、ちゃんとあるのだ」ということを感じさせる。本当に、うまいなぁと感心する。ちなみに、私が気に入っている登場人物は、金子先生。


03/27/2005(日)

『ヤルタ会談』千秋楽。客席の反応というのは毎回ちがうわけだけど、きょうは、全体的にはよく笑うけど日本の話題(捕虜の虐待や神風特攻隊など)になるとしんとするというところが、特徴的だった。2003年に初演を見た友(日本人、20代前半)が、「作者が日本人って知らなかったら、私、怒ってたと思う」と言ったことを思い出す。

『御前会議』終演後、劇場で少し飲む。その席で、誘ってくれる人がいて、4月に一泊でスキーに行くことになった。


03/26/2005(土)

歯医者に行き、抜糸してもらう。

最近気になっている高価だけど品質のよい化粧品(先日送られてきた新製品のサンプルが使用感が非常によかった)の直売店が歯科医院の近所なので、帰りに寄る。美容液とクリームだけ買うつもりだったんだけど、3月いっぱいキャンペーンで10%オフだというので、思いきって洗顔フォームも買ったら、なんだか規定の金額以上になるとかで、15%引きになった。助かります。

夜、洗濯。シミの付いた衣類を洗剤液に漬け置いていたところに、他の衣類と水を追加して洗濯しようとしたら、全自動洗濯機にその意図がうまく伝わらなかったらしく、いつまでもいつまでもざーざーと注水しているので、一旦脱水してやり直し。思いのほか時間が掛かってしまった。ま、全自動なので、私が疲れるわけではないが。


03/25/2005(金)

『ヤルタ会談』後半戦開幕。きょうから3日間。

翻訳本の編集者の方が見に来てくださった。二人とも普段あまり演劇は見ないということだったので、いきなり『ヤルタ会談』では驚いたかもと思い、「ビックリしたでしょう?」と聞くと、「いえ、いまも松田さんは松田さんだなぁって二人ではなしてたとこです」と言われた。大声を出す、ということ以外は、普段の私とあまり印象がちがわなかったそうである。そうなの?

『御前会議』終演後、北からの友も交え、女子4人で飲む。小学生のとき演劇部で『リア王』のゴネリル役をやったとか、合唱部だった(→共通して知っている合唱曲の話に発展)、青年団活動で演劇をやっていた、他校の演劇鑑賞に紛れ込んで前進座の公演を見た、などなど、「人に歴史あり」な話題も続出で、大変におもしろかった。


03/24/2005(木)

きょうも、『御前会議』受付。きのうけっこう寒かったので、きょうは防寒対策をしっかりしていった。

なかなか暖かくならないが、春のブラウスなどを着たいので、その下に重ねて着ようときれいな色のTシャツなどを買う。


03/23/2005(水)

ル テアトル銀座(行くのは、まだ「銀座セゾン劇場」だった頃以来)に、『デモクラシー』を見に行く。市村正親、鹿賀丈史主演の翻訳劇。実は私が一番最初に感激した演劇作品というのが中学3年生のとき(えーと、1976年とかですね)に見た劇団四季の『ジーザス・クライスト=スーパースター』で(市村さんがヘロデ王、鹿賀さんがジーザスの役だった)、それから5、6年ほど、四季の舞台をよく見ていた。その頃以来何十年ぶりに見る二人は、どんなに変わっているだろう――とそれが怖くもあり楽しみでもあったんだけど、案外昔と印象が変わらないので、かえって驚いた。

夕方からアゴラに行き、『御前会議』の受付の仕事をする。終わった後、友とお茶。というか、パフェとグラスビール。大人になってよかったなーと思うひととき。


03/22/2005(火)

CMのオーディションに行く。疑い深い感じや納得した様子で「なるほどー」と言ったり、暑い夏の日に座禅を組んでいる演技をしたりした。

その後、アゴラへ。きょうは、『御前会議』と『ヤルタ会談』のDVD撮影の日。御前の人は朝から通しで2回、その後抜きでも撮影があったが、ヤルタは18:30開演の1回のみ。まぁ、結局一部抜きでも撮ることになったりしたけれど、もともと30分の短い作品なので、7時半頃にはすべて終了。お客さんのいない劇場での撮影は、自分の声の細かいニュアンスまでよく聞こえて、それはそれでなかなか楽しかった。

近くで飲んでいた御前の人たち(3人)に合流してちょっと飲んで、帰宅。「飲んで」といっても、アルコールが入って血行がよくなったらまた歯が痛むんじゃないかと心配なので、ウーロン茶。でも、歯のほうがもうだいぶよくなっている感じなので、帰宅してからチルドビールを一瓶。2週間ぶりくらいのビール。やはりおいしい。


03/21/2005(月)

『ヤルタ会談』は、きょうで半分終わり。この作品は、登場人物が3人だけで、しかもみんなべらぼうによくしゃべるから、3年やってても本番のたびに緊張する。とはいえ、やはり3年やり続けているので、さすがに安定してきてはいると思う。

先週買った『パレスチナ紛争史』(横田勇人著 集英社新書)を読み終わる。


03/20/2005(日)

『ヤルタ会談』終演後、『御前会議』を見る。前回下手寄りの席だったので、上手のほうから。青年団の舞台は、竜安寺の石庭みたいなもんで、どこから見ても全部は見えない。それほど一人一人の登場人物に頼った作り方をしていないから一部見えなくてもかまわないし、見えないところを想像するのも楽しいんだけど、私の場合どうしても人物中心に見るらしく、前回下手から見て見えなかったあの人がどんな顔をしてしゃべっているのか見たい、と思ったのでした。


03/19/2005(土)

『ヤルタ会談』初日。今回、前の演目(『御前会議』)との間のインターバルが長くて、舞台装置の転換をした後に時間が結構あることが判明。きょうはなにせ初めてなので、余裕を持って『御前会議』終演前にメイクをすませておいたけど、もうちょっと後でも大丈夫そうだ。


03/18/2005(金)

いまだにそこはかとなく歯が痛いが、きのうよりはよくなっている。いま、「歯痛休暇」みたいに、用事がなければ家でごろごろしてるんだけど、たぶん、きょうでそれもお終いだな。

ミステリチャンネルをつけたら、フロスト警部をやっていた。途中からなので筋はよくわからなかったが、あの人も、この人も、その人もあやしいぞ、と見る側の想像をどんどんどんどん拡げていっておいて、期待を裏切る結末を持ってくる作り方が、セオリー通りはセオリー通りなんだけど、うまいなぁと思った。あと、英語のことだけど、「その人物には会ったことはないと思う」と言った人に対し、フロスト警部が、「思う? じゃぁ、会ったかもしれないってことだな」と言って、それはperhaps(あれ?probablyだったかも……)か、それともmaybeか?と追求するシーンがあったんだけど、私はいままでperhapsもprobablyもmaybeも「たぶん」と思っていて、そんなAかBかと問うほど確からしさに差があるとは気づいてなかったので、驚いた。


03/17/2005(木)

10時、アゴラ着。小道具のポットに入れるお湯を沸かしたり、小道具のお菓子を用意したりして、とりあえず衣裳を着てメイクする。きょうは場当たり(メイクしなくていい)→ゲネ(メイクする)の予定なんだけど、間の時間がちょっとばたばたしそうだったので先にやっとく作戦。それから舞台で発声など。

場当たりは、ホントに出はけの確認のみ(青年団の場合、「場当たり」といっても最初から最後まで一通りやることが多いのだが)。私は階段を使っての登退場。のぼりきったときうまく右にターンできる(=曲がりはじめる第一歩が左足になる)ように、逆算して最初の一歩を右にするか左にするか決める。歩き方、曲がり方にそういったノウハウがあることは、『エクリプス―蝕―』のときに長谷さんから学んだ。

ゲネは、無事終了。DVD撮影のクルーの方々なども客席にいらっしゃって、私は、お客さまを前にした本番初日のような気分だった。

夜は、『御前会議』初日観劇。劇作も演出も照明も美術も、大人が本気で遊んでいる。


03/16/2005(水)

ときどき痛くなるけれど、鎮痛剤を飲まず、泣かずにいられるから、急激に回復しているようではある。と言っても、まだ痛いことは痛いので、ごろごろして痛みに耐える用に、本や雑誌を買う。

最近は患者さんからメールで連絡が入ることも多いという先生に、こないだメールアドレスを教えていただいたので、送信テストを兼ねてきのうからの状況をお伝えすると、返事が来て、内容にも励まされたけど末尾の「主治医○○」という署名にもとても元気づけられた。

通販で買った春のブラウスが届く。早く暖かくなるといい。


03/15/2005(火)

『御前会議』『ヤルタ会談』仕込み。照明(吊り込み、テーブル下の加工)と楽屋(衣裳アイロン掛け)。

終了して、歯科へ。土曜日の先生の指示は、鎮痛剤をなるべく飲むな、ではなく、もう絶対飲むなだったと判明。それを聞き間違えるくらい痛かったんだろうなー。とにかく、理論的には痛む理由はなにもなく、これでも痛むとなったらインプラントが体質的に合わないということだから除去しなきゃなんないんだけど、そういう状態かどうか見極めるため、もう痛み止めは飲んではダメだそうだ(今週中くらいに判断しないと、取りたくてももうインプラントが外れなくなってしまうとのこと)。「でも、(痛くて)何もできなくなっちゃいます」と言うと、「きょうは痛くて寝られないかもしれませんが、我慢してください」と言われ、あぁ、そう、そういう覚悟でやれということね、とかえって覚悟が決まる。痛いときは何もできないけどただじっとしてるとそれもつらいので、痛んだとき読む用に雑誌や本を買って帰る。

最後に飲んだ鎮痛剤がきょうの午後2時くらいだったと思う。ここ数日の感じだと、それで6時間くらいするとまた痛くなってきていた。きょうは、深夜12時くらいまで痛まず、お、このまま治るのか?と思ったがやはり痛み始め、片側の目の下から耳、喉までピリピリと痛む。めそめそと泣くと、少し楽だった。雑誌を読んで、寝ころんだり起きあがったり。痛いけど、手術直後に麻酔が切れたときの痛みよりは軽い、と自分を元気づけ、深呼吸などもしてみる。最後に時計を見たのは3時だったか。知らぬまに、それでも、眠りについていた。


03/14/2005(月)

友と横浜中華街でランチ。大きな立派なお店で、取り分けてもらいながら食べる中華なんて、初めてだった。ゆっくり落ち着いて楽しめるので、親とかと来るのもいいだろうなと思った。中華菓子を買い食いしたり、エスニック衣料の店を見たりして、夕方に帰宅。

まだ鎮痛剤を飲まないと歯が痛いんだけど、きのうおとといよりは元気が出てきて、たまっていた洗濯などをした。


03/13/2005(日)

きのうからまた、市販の鎮痛剤を規定量飲んだら効くようになってきた。でも、「なるべく飲まないように」と先生に言われて、痛くて我慢できなくなるまで飲まないようにしてるから、飲んでから効くまで1時間ほど非常につらい。そのつらいとき外出中だとつらさが増すので、きょうはずっと家にいた。4コマ漫画雑誌3冊読破。


03/12/2005(土)

歯科へ。我慢して鎮痛剤を飲まずに行ったから痛くて痛くてたまらなかったということもあり、また、先生の顔を見て安心したということもあり、なんだかきょうは涙を流しながら話をし、治療を受けた。「泣き虫なので、ごめんなさい。大人なのにね。気にしないでくださいね」と断る必要もないくらい、この先生は私の涙をぜんぜん気にしないで普通に相手をしてくださるので助かる。

インプラントが神経にさわって痛むのではないかという心配もあったようだが、どうやらその可能性は低いらしい。骨に完全に埋没した親知らずを抜いた人は2週間くらい痛んで、鎮痛剤も効かない、それと同じような症状だと思う、というお話だった。神経は、だいたいここにあります、そこから7ミリ以内にインプラントを打つなと言われています、インプラントはここなので大丈夫ですよ、とレントゲンで説明してくださり、痛くなったらこれを見て安心してくださいと言ってそのレントゲン写真も持たせてくださった(それだけじゃなくて、心配ならばこれを見せて他の先生にセカンドオピニオンを聞いてもらってかまいませんよ、ということもあるんだけど)。

痛みが、だんだん強くなっているのか、なくなっていっているのか、変わらないのかということも見たいので、なるべく鎮痛剤を飲まないでくださいと言われたんだけど、どうにもこうにも痛いので、帰り道に薬を飲んで、それでもつらくてきょうは3時から飛ぶ劇場を観るつもりだったんだけどキャンセルして帰宅。家で寝っころがって本を読みながら、ごろごろ過ごす。帰りに駅前の本屋で買ってきた『小さいときから考えてきたこと』(黒柳徹子著)。きょうはもう涙腺がゆるんじゃってるのか、いろんなところで泣きながら読んだ。


03/11/2005(金)

中学生の人たちが授業で作った劇の発表会(リーディング)を観に行く。場面がバンバン飛んだりして、演劇というよりは映画かテレビ番組のようなものが多いことに、まず驚いた。でも、会話はだいたいしっかり、いきいきと、書かれていた。そして、学校が舞台だと共学の設定で女子が出てくるのがおもしろいと思った(自分たちは男子校なのに)。

夕方から、『ヤルタ会談』自主練習。さすがに3年めだし、特に昨年は7月に1カ月のツアーを体験していることもあり、カンはすぐ戻ってきた。アゴラでのヤルタは初演以来で、そのことも、楽しみだ。

歯が相変わらず痛いので、あす、一度診てもらうことにする。


03/10/2005(木)

風琴工房『機械と音楽』を観に行く。話し言葉からあえてずらしたところで構築された台詞が、興味深かった。相手を遮る台詞、去ろうとする相手を引きとめる台詞が、遮らず、引きとめていない、と感じた箇所が2、3あり、残念に思った。

夜は、五反田団。受付を手伝ってから観劇。この作品はなんだか私を非常に挑戦的な気持ちにさせる。観ていてとても好きで楽しんでいるんだけど、同時に、全部の役について「私がやるならこうしたい」というプランが思い浮かんでくる。それと、英語に翻訳したい。

歯の痛いのが、治らない。痛み止めの効きが悪くなってきている気がする。

翻訳書の件は、結局削除OKだったと連絡あり。ほっとするが歯痛は変わらず。


03/09/2005(水)

本当は五反田団の公演を見たかったんだけど、きょうは大変混雑するとのことだったので、終演後のアフタートークだけ見に行く。

出版社から、先日原稿を渡した翻訳に関し、日本語版での一部削除に版元がOKを出さないかもしれない、3月下旬のスケジュールはどうか(追加翻訳は可能か)?という問い合わせがあり、一挙に歯痛がひどくなる。


03/08/2005(火)

五反田団『キャベツの類』のゲネを観る。すごい。映画でも小説でもなく、演劇だからできること。そういう演劇の力が炸裂して、非常に不思議だけど共感を呼ぶ世界が展開されていた。
(以下、ネタバレがあります)







たとえば、妻と夫が、舞台上に並んで立っていながら、「妻が巨大化したためにお互いの姿が見えなく(認識不可能に)なる」ことを納得がいくように見せてくれる。どんな突拍子もない設定であっても、一つの世界観をきっちり提示すれば観客は疑う心を捨ててその世界を信じてくれる――と、こないだまで翻訳していた『子どものための劇作レッスン』という本に書いてあるんだけど、まさにその通り。しかも、舞台上で人を実際に巨大化することはできないから苦肉の策でそうした、という感じではなく、大きさが違いすぎて互いを認識できない二人なのに、物理的には隣り合って立っていることによって、さらに切なさが増していたと思う。演劇だからできること、と言ったのは、そういう意味だ。

そして、舞台で泣くというのはむずかしくて、リアリズム的な舞台で俳優が涙を流して泣いたら私はたぶん、十中八九「引く」けれど、この妄想のような悪夢のような世界で最後に夫がボロボロ泣いても、私はそれを受け入れることができた。

スタートレックは、シチュエーションを23世紀とか24世紀とかに移すことで現在の問題(たとえば人種差別や戦争)の本質を描いてみせた。『キャベツの類』も、そういう、フィクションの枠組みにすることで人間の本質的なものを取り出して見せてくれる演劇だと思う。


03/07/2005(月)

インプラントを入れた後、まだ口の中が痛いので、噛まずにつるっと食べられるバニラアイスをゆうべ買って、夜も朝も食べていたらお腹を壊した(だいたい、私がチョコとかナッツの入ったのじゃなくてバニラが食べたいところからして尋常ではない。歯が痛いというのは、不便なことである)。小学生のときに風邪で寝ていてコンデンスミルク(お湯で薄める)を飲み過ぎてお腹を壊したことを思い出した。

出版社に、『子どものための劇作レッスン』の校正を渡す。この件の、私の仕事はこれでおしまい。帰宅して一人、ビールで祝う。歯が痛むので、ちょっとだけだけど。


03/06/2005(日)

「延々」の意味で「永遠」、「ものとも」(しない)の意味で「もろとも」と書いている人がいる。教えてあげようかなとも思うんだけど、なんだかとってもその人らしい書き方なような気もして、なんとなく、言わずにいる。あの人は、「ふいんき」とかも、書いていそうだなぁ。

RoMTのアフタートークに、通訳をしに行く。歯の手術の後で、まだ頬が腫れている(大島弓子のマンガで、ケンカしてきたサバの腕が化膿してつるつるのパンパンになっている絵が出てくるけど、主観的にはそんな感じがしている)のだが、一応化粧もしていった。終わった後、アンディときょう会ったティム(ディヴァイジングのテキストライターもしているという人)に、
「きのうのワークショップで、どうやってディヴァイジングをするのかはわかったけど、どうしてディヴァイジングをしたいのかがわからないんだけど、どうして?」
と聞いてみた。苦笑したあと二人が教えてくれたところでは、イギリスでは劇作家の地位がすごく高くて、俳優はただの道具と見なされてきた、そういう背景があって、全員での集団創作であるディヴァイジングというものが生まれてきた――というような話だった。なるほど。それならわかる。そしたら、でも、シェイクスピアとかじゃなく同年代の劇作家が、演出家も兼ねていて稽古場で台詞に直しを入れることもめずらしくない、といった日本の小劇場演劇のあたりでは、ディヴァイジングの必要性が元々あまりないのかもしれない。あと、アンディがイギリス人は稽古場ですごい論争をすると言っていたけど、日本人は和を重んじるから、アイディアを出し合い、やってみてダメだったら捨て、ダメだったら捨てしてどんどん新しいものを試していくという方法も、なかなかうまく機能しなさそうな気がする。実際のところ、どうなんだろうか。


03/05/2005(土)

RoMTのワークショップに、通訳をしに行く。フィオナとアンディーのワークショップは、ゲームを次から次へとやりながら、ディヴァイジングで演劇を作っていくポイント(目的の共有、思いきってやってみる態度、選択、観察と解釈、分析、……)を紹介していく。

私の反省点:他人の作ったものを分析するときの二つの観点(1. 自分が何を見たか(観察)、2.それをどう解釈したか)を説明するとき、英語のobservation: I noticed ...(観察:私は、〜に気づきました)とinterpretation: That suggests to me ...(解釈:そのことから、〜と思いました)に引きずられて、「何が見えましたか」、「どう思いましたか」と言ってしまったが、聞いている人には、前者が客観的な事実、後者が主観的な解釈、ということがわかりにくかったようだ。前者は、「舞台で何が起こりましたか?何がありましたか?」というような言葉にすればよかった、と帰宅してから気づいた。

2時間半の短いワークショップだったが、ディヴァイジングの方法についてよくわかった。ただ、どうしてディヴァイジングで演劇を作りたいのかということは、依然として私にはよくわからない。


03/04/2005(金)

歯科へ。2002年秋にダブリンで痛くなって大変だった歯を抜いた後に、インプラントを入れるのだ。手術中、ゴリゴリゴリゴリという単調なドリルの音を聞いているうち眠ってしまったのには、自分で驚いた。自慢じゃないが、私は大変怖がりの痛がりなのである。この先生に診ていただくようになるまで、歯医者さんの治療椅子の上で肩の力を抜けることなんて、なかったのである。信頼できるよい先生にめぐりあえて、本当によかったです。

「痛みますし、腫れますよ」と言われて覚悟はしていたのだが、帰って1時間くらいで猛烈な痛みが襲ってきて、寝転がって泣くしかなかった。鎮痛剤を飲んだら、けろりと治ったが。


03/03/2005(木)

送られてきた化粧品サンプルを使ってみる。洗顔フォームが、気持ちいい。


03/02/2005(水)

髪を切った。なんだかんだで5カ月ぶりだった。

湘南新宿ラインとかなんだとか便利そうな線が増えたみたいだけど、新宿から大宮にいま行くにはどれに乗ったらいいのかということがわかりづらい――と常々思っていた。きょう新宿駅と大宮駅を利用したら、「大宮(新宿)に一番早く着くのは何番線の何行きか」という表示が出ていて、便利だった。そう、こういうのが欲しかったんだ。いつ付いたんだろう。


03/01/2005(火)

青年団リンクRoMT『ランドスケイプ』初日を見る。個々のシーンはおもしろく、個々の俳優も素敵なのに、全体的にこの構成で何を見せたいのだろうか、という点が私には明確に届いてこなかった。ぶつかりあう人たちとすれ違う人たちの差が、見ていてはっきりわからなくて、「もっとぶつかりあえばいいのに。もったいない」と思いながら見ていた。でも、アゴラ劇場が不思議な空間に変容している様は非常に興味深かった。


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