『エクリプス―蝕―』日記


青年団国際演劇交流プロジェクト2002『エクリプス―蝕―』に参加したときの記録です。

1998年、フランスのワールドカップサッカーのとき、参加各国の戯曲のリーディングを行なうという関連企画があり、平田オリザとバリー・ホール氏が出会いました。その後、ホール氏が新作戯曲の日本公演を希望し、平田オリザが総合プロデューサーをつとめる今回のプロジェクトが企画されました。

松田 弘子
2002年4月・記す

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10/31/2001(水)

バリー・ホール氏の新作戯曲の世界初演を日本でおこなうプロジェクトのことは去年から聞いていて、演出が劇団桃唄309の長谷基弘さんに決まったとか進捗状況は知っていたけれど、作夏のバリー来日時に飛ぶ劇場出演のため北九州に行っていて会えなかったこともあり、いままであまり自分のこととして考えていなかった。

きょう、戯曲の荒訳を青年団内でだれかに担当してほしい、という話があった。最終的な翻訳は長谷さんがやるので、直訳(「直訳」が可能かというのは疑問のあるところであるけれど)的な「荒訳」をしてほしいとのこと。時間的に余裕もあるので(なにせ演劇の予定が皆無)、引き受ける。


11/04/2001(日)

長谷さんと連絡を取り、翻訳の目的を確認。とりあえずはオーディションに使う台詞がほしいということで、戯曲全体を大急ぎで訳す必要はないことが判明。台詞単位の英日対訳形式で、できた分から10ページごととか分けて送ってほしいとのこと。翻訳ってだいたい頼むほうは分納を希望するんだけど、アタマから順番にできあがっていくというものでもないので困る。でも今回のは、「荒訳」でいいのでそれほど気にはならない。


11/12/2002(月)

きょうまでに、4回に分けて翻訳結果を送付。始めたときはもっと時間がかかると思っていたが、なんだかするするするする進んでしまった。理由の一つとして、不明点は荒訳の後で長谷さんから作者に直接問い合わせてもらえばいいからそういったことを調べるのに一定以上時間をかけなかったということがあるけれど、それよりもなによりも、内容がおもしろくてどんどん訳したくなったという点が大きかったように思う。おもしろい、というか、不思議な戯曲。「いつ」も「どこ」も、わざと特定できないようにしてある。「だれ」もなんだかあやふやだ。

長谷さんから、オーディション資料としてこの翻訳を内部公開したいとの打診あり。最終的な翻訳ではないので「翻訳調」なところがあるから、これを見てオーディションを受けるのをやめちゃう人が出やしないだろうか、という私の不安をお知らせし、でも公開するかどうかは長谷さんと平田にお任せします、とお返事した。

現時点での翻訳結果って、たとえば、こんな感じ(★で始まる行は、長谷さん宛のコメント)。

                        B
City keep you moving, put you on a treadmill, you go flat on your face, blood in your mouth your nose smashed purple. You stand still people give you space think you're vagrant crazy loitering.
都市に突き動かされ、トレッドミルに乗せられ、顔面から倒れて、口は血だらけ折れた鼻はまっ青。じっと立ってりゃ人が去る、アタマのおかしい浮浪者がふらふらしてると思われて。
★treadmillは、「踏み車」という訳が辞書に載ってますが、変だし、聞いてわかりません。後出のhamsterwheelの人間版という感じだと思いますが、トレッドミルで通じるのか(オンライン辞書英辞郎には載ってましたが)?「ルームランナー」じゃ変ですよね?

12/02/2002(日)

きのうときょう、青年団の俳優を対象にオーディションがおこなわれた。私はきょう参加。あの「荒訳」がこういう「台詞」になるのかと興味深かった。


01/16/2002(水)

オーディションの結果発表。まだ追加があるかもしれないが、永井さん、よーこ、マナ、私の4人の出演が決まった。この公演の話と前後して、友人を通して外部出演の打診を1件いただいていて、でも公演時期が完全に重なっているのでこちらの出演が決まれば断らなきゃならない…という状況になっていたので、
「残念ですが今回そちらには参加できないことになりました」
と連絡を入れる。あぁあ、去年の後半、というか2001年9月から2002年2月までの私って1つも演劇のスケジュールがなかったわけで、その辺に1本、4月に1本ってうまい具合に公演があればいいのに、なかなかそういう具合にいかない。


01/26/2002(土)

劇団桃唄309の公演ダウザーの娘を観る。桃唄の公演はだいぶ以前から観ているけれど、今度同じ舞台に立つかもしれない人たちの公演だ、と思ってみるとまたちがった感じがするもんだ。しみじみしたいい話で、涙ぐんだりしながら観てるんだけど、同時に、あぁこの人は一緒にやったらどんな感じなんだろう、とかも考えてた。

アメリカが舞台の作品で、登場人物もアメリカ人だったりするんだけど、台詞の一部が英語になったり、ある単語の発音だけ英語的になったりしていて、それだけは私は違和感があった。


02/01/2002(金)

作者バリー・ホール来日。これから公演が始まるまで日本に滞在し、稽古に参加するということだ。


02/02/2002(土)

初顔合わせ。主な目的は、バリーさんと長谷さんの打ち合わせだけど、せっかくだから集まれるキャストとスタッフも集まった。桃唄からの俳優の参加は、4名とのこと。

翻訳については、決定稿の完成を待って、まず私が戯曲全体の翻訳を再度担当し、その後でバリー、長谷さん、私の3人でミーティングをする、ということになった。以前私が訳したのは草稿で、決定稿はいま手書き状態でバリーが持っていてこれから入力するということだ。バリーは、コンピュータは、清書・改訂にしか使わないそうだ。私なんかいまやなんでもかんでもコンピュータで書いてるので、「原稿は手書き」という人に会うと、なんだか不思議な気がする。

長谷さんは、登場人物の何人かを男性の役から女性にかえたかったのだけど、バリーとしてはゆずれない線があり、長谷さんが思っていたほど大幅にはかえられないらしい。


02/07/2002(金)

予定より1日遅れて、24:00頃、完成稿を受け取る。翻訳作業開始。朝6時、作業の見通しが立ち、就寝。


02/09/2002(日)

どうしても意味のわからないところをバリーにメールで質問する。夜アゴラに行ったらバリーがいて、口頭で答えてくれた。


02/10/2002(月)

翻訳終了。データを長谷さんに送る。

きのうバリーから、他にも質問があったら遠慮なく聞いてくれと言われたので、質問事項と、「これはバリーさんのタイポ(タイプミス)だと思いますよ」という箇所をメールで送る。

11月12日に例として挙げた台詞は、結局こんな訳にした。

                        B
City keep you moving, put you on a treadmill, you go flat on your face, blood in your mouth your nose smashed purple. You stand still people give you space think you're vagrant crazy loitering.
都市が、街が、あんた小突き回す。走っても走っても進まない。顔から倒れて口ん中血だらけ。鼻はぺしゃんこ、青あざだらけ。じっとしててみなよ、みんな逃げてくぜ。アタマのおかしい浮浪者がうろついてるわー。

この戯曲の中心に「都市」というテーマがあるんだけれども、「トシ」というのは音で聞いたらとってもわかりにくい。これには困った。そしてところどころ、ここみたいに、「街」っていう言い換えも並べて付けておいたりした。


02/12/2002(水)

バリー、長谷さんと3人で、ミーティング。17:30くらいから始めて、終わったら20時だった。ネイティブアメリカン関連だと思ったところが聖書の引用だったり、これは「掛けコトバ」的な台詞だと思ったらそんなことはないと言われたり。また、翻訳でむずかしいことの一つは、ある単語がどのくらい具体的/抽象的か判断がつかない場合があるということなんだけど、その辺も一つひとつバリーに質問して答えてもらえたので、不明な点は、ほぼすぺて解決。

台本について、今後の進め方も決める。まず、私が、きょうのミーティングの結果わかった部分を再度修正して「マチコ版」を完成させ、稽古の最初はそれを使用する、その後は長谷さんが、固有名詞を日本語に変えたり、語尾等を変えたりして上演用決定稿に持っていく、ということになった。俳優には、英日対訳状態の台本を渡す、この座組みだったらそのほうがいいと思う、と長谷さん。

台本のコピー等の作業の担当者と、翻訳台本を渡す期限を相談。14日午後7時と決める。


02/14/2002(木)

修正をした後、最初から最後まで2回ほど通して見直しも終わり、17:30頃送信。終わった!

英語の師匠から、人の翻訳についてああだのこうだのばっかり言ってないであなたも1冊訳書を出したらどうかと言われていて、でもなかなかそのような機会がなかったのだけれど、今回、戯曲1本まるまる翻訳することができて、とても勉強になったし面白かった。


02/15/2001(金)

稽古初日。しばらくのあいだ、毎日の稽古は18時から21時までの予定。私にとっては、「ロケット発射せり。」以来半年以上ぶりの演劇の稽古だ。

まだ俳優が全員揃っていなくて、配役も決まっていない。きょうは、読み合わせ。

翻訳ではあるけれど、自分が書いた台詞を他人が声に出して読んでくれるというのは、生まれて初めての経験で、最初すごく緊張したけれど、Uの電話の台詞のところで小さな笑い声が起きて、あーよかったと思ったら気が軽くなった。全体として、すごく嬉しい経験となった。私は「書くときの句読点」と「読む/しゃべるときに区切る場所」は必ずしも一致しないという考えで文章を書くので、
「台本に書いたテン、マルのところでいちいち台詞を区切って読む人がいたらどうしよう」
と、それがちょっと不安だったんだけど、おおむね大丈夫だった。出演している俳優というより、きょうの私は、翻訳者として稽古場にいた気がする。明日からは、俳優メインでいこう。

3時間の稽古時間内に、配役をかえて、2回通して台本を読んだ。長谷さんから、俳優に、
「役作りは、原文をもとにしてするように」
という指示があった。

稽古の後、帰った人もいたけど、わりと大勢で飲みに行った。去年の夏に参加した飛ぶ劇場は、車で通ってきてる人が多いし稽古終わって飲みに行くってあまりなかった。この座組みは、けっこう飲みそう。


02/16/2001(土)

稽古二日目。きょうも読み合わせ。2〜3人での会話が複数同時進行していくんだけど、段組になっていない台本なので、だれとだれが話しているというのが一見してわかりにくく、たぶんきのうはみんな自分の台詞を順番に言うだけでせいいっぱいだったと思う。きょうになって、自分がだれと何を話しているのかということが把握できてきたようで、すこ〜し行く先が見えてきた感じがした。

最後の重役会議のシーンのト書きに、自分の誤訳を1つ発見。「電話する→対策がとられる」という因果関係を理解していなかった! 会議中に私用で携帯をかけてる人がいて、その通話の終わるまで会議が中断してるのかと思ってた。

きょうから五反田団の公演がアゴラで始まっている。きょうは本番は見られないけど、電話したらまだ劇場で打ち上げをしているというので、エクリプスの稽古の後アゴラに戻る。そしたら先日残念なことに出演をお断りした劇団の制作の方がいらしていて、
「ぜひまた声を掛けてください」
「次は9月なんですけどいかがでしょうか」
と、いきなり次の話が具体化した。

翻訳に関し、出演者であり、仕事として通訳・翻訳をしているマナさんから、きのう、誉められた。と同時に、指摘したいこともあるとのこと。時間があって見てもらえるなら、こんな嬉しいことはない。さっそくミーティングの段取りをつけなくては。長谷さん、マナに以下のメールを送信。

長谷さん、マナ、

Eclipseの翻訳に関し、マナ(志磨さん)から、指摘したい点がいくつかあるとい
う話があり、きょう稽古終わりのときに長谷さんにも少しお話ししたのですが、
決定稿を作るときに反映できるように3人でミーティングをしたらいいと思うと
いうお話でした。

最初は、「私のやることはやった、あとは長谷さんに全部お任せします」という
気持ちだったのですが、でも、考えてみると、たしかに3人で相談したほうがよ
い結果が生まれるように思います。最初にオーディションのために台本の翻訳を、
という話が来たときにはマナが忙しくて NGだったので、なんとなくそのままその
後も特に相談もしないで進めてきましたけれど、一緒にやってもらったほうがぜ
ったいいいものが出来るはずです。ふだん、翻訳は複数でよってたかってよくす
るべきだとか言ってるくせに、今回ころ〜っとそういう観点が抜けていました。
作者になんでも質問できるということにちょっと甘えていたかもしれません。

3人でミーティングをしながら、いまある原稿に赤を入れていくのがいいのでは
ないでしょうか(東京ノートの英語台本に、オリザ、マナ、私の3人で赤を入れ
たときのような感じで考えています>マナ)。ミーティングの結果、バリーに確
認したほうがいいことが出てきたら、それはそれから確認すればいいと思います。

ミーティングを受けての原稿修正は私が担当して、その後ほんとのほんとに最後
の手直しを長谷さんにお任せするということでいかがでしょうか。

もしこれでよければ、日時等を決めたいので、まず長谷さん、候補の日時を挙げ
ていただけませんか?
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  マチコ / 松田弘子
  Hiroko Matsuda
  hiroko@letre.co.jp

02/19/2002(火)

18:00から21:00、稽古。きょうから1週間、作家が不在。稽古のはじめ、長谷さんの指導で、二人一組でちょっとストレッチと全身マッサージをする。大学生のとき、そういえばアップの一環でこういうのやってたなぁ。血行がよくなって身体がぽかぽかして、リラックスしたのはいいけれど、もう稽古なんかしないで帰って寝たくなってしまったのはちょっと困った。

その後、リーディング。きょうから、史麻が参加。前回の稽古のときと同様、「XとYのいる場所」、「Uの部屋」、「Vのいる店」、「通路」等の場所にそれぞれ椅子を置いて、その位置に座って読む。人の出はけのあるところで区切り、その都度だれが何の役を読むのか決めて進めていった(俳優がまだ全員揃っていないので、いろいろと兼任をしないと進まない、という事情もある)。最後の重役会議の場面は配役を変えて2度やった。だれとだれが何の話をしているのか、ということが、やっと各自の中で明確になってきたようだ。そして、この戯曲の場合、演じる人がそうやって全体を把握することが、どうも必要なように思える(自分のパートだけきっちりやっていれば成立する作品もあるけれどそれとちがって、ということです)。

稽古終了後、長谷さんが1時間ほど時間があるというので、長谷さん、マナ、私の3人で台本(翻訳)のミーティング。結局1時間半で全体の1/3程度まで検討を終える。


02/21/2002(木)

簡単なマッサージの後、稽古。きょう、あすは、配役を決めることを中心にリーディングを行うとのこと。まだキャストが全員揃っていないので、ときには女性が男性の役を読んだりしている。警官の台詞を読んでいて、自分の誤訳を発見。TとUと、どっちがどっちかまちがえていた。

おとといまで、コーヒーメーカー、湯沸かしポットなどを置いておく「お茶場」を、稽古場の外のロビーに設置していた。通常の青年団の稽古だったら、シーンによって出演している人が限定されていてそれ以外の人は外に出ていたりするので、稽古場外にお茶場があったほうが稽古のじゃまにならなくていいからだ。でも、今回の作品では、キャストはみな常に、舞台上にいるかもうすぐ出るから待機しているという感じなので、これではお茶場が遠くて少し不便だ。それで、きょう、お茶場を稽古場内に移動した。


02/22/2002(金)

2月19日に引き続き、台本(翻訳)ミーティング。13時から17時で最後まで終了。

18時から稽古。きょうはマッサージなし。青年団若手公演の稽古があっていままでこちらの稽古に出ていなかったしまぷーとナベシンが、きょうあらたに加わる。複数の会話を、演出の指示で少しずつ重ねていく。おもしろいんだけど、指示にどれだけ忠実にしたがうか、そして、どのようなスピードで読むか、ということが人によってちがうので、あまりうまくいかない。配役もまだ決まっていないし。来週には配役を決定するとのこと。

帰宅し、食事した後、翻訳台本の修正(きょうミーティングした結果を反映させる)を終わらせ、長谷さんに送った。

今回の翻訳は、これ以上望めないようないい条件だったと思う。すなわち、

  1. 作者に直接質問できた
  2. 翻訳の使用目的がはっきりしていた
  3. 翻訳結果を複数の人にチェックしてもらえた
  4. 実際に俳優が稽古で台詞を言ったのを聞いてさらに修正することができた

ってこと。こんなことって、実はあんまり、ない。

「使用目的がはっきりしている」ってのはどういうことかっていうと、日本語のみを戯曲として出版するためだったら日本語を読んだだけでは曖昧になってしまうような表現は避けるんだろうけど、
「英日対訳形式で稽古場で使用する台本である」
「演出家は、原文の意図を理解している長谷さん」
「台詞つまり話し言葉としての翻訳である」
「上演用なので、上演時には台詞だけじゃなくアクションも伴うはずである」
ということが明確だったので、書いてある日本語だけを読んだら意味が不明瞭になってしまうような台詞でも、話し言葉としてこれがいいと思ったものを迷わず選ぶことができたということである。

たとえば、
"I want to know why I'm drinking wine from a beer glass?"
(直訳的に言えば、「私は、どうして私がワインをビールグラスで飲んでいるのか知りたい」)
という台詞を、
「(私が持ってるのは)なんでビールグラス?ワインなのに。」
と訳した(意図とか口ごもった先の発語されないコトバをカッコに入れて付けるのは、鈴江俊郎さんの台本で知ったやり方です)。

自分が俳優なので、しゃべれる台詞に、ということをとにかく心がけた。「原文は普通の語順なのに、訳文に倒置が多い」という指摘を受けたけど、で、言われてみればたしかにそう言えなくもないんだけど、こういう状況でいちばん自然に口から出るのはどういうコトバだろうかということをいつもいちばんに考えて訳した。もしかしたら、そこにこだわるあまりに逆に見落としている点があるかもしれないけれど、こういうのを大切にして翻訳するという作業は、すごくおもしろかったし、自分が言語についてどう考えてるかみたいなのもその中でわかってきたように思う。


02/25/2002(月)

18時〜21時まで稽古の予定。

仮の配役表が配られる。私はKという役だ。まだ男優が一人決定していないので、そのバランスで変更の可能性がある。また、それは別にしても、「アンサンブル」ということの大事な芝居なので、稽古をやっていく中で役の変更があるかもしれない、と演出家から説明があった。まだまだ演技を決めないで、いろいろ試してみてほしい、複数の人格を受け持っている役の人は、それぞれの人格をそれなりに変えてみてほしい、淡々とやるのではなく、とのこと。

長谷さんが手を入れて人名等を変更した(元々の英語台本に、翻訳上演の場合、登場人物名は作者の許可を受けた上で変更可能であり変更するのが望ましい、と書いてある)台本が、新たに配られる。その後、スズケン(美術)の到着を待って、舞台上のどこがどうなっているかという平面図を、稽古場の床にビニールテープで「バミッって」行く。思いのほか時間が掛かり、時間延長してもらって10時まで作業。


02/26/2002(火)

きょうの稽古は19時〜22時。バリー、長谷さんと希望者何名かで、昼間、文楽の公演を観に行く予定になっていたからである。

稽古の前に文楽帰り組で食事をしているときに、長谷さんがバリーに装置図面を説明。「神々」のいる「上段」のことが問題になる。

戯曲の要求として、ラスト近くに登場する「神々」は高いところにいる必要がある。ところが、この装置プランでは、高い部分が舞台中央に設置されており、客席との位置関係で、そこで芝居をしていたんでは観客から見えにくい。それで演出家は、高いところの神々が、もう少し低いステージに移動してきて重役会議をおこなう(つまり、3レベルの高さが存在する)というプランを考えてきた。作家は、移動なしにできるなら移動なしにしたいという。ここをもう少し低くできれば、このステージは要らないのでは? いやいやこことこっちは同じ高さにする必要がある。どうして?…、演出家、作家、装置家の思惑が交錯する。通訳したり話に割って入ったりしながら聞いていたので、私は、なんだか食べた物がどこに入ったのかわからないような感じだった。おいしい食事のはずだったのに、残念。

稽古場の床は、きのうから、「X、Yがずっといるバーのような場所」、とか「Uの家」、「Vの店」などの場所がバミられていて、その間を通路があちこちに走っている。すごろくか人生ゲームの盤みたい。

はりいは、フルートを吹く役。練習用になればとティン・ホイッスル(C管)を持っていき、使ってもらう。いままで口で「ぷーぷぷー」とか歌ってたのが笛の音になると、またちがったおもむきがあり、なかなかイメージが広がっていいような気がした。

台本の冒頭(Aの長ゼリの後)から始めて、長谷さんが、
「この台詞のときにここをスタートして、こういう経路でこう通って、このエリアに入って」
ということを、出はけのあるたびに指示していく。どの台詞とどの台詞を重ねるとか、ここは重ねないで待ってから言うとか、台詞の指示も。

私は、最初の出番は台詞が5つしかなくて、しかも最初の4つは「わかってる」という同じコトバなので、出番の前にそれだけは覚えて、台本を持たずに立った。どうも私は、台詞を覚えた後でないといろいろなことをする気が出てこない。

全体の1/4程度まで進んで、きょうの稽古は終わり。


02/28/2002(木)

18時〜21時稽古。前回の続き。2/3程度のところまで。だが、前回はほとんどの俳優が揃っていたがきょうは欠席の人が多く、台詞を重ねる指示はまったくなかった。きょうのところは、おおまかな動きを決めるという感じ。

私は、2回め〜4回めの登場部分の稽古があった。2回めは、お店に品物を買いに来る人。相手役のよーこが、こうやってみようかとか提案してくるのでそれにのってやってみた。3回めは内臓や体内の器官の名前を羅列する会話。ちょっと笑ってみようかと思ったら笑可しくて笑可しくてひくひくしてしまった。特に、直後に異端審問みたいなシーンをやるから、ここはほがらかに楽しいといいかもしれないと思った。

4回めの登場は、お店に品物を返品したいといってやってくる人。買いに来た人と必ずしも同じ人格じゃなくてもいいんじゃないかと思っている。この辺になると台詞がまだぜんぜん入っていなくって、楽しむどころじゃなかったのが残念だった。

自分がどうやって台詞を覚えていってるのかというのはたいへんに興味深いテーマで、今回とくに面白いのは、順番でいうと他の人の会話がキッカケとなってしゃべるわけなので、その辺を自分がどうやって処理しているのかに興味がある。だれのどの台詞に対して答えているのか、ということと、順番でいうとだれのどの台詞の次なのか、ということ、この2つにまず注目していることがわかる。そして、実際に発語する前のどの時点(だれのどの台詞の時点)で発語の準備をするのか、とか細かく決めてってるみたいだ。2つ前の台詞になると「あ、もうすぐだ」と気持ちがざわざわしたりする。
(この辺のことについて公演中に知り合いの掲示板に書いた文章が、4月13日の項に載せてあります)

長谷さんが、稽古場で台詞を少しずつ変更し始めた。

帰り道、翻訳の件でバリー、長谷さんと2点ほど話す。その後バリーと二人でご飯を食べたんだけど、舞台装置に対する懸念を聞く。
「装置・照明に口を出さない劇作家、演出家もいるが、あなたはいろいろ意見が言いたいようだ。そうだったら、はやい時期に演出家、舞台美術家とミーティングをしたほうがいい」
と意見を述べる。そして、こういう話をしましたよ、と演出家にメールで知らせる。

長谷さん、

どうもたびびすみません。今夜はメールを書いてばっかりです。

俳優として参加しているのにスタッフワークについてどうこう言うって、私にとっ
てはあんまり居心地がよくないのですが、きょう食事してたときに舞台装置の話
になったので、ご連絡しています。今回のプロダクションの進め方について、長
谷さんがバリーやスズケンや平田とどのような話をしてきていらっしゃるのか知
らないで書いてますんで、もしひどくとんちんかんなことを言ってたらごめんな
さい。

バリーからこのような疑問が出ました。

いまの舞台図面のように円周上の通路をぐるぐる回っていくというのも、それは
それでありだと思うが、気になっていることがある。つまり、台本のト書きには、
「下段」の舞台が、最後のシーンの前に片方の端から暗くなっていって最後はX
とYのいるところだけが明るい状態になることになってる。これによって、Gが
上の段の重役会議へ移動するのなんかも観客に見えないようになってるんだけど、
そういうことがうまく実現できるだろうか。舞台中心に向かって照明の明るいエ
リアがだんだん狭くなっていく、みたいなやり方もできるのであろうが…。

というような話でした。私の意見としてバリーに言ったのは、

舞台装置や照明について何も注文をつけない劇作家や演出家もいる。でもバリー
はこないだも重役会議の場所についてしゃべってたみたいに、意見を言っていく
劇作家なんだったら、演出家、装置家、照明家と一緒に一度ミーティングをした
ほうがいい。早めにそのスケジュールを決めたほうがいい。

ということです。バリーは、all the designersとtechnicalなことのミーティン
グをしたいと言っていました。

翻訳や台詞については、きょう長谷さんが「まとまってから」とおっしゃってた
とおり、先に日にちを決めるよりも、まとまったらその時に話をするのがいいと
思いますが、装置となると、図面の変更や資材の発注、実際の作成作業に時間も
かかることですし、それに少なくとも長谷さん、バリー、スズケン、西本の4人
が揃わないといけませんから、ミーティングの日時を先に決めておいたほうがい
いと思います。

または、長谷さんやスズケンのほうで、バリーとそのような話し合いをするつも
りがないのだったら、そのことを伝えていただけたらと思います。「つもりがな
い」ということはないように思いますが、どこまで口を出してほしいかほしくな
いかみたいなことでもし誤解があるんだったらたいへん、と思っています。

といった次第です。よろしくご対処いただけますようお願いいたします。

ここから雑談です。台本の舞台装置についてのとこに
「言うまでもないが、多くは演出家、美術家の自由にまかされている。
(Obviously, much is left up to the director and designer.)」
とある割にはいろいろ注文つけてくるんだなーと、最初、私は意外でした。でも
こないだバリーが、
「あれだけ注意書きを少なくしたんだから、書いた注意書きは守ってほしい」
というようなこと(ト書きについてだったかもしれませんが)を言っているのを
聞き、あれは「自由に変更してよい」という意味じゃなくて「台本に指示してな
いことは自由に決めてよい」ということだったのかー!と少し驚きました。

では、稽古場で。
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  マチコ / 松田弘子
  Hiroko Matsuda
  hiroko@letre.co.jp

03/01/2002(金)

長谷さんの都合で、稽古は、9時〜22時。きょうニューヨークから奥さんが日本に着いたバリーは、お休み。

きのうまで他の芝居に出ていた青年団永井さんと、最後にキャストに決まったNEVER LOSE谷本くんが、きょうから稽古に参加。きのうまで病欠だったバビィもきょうは復活したので、青年団若手公演(3月5日〜12日)に出演する島田、渡邉の2名以外のキャストが、きょうは全員揃った。

再度冒頭(Aの長ぜりは抜かして)から。ある台詞を初めて読む人(きょうで言ったら、永井さん、谷本くん、演出助手の川隅さん)があると、今回の私は、私が書いた台詞をこの人はどういうふうに読むんだろう、と、ものすごく興味深く見てしまう。

休憩時間に、ゆきちゃんが、
「これってアメリカンジョークなの?」
と言っている。何かと思ったら、ゆきちゃんの台詞で、たぶんキリストのことなんだけど、「あぁ、あの新しいヤツ。十字架に掛けられたあいつだよ」みたいなのがあって、それのことだった。ゆきちゃんとバビィがやっている、XとYという人物は、バーみたいなところにだらだらだらだら座って世間の批判めいたことばっか言ってる。カルトの連中が野放しで政府何やってんだとか、いまはカップラーメンだコンピュータだって便利になったけどおれたちゃ肉が喰いたかったらバッファローを何日も狩ったよなーとか、ゲルマン人と戦ったローマ軍にいたような話をしたりもする。時間も空間もゆらゆらとぐにゃぐにゃとシフトしていく戯曲なので、とにかくどのことも全部「世間話」として話せばいいんじゃないの、と私は言ったんだけど、ゆきちゃんはなかなか納得しなくて、
「だって、これはどういう意味だって聞かれたらどうすんだよ」
「だれに?」
「お客さんに」
「書いてあるとおりに言ってます。解釈は演出家に任せてます、って言えばいいじゃん」
ゆきちゃんはそれでもやっぱり納得しないのであった。

自分の出番についていうと、内臓シリーズのところで、先日の稽古でどの経路を通ったか皆なかなか思い出せず、私は私で代役で立ってくれている人の歩くペースが遅いことに内心いらいらしてしまったりして、ちょっとギスギスしてイヤな感じだった。一瞬だけど。あー、余裕をもって稽古に臨みたい。


03/02/2002(土)

18時から21時少し過ぎまで稽古。自分のことでいうと、「返品」(ある程度、台詞をどう重ねるかの指示が出た)と「内臓」そして「宗教裁判」。

「宗教裁判」(というか、の一歩手前)のシーンでは、谷本くんと私で朝子を責めるわけなんだけど、谷本くんがくっついてくるので、責める二人が肩寄せあって立っているというシュールな展開になっている。谷本くんはどうも、台詞に不安があるとくっついてくるようだ。

そこと、その後と、ウメモト夫人を責めるシーンが2回あり、この辺は遊んでるのかなんなのかバリーに聞いてみないと、と長谷さんが言うので、同じように責められるんだけど最初のシーンは中世の魔女狩りみたいなヤツだから「悪魔と関わりがある」という回答が求められていて、2番めのはいまの時代に警察にしょっ引かれたって感じなので中世で望まれていたような回答をすると「何ふざけてんだ!」ってことになる、という、いつかバリーに聞いた話をした(1回めと2回めでちがう人が「ウメモトさん」として同じように責められてるのがどういうことなのかよくわからなくて、私も、以前バリーに質問したのである)。
「だいたいわかったけど、きょうはやりません」
とのこと。時間がないから、ということだと思うけど、みんなのいる前で言うべきことじゃなかったかな? 今回、台本の翻訳をした関係で、俳優として関わってる以上の関わり方をしている。ときどきめんどくさい。

稽古の後、何人かで飲みに行った。青年団の稽古のときだと、出番のない人はばらばら先に帰って行くしあんまり稽古の後飲まないんだけど、今回は帰りにだいたいみんなで駅まで歩くから、「ゴハンを食べていこうか」とか「ちょっと飲みに行こう」とかいう話がよく出る。そして「きょうは帰る」「きょうは行く」とそれぞれ自分の都合で行ったり行かなかったりしている。この感じ、気楽で好きだ。


03/03/2002(日)

バリーから、約束通り、台詞を多少追加した改訂版台本が送られてきた。


03/04/2002(月)

稽古18時〜21時。3月に入ってからバリーは稽古に姿を見せていない。

前回もやったP.41あたりからのところを、重ねる台詞を増やしながら、何度か繰り返す。そして、冒頭のAのモノローグから始めて、さっきやったところまでずっとつなげてやっていく。よーこの店から買い物をする、
「?」(買うの?どうするの?)
「!」(買います、買います)
という、台詞なしのやりとりがあるんだけど、私はどうしても半分アタマの中半分口の中で台詞を言いながらやってしまう。

冒頭のAの台詞は、いままで何人かの人が読んだけど、「さて、と…始めようか。『か』?…。」のところを、書いた私の意図にあうように(「始めよう」=独り言、「始めようか」=他人への呼びかけ、というコンセプトで書きました)読んだのは、きょうの谷本くんが初めてだった。嬉しかった。

休憩の後もう一度冒頭からとなったときに、長谷さんが、
「Kの動線はまだ決まらないんだけどこの辺から出て…」
と説明を始めた。え、Kって私だけど、なんだっけ??

実は、Aの台詞の前に、Kが登場する台詞のないシーケンスがあるのである。それは知っていたのだが、「ものすごく歳とった女性」として「あしを引きずり、ぶつぶつ独り言を言いながら登場」するというのを、物まねにならずにどうやってやるのかというのを考えるのをなんとなくなんとなく先送りにしてきていた。最初台本を読んだときおばあさんは絶対朝子だと思っていたこともあり、どうも自分のこととして考えられないでいた。

そして、きょうはそのままなんとなくお茶を濁すような演技をしてしまった。キャスティングも本決まりじゃなく、段取りも決まっていない状態で「役作り」をするのは、どうにもこうにも恥ずかしい。それに、いまの状態でいろいろ試してみても、きっと何をやったか後で覚えていられないように思う。でも他の人がシーンを繰り返し稽古するごとにちがう作戦を打ち出してきたりしているのを見ると、私はさぼってるみたいに見えるのかなぁと心配になったりしている。

追加の台詞のことも含めて、もう一度翻訳ミーティングをやることになった。期日は、あさっての稽古あと。


03/05/2002(火)

きょうは稽古は休み。午後、キャストやその他の俳優を対象にした、バリーのワークショップがあった。全3回のうちの1回め。

一言で言うと、台詞を言う根拠を意識しろ、動きのヒントは台詞の中にある、という内容だった。

テキストは、シェイクスピア。たとえばハムレットが、正確な台詞は忘れたけど、「筋肉よ、支えてくれ」と言うってことはその前に筋肉がなえてしまったからだ、というように、台詞の中から動きの手がかりを見つけていく練習をした。「1つの台詞の中でも、『この部分を言う根拠は?』『この部分を言う根拠は?』と細かく意識するべきだ」、そして「アタマで考えるだけじゃなく肉体的なこととして動作等につなげていく練習をすべきだ、台詞はただすらすら言っちゃダメ」とバリーは言っていた。

ただ、これは、演技に関するアプローチの一つということで紹介してるんで、必ずしもいつも絶対これをやれ、というわけではない。あと2回のワークショップでまだまだ他のアプローチも紹介する。いろんな方法を知って、そのときどきで役に立つ方法をどれでもかまわす使ったらいい、いろんな方法があるってことを知るのが大事だ、ということだった。

きょうの内容は、だいたいいままで私が自主的にやってきていた方法と同じだったけれど、他人から説明されてみると、なんかあらためて納得できた。二つの異なる目的(や感情)が「混在している」というのは、実生活は別にして舞台で表現するのは不可能かもしくはものすごくむずかしい、多くの場合観客の混乱を招く、そういうときは台詞のどの部分を言っているときには二つのうちどちらに大きく支配されているかというのを細かく意識していくことが大切、という話は面白かった。

最後に、「ロミオとジュリエット」1幕5場の、二人が初めて言葉を交わすところを使って、きょうやったアプローチを実際に二人組でやってみた。私のチームは、
「ジュリエットが『私の唇はあなたの唇から罪を受ける』って言ってて、で、そのあとロミオが『その罪をお返しください』って言ってて、返す前には罪を受け取ってるはずだから、この二人は、少なくともこの間には1回キスしている。そしてその後も、『くちづけの儀式みたい』とか言ってるから、もう一回キスしたにちがいない」
という解釈をして、プランを立てた。

最初に発表した組は、キスなしだった。バリーが、
「キスは、どこでするのか?」
と聞くと、その二人はきょとんとして答えられなかった。
「あぁ、たしかに、台詞の字面から『ここ!』ってはっきりは言えないだろうなぁ、私たちは深読みしたけど。でもバリーは、『キスをした』ってことに絶対の自信があるみたいだ。どうしてだろう」
と思って英語のテキストを見たら、先ほどのジュリエットの台詞が、
Then have my lips the sin that they have took.
(それでは私の唇は、(あなたの唇から)受け取った罪を持っている)
なので、すごく驚いた。じゃぁ、この台詞の前にもうキスしてるんじゃん、この二人。

あわててバリーに、
「日本語のテキストでは、時制の問題で、どこでキスしたのか特定できない」
と伝えたが、翻訳ということについて考えさせられたできごとであった。


03/06/2002(水)

18時から21時過ぎまで稽古。バリー、3月になって初めて稽古に来る。スタッフの見学もあり。

冒頭つまり私の登場から稽古開始。また作戦のないままやってしまう。どうしたいんだろう私は。とりあえず「ぶつぶつ独り言を言いながら」というところだけはやっている。稽古用に、「羽ぼうき」のかわりのふわふわしたハタキも用意できた。「ものすごく歳をとった女」、「足を引きずり」が、抵抗がある。でも、俳優が何かやんなきゃ始まらない。考えろ、考えろ!!

あぁ、いま思い返してみると、きょうの稽古では、私の出演するシーンが全部あった。

稽古の最後に、長谷さんが少し長く、今後の方針や注意事項などをしゃべった。自分に関係あるところしか覚えてないが、「果物シリーズ等の台詞は、意識的にすらすらしゃべるところもあっていいけど基本的には一語一語区切ってはっきり言うこと」、「1つのグループ内の人があまり距離的に離れてはダメ」、「2つ以上のエリアに人がいる場合、お互いに向き合わないようにする。逆側の縁ギリギリに背を向けて立ったりすると、狭い舞台で距離感が出せる」、「全体的にということではないが、各シーンの中での人間関係などをわかるようにして、シーンごとにリアルにしていく必要がある」、「他のグループの人の台詞を待つ『間』は、あまりあいだをあけず、どちらかというと喰い気味に。何をしている間なのかを決めていくこと」とのこと。

「果物シリーズ等」というのは、
"Papaya.... Papaya, mango, yam." (パパイヤ…。パパイヤ、マンゴー、サツマイモ) のような、果物・野菜なら果物や野菜の名前、楽器なら楽器の名前がだーっと続いている台詞のことだ。長谷さんは、文章のようにすらすら言わないで一語一語区切るように、ときょう言ったけれど、以前バリーとこの一連の台詞について話したとき、バリーは、

というようなことを言っていたので、帰り道、長谷さんにそのことを伝える。
「じゃぁ、助詞を入れてみようかなぁ」
なるほど!

稽古のあと、場所をかえて、翻訳のミーティング。冒頭のAの台詞で気になっていた部分(最初の私の訳はまちがっていた。マナの代案は説明的だった)があり、きょう稽古前にバリーにくわしい意味を聞いた上で新しい訳を考えたのが採用になった。「絶対確実」というイディオムmoney in the bankにあてた訳「あたり前田のクラッカー」は、台本から姿を消すことになった。ちょっと残念。でもたしかにそこだけ「私」色が妙に濃かったから、あれはないほうがいいかもしれない。でもちょっと未練。2時間ほどで終了。


03/07/2002(木)

18時から21時15分くらいまで稽古。最初に、2チームに分かれてそれぞれの陣地から1人出発し、出会ったらじゃんけんして、負けたら次の人が陣地から出発し直す、勝ったらそのまま敵陣向けて進む、そして敵の陣地まで達したチームが勝ち、というゲームをした。なんとかって名前があるらしいけど、私は知らない。

冒頭から立ち稽古開始。Aの膝掛けはたとえばこんな感じでどう?とキルトを持っていったのだが、なかなか好評。演技のほうはというと、緊張して、「羽ぼうきを掛ける」段取りを忘れてしまった。

途中止めて台詞の変更を伝えながら、1/3くらいまで進む。「あたり前田のクラッカー」から「ぴったしカンカン」に台詞が変更になって、そこのところがすごく生き生きして見えた。果物等シリーズの台詞に「助詞」が入って(「パパイヤは…。パパイヤは、マンゴーが、サツマイモ」)、数段面白くなる。やっぱ、劇作家ってすごいなぁ。

永井さんの歓迎を兼ねて、数人で飲みに行く。私がやってる冒頭のとこの演技について、どうなんだろうかと聞いてみる。肯定的な返事がかえってきて、意外だったり、ほっとしたり。

帰宅後、衣裳のことを考える。なんか、手持ちの服でなんとかなりそうな気がしてきて、とっかえひっかえ着てみる。黒かグレーの長袖Tシャツとスパッツを基本に、ちょっとずつ何かを足す作戦。

キャラクター衣裳小道具
直す老女長いスカート羽ぼうき
二股かけられ女短いスカートお弁当包み
買う女グレーのキュロット肩掛けカバン、財布、お金
内臓と審問短いスカート、フード付きのコート罪状リスト
返品したい女ベスト、グレーのキュロット買った物
コーヒーを出す女長いスカートトレイ、コーヒー6人分

近いうち稽古場で見てもらおうと思う。


03/08/2002(金)

午後は、バリーのワークショップ第2回。きょうはいわゆる「メソード演技」の手法。過去の感情を思い出したりするのはどうもuncomfortable(居心地が悪い、違和感がある)だと言ったら、そりゃ自分の内面の深いところを探るんだからuncomfortableに決まっていると言われ、なんだかホッとした。なんか、すらすらやる人いるじゃないですか、演劇のための手段として課題に取り組むんじゃなく、その課題をやること自体がうまくなっちゃうっていうか。それがいいとは思えないんだけど、もしかしたらワークショップってそういうことが求められてるのかなーとちょっと不安になったりしたこともあったので、バリーの答えを聞いて安心した次第。

ワークショップの内容と関連して聞いた話だが、アメリカの俳優は、オーディションのときにやってみせる用に、長い台詞を常時数個は覚えているんだそうだ。現代劇の悲劇、喜劇、古典の悲劇、喜劇、若めのやつ、年寄りめのやつ、みたいな感じで。

稽古は18:30〜21:30。冒頭から、タイミング等すこし細かく決めながらやっていった。半分くらいまで。その後後半の台詞の修正。そして再度冒頭から。最初のKの無言(ぶつぶつ言っている)シーンの、いつ何をどうするかというのが、私なりにだいぶ決まってきてやりやすくなってきた。異端審問は、谷本くんが第一声をがーんと強く言ったので、私もそれに便乗して80年代小劇場演劇の典型のような大声早口をやってみた。衣裳を着て見てもらったけれど、特にコメントなし。髪型どうしようかと聞いたら、いまのままで、とのこと。


03/09/2002(土)

14時稽古開始。冒頭から。ある程度の長さをまずやって、それから、その中の「XとYの会話だけ」「VとTの会話だけ」「HとGの会話だけ」というふうに抜き出して稽古。ニュアンスや段取りをわりと細かく決めていく。自分が出てるシーンで、他の人が何をしてるのか、初めて見た。とても興味深かった。

日本で演劇を勉強しているカメルーン人サミュエルさんが稽古を見学に来た。

1時間の食事休憩をはさんで、21時過ぎまで稽古。台本後半の、「異端審問」シーンは、私はまだ台詞が入らない。谷本くんは、私よりは暗記しているけれど、緊張してとんでもないことを口走ったりするので、みな、爆笑。とてもおもしろいシーンになりそうだが、ずーっとどなってばっかりもいられないので、次回はもっと細かく作戦を立てて稽古に臨もうと思う。

ラストシーンは、それまでとがらりと雰囲気がかわる。ラストシーン直前までは、私はこの戯曲がけっこう好きだけれど、最後の重役会議のシーンはどう受けとめていいのかまだまだわからない。

きょうの稽古の帰り、うわさに聞いていた、桃唄恒例の「駅ビー」(駅でビール)を初体験。各自飲み物等を買って、駅ビルの、テーブルや椅子なんかのある休憩スペースでしばし語らう。普通「駅ビー」と言ったらその辺にしゃがんで飲むんだそうで、椅子とかあるこんなゴージャスな駅ビーは初めてらしい。


03/11/2002(月)

バリーさんのワークショップの最終回。きょうは「リビングシアター」の手法。演技自体というよりも、一つのカンパニーとして一緒にやっていく相手の俳優のことを知り、お互いの間の壁をなくして共同創作の地盤を作っていくためのエクササイズだそうだ。最後にやった、2人1組で、一人が俳優、一人が照明オペレータ(懐中電灯を使用)となって4〜5分の演劇作品を作るというのがおもしろかった。「照明が、必要不可欠な要素となっていること」というのが条件だ。懐中電灯の明かりを飼い犬(いじめられて逃げていくが、やがて戻ってきて飼い主と仲直りする)や赤ちゃん(お母さんのお腹にいる胎児が、生まれ、育ち、そして自立して去っていく)に見立てた組もあれば、最初は火の玉、後半は朝日と使い分けた組もあり、台詞の使い方で言っても、ほとんどを動作にたよって最小限の台詞しか使わなかった組や照明オペレータが登場人物以外の複数の声や音響を担当した組や、本当に多様で、この人はこういうことをする人なのかーというところで驚きや発見があった。前回と今回のワークショップについて、バリーさんは、
「自分がどういう俳優なのか、たとえば、人のすることについていくほうなのか、先頭に立って仕切るほうなのか、というのがわかるし、そういう俳優である自分自身をいいと思っているのか変えたいのかを考えるきっかけになる」
と言っていた。たしかにそのとおり。

稽古は18時から21時半近くまで。修正版の新しい台本が配られ、まず、ラストの重役シーンを2度やる。私はコーヒーを出すのだけれど、舞台図面が確定していないので広さがまだ決まっておらず、本番用のテーブルも椅子もない状態なので、なんの手がかりもない。というのをいいわけにしてけっこう適当にやってしまった。稽古終了後にたずねてみたら、本番もおそらくいまの稽古と同様に狭い、とのこと。どうやって人々の肩越しにコーヒーを出すか、考えねばならない。冒頭とこのラストでの「海老原さん」であるときのKの衣裳の候補(濃いグレーの、スタンドカラーのブラウスとキュロット)を演出に見てもらう。すごくいいとのことだった。

その後、冒頭から。「ぶつぶつ独り言を言う」は、台詞を決めないと再現性がないので、実は最初の稽古の時から、ある詩をぶつぶつぶつぶつ言っている。

次の「二股かけられ女」は、最後の台詞が終わった後の「じゃぁね、さよなら」というような別れの表現の部分が「中途半端に具体的」と言われ、Q(マナ)からK(私)に何か物を渡す、というのをやってみることになった。「買いに来る人」は、店の中でのQとV(よーこ)の会話を無視しないで聞くように、と指示あり。私はいままで、
「このシーンのマナと私は、さっきのシーンのマナと私と別人である」
ということを考えることでアタマがいっぱいで、Qに関しては「無視する」という選択肢しか考えていなかった。たしかに、変だよね、あの近さで完全無視したら。

「内臓」については、いままでなんとなく中学生の会話みたいにやっていたんだけど「宗教的にできないだろうか」と演出からの提案あり。「異端審問」は、怒鳴るポイント等を決めて全体的にはもうすこし抑え目でいこうということに。


03/12/2002(火)

14時から21時半。まず、重役会議シーン。コーヒーは、Aに出す、下手の2人に出す、上手の3人に出す、の3動作にまとめることに成功。その後冒頭から。17時から一時間は、新しい舞台図面に沿ってバミリの修正をみんなでやった。夕食休憩は外に出たくなり、ぶらぶら歩いてハワイアンの丼の店に行った。先週つぼみだった道ばたの白木蓮が、すっかり開いていた。半熟目玉焼き(大好物)やチキンののった丼をおいしく食べて稽古場に戻ると、ロビーにいたゆきちゃんが、
「食べに行ったの?どこ?」
これこれ、と説明すると、
「今度行くときは誘ってよ」
「行く?一緒に」
「一応誘ってみてよ」
とのことだった。一応…というこのゆるやかさがけっこう好き。なかなか居心地のいい座組みだな、と思う。

19時再開。もう一度冒頭から。新しい舞台図面で動線が一部変わった部分があり、新しい段取りが決まっていった。「二股かけられ女」のシーンでの歩く道筋もかわった。

稽古終了後に演出から、歩きながらのシーン全般について、相手との関係や、どこから来てどこへ向かっているのかということを、別に演出や観客に説明する必要はないが演じる人の間で具体的にしておいてほしいという話があった。それは、相手役と共有したほうがいいの?と質問したら、そうだという答えだった。

『エクリプス―蝕―』は「全体的に抽象性が高いが部分部分はものすごく具体的なほうがうまくいく」という特殊な戯曲なのでそのようなアプローチが必要だし有効だろうということはわかるのだけど、相手役とそういうことを話し合うのはどうも照れくさいというか、苦手だ。『ロケット発射せり。』日記に書いたように、

台本に書かれている台詞の前にどんなことをどう話していたかなんて、書いてないんだからわからないし、俳優同士で話をあわせておく必要もない、と、私は思っている。その人と私でぜんぜん別のことを考えていたり、もしかして私かその人が何も考えていなかったりしても、私はぜんぜんかまわない。「どう見えるか」と「どう作っているか」にはそれほど密着した関係がないと思っている。大切なのは「どう見えるか」で、だけどその全体像は演じている自分たちにはわからないので、最終的な判断は演出家に任せるしかしようがない。そういう立場だ。

と思っているので、相手役と話し合って設定を考える、ということにどのような必然性があるのか納得がいかない。考え出した設定にみょうにとらわれて、相手との「いま、ここ」のやりとりのさまたげになる可能性もあるんじゃないの?って思う。でも演出の指示だし、やってみようとは思っている。と言いつつ、きょうは話をしないで帰ってきてしまったのだけど…。

この戯曲では、たとえば、一人の俳優が「E」という役を演じるんだけれど、そのEは劇中で複数の名前で呼ばれているし、さっきのシーンのEと今度のシーンのEと、明らかにちがう人のように書かれていたりする。それできょうまで、それぞれの俳優は、「このシーンの自分は、こんな人」というのをシーンごとにわりと区別して作っていた。ところがきょうの稽古後に演出から、
「すべて1つのキャラクターとして演じてくれ」
という指示が出て(バリーとも相談した結果だという)、俳優陣(私も含め、)のアタマに大きな疑問符がぼこぼこ浮かぶのが目に見えるようだった。
「別の人かもしれないけど1つのキャラクター」
という演出の言葉はどういう意味なのか。帰り道で朝子と話した、私の考えは、
「買い物に行くとか、オフィスでコーヒーを出すとか、それぞれ状況はちがうんだけど、やってる人は全部ドラえもんである、みたいにやる、ってことじゃない?」
ということだ。最初に長谷さん(演出)、バリー(作者)と私(翻訳)の3人で戯曲の翻訳に関するミーティングをしたときに、いくつかの役をやる場合でも「同じ俳優が演じている」ということが観客にはっきりわかったほうがおもしろいと思う、ということを自分でも言ったことを思い出す。「同じ俳優」なのか、「一人の俳優が演じている一つのキャラクター」なのか、…ここに大きなちがいがあるのか、ないのか。しばらくかけて探っていこうと思う。


03/13/2002(水)

きのうの「通路シーンの、相手との関係やシチュエーションを、具体的にしておいてほしい」という演出の指示についてまだもんもんとしながら稽古場に向かう。あぁでもそうだ、たとえば、「会って、話して、物を受け渡して別れる」というのがうまくいかないのは、「話が終わった→物の受け渡し」というところに因果関係というか必然性がなく漫然とやってるからなんで、「物を受け渡すために会ったら、たまたまああいう話になった」というつもりでやればいいのではないか、よーし、そこだけ相手と話せばいいや、と考えてちょっと気が楽に。

「問題は『どう見えるか』なので、作り方は問わない」と長谷さんが言った、という情報を途中で入手。つまり、話し合って設定を決めなくてもかまわないんだ!と、すごく気が楽になる。

稽古は14時から21時半。重役シーンから。きのうから、それぞれの俳優が戯曲のアタマから最後まで同じキャラクターとして演じる、ということになったので、それに伴い、私がコーヒーを出すときも、出す相手それぞれに対する「好き嫌い」を態度で示すことになった。その後、アタマから。ある程度の長さを1回全体的に流して、それから、各パーツを抜き出して稽古。けっこう大げさな感じの演技も多く、見てる人から笑い声もあがるんだけど、同じオーバーアクションでも、おもしろいところと、見ていてしらけるところがあって、興味深い。私はテキストに頼って演技を組み立てるほうなので、テキストにまったくない要素を持ち込んで作っている人に対してはどうしても見方が批判的になる。また、台詞を言っていない「間」の部分が「うまっていない」ように見えると、それも気になる。ひるがえって、自分は他人にどう見えているのだろう。

「二股かけられ女」のシーンで、あるエリアから出るとき、その後の身体の向きから逆算して
「ここは左足から外に出て」
と指示される。たしかにそうすると、すっとターンできる。長谷さんの、こういった、「歩き方、曲がり方」のノウハウには今回たびたび感心させられている。いつも大げさにくるっとターンしているヴォイジャーのジェインウェイ艦長にこのワザを教えてあげたいなんて思ったりする。

「赤ちゃんシリーズ」で山ちゃんが、
「なんかちがう」
と言われている。あそこのシーンは、翻訳していて一番台詞に思い入れのあった部分で、というか、原文を読んだときにわりと強いイメージがあって、それに引きずられてわりとくせのある、ニュートラルじゃない台詞を書いちゃったので、人によってはたぶんなかなか言いにくいんだろうなぁと思っている。なんだか気の毒になる。演出は、
「原文に頼れ」
と言っている。山ちゃんが英語ができるかできないか私は知らないんだけど、もしできないとして、「英語わからないからわかりません」って言える雰囲気なんだろうか、どうなんだろうか、と他人事ながら気にかかる。どういうつもりで書いたのか一回言ってみてくださいよ、って私に聞いてきてくれればなー、なんて思うけれど、翻訳者は翻訳者だけど一緒にやってる俳優同士でもあるわけで、そういうことけっこう言いにくいかも。残念である。

「山ちゃん」というのは、桃唄の俳優、山本さんである。青年団内にも「山ちゃん」と呼んでる人がいるので、最初山本さんのことは「山さん」って呼んでたんだけど、本人の希望で「山ちゃん」に変えた。

中盤部分について、だれのどの台詞とだれのどの台詞を重ねる、という指示が山のように出る。それから、その部分を稽古。私に関係あるところでは、「内臓シリーズ」→「異端審問」の辺だ。新しい装置図面になって、動線がまたずいぶん変わった。タニーも私もほとんど完璧に台詞が入ったので、なかなかスムーズに行って嬉しかった。夕方から参加のナベシン(青年団若手公演の本番があったのでしばらく稽古に来ていなかった)は、ほとんど初めての稽古なのに、物怖じせずマイペースでちゃんとやっている。きっと本人に聞いたら緊張してるって言うと思うけど、なかなかしっかりして見えて、同じ劇団の者として、頼もしい感じがした。

稽古終了間際に、最後のバーのシーンからラストまでをやる。

帰り道、懸案になっていた「祈っていた」の訳について長谷さん、マナと話す。話者は「仏教徒である」と作者から回答があったので、さてこれをどうするか。「念仏を唱える」で行こうという話に。

「駅ビー」の後、帰りの電車で山ちゃんと一緒だったので、例のシーンに話を向けてみる、が、やはり、ちょっと警戒されたようだった。ていうか、時間をかければ大丈夫だと思いますので、と言われた。やっぱいろいろ言われたくないのかな、と思った。山ちゃんとはまだあまり話したことがないのに、話を急ぎすぎたかもしれない。


03/14/2002(木)

キャスト全員揃う。情宣用に集合写真を撮る。稽古着から私服に着替える人、私服に着替えたけどやっぱり稽古着に着替え直す人など、それぞれの思惑が交錯して、なかなか楽しい。稽古(14時〜21時)の後、「小道具」、「衣裳」などの係り(管理をする人)を決める。私は「生活」。お茶場をきれいに使ってもらうとかゴミの捨て方を徹底するとか、そういう係り。

衣裳の、「神々のマント」は、作ることになり、私が担当。青年団公演のとき、「布」系の作り物は、私が関わっている公演では私が担当することが多い。たいへんだーという思いと、どんなふうに作ろうかワクワクという気持ちと半々。長谷さんは、「貫頭衣」のようなものでいいと最初言っていたけれど、全身を覆っていてさっと脱げる物となると、「かぶる」より「着る」形のほうがいい。じゃぁマジックテープか、と長谷さんが言ったけれど、外すときに「ジャッ」と音がするから、やっぱりボタンのほうがいい。素材、色は、舞台装置とのかねあいなので、美術のスズケンに決めてもらうことになった。


03/15/2002(金)

午後は、パートごとの抜き稽古。「お店」のシーンで私が買う物は、異端審問でタニーが持っている三叉の矛、ということになった。
「他の店でも売っているということなので、飾り物でなく、機能的な商品」
という長谷さんの考え方は、おもしろいなぁと思った。「色が気に入らない」と返品にくるんだから装飾品だろうと、私は考えていた。

異端審問シーンもやる。夕食後に全体で流してみると、実際の台詞のキュー(他のグループの人の台詞)を聞き取るセンサーが鈍ってしまっていて、というか、自分たちの話の流れで台詞が出てくるようなスイッチ構造に自分が変わってしまっていて、さっきパート練でできたことが再現できなくなっていた。自分のグループだけの抜き稽古と、出演してる人全体でやる稽古と、両方の種類の稽古をたくさんやらないとダメみたいだ。

稽古に行く前に、「冒頭シーンで帰りがけは鼻歌を歌ってみよう」と思いついたけれど、きょうは試してみる機会なし。


03/16/2002(土)

きょうから数日間、日中は舞台装置作成(タタキ、と呼んでいる)の作業。私はきょうは、マントの試作品を作った。マントの型紙をウェブで探そうとすると、コスプレな方々のホームページがいろいろと出てきて、興味深いのは興味深いんだけど、型紙はなかなか見つからない。中世の衣裳とかそういう歴史系のコスプレの人のページを見ていて、1つ簡単な製図を発見し、その通りに作ってみたら、スーツを持って歩くガーメントバッグみたいになってしまって、行き詰まる。どこかで「マントは、円の3/4の形の布で作る」という説明を読んだことを思い出し、でも首から足まですっぽりの長さだと半径130cmの円なんてものすごいことになるので、頭から肩のあたりは3/4円(直径90cm)、その下はその円周の長さに合わせた長方形、という形を考え、試作。これは、行けそう。スタンドカラーを付けて首のところをボタン留めにすると、なんだかよさげな形になった。稽古場に持っていって、演出に見てもらう。基本的にはOK。長さのことなど、多少微調整。

6時からの稽古は、
「タタキや、小道具や衣裳のことをやっていた皆さん、お疲れさまでした。」
という演出の言葉で始まった。自分の公演のそういうスタッフワークをするのはわりと当然と思っているので、ちょっと意外な感じがした。でもきっと、長谷さんの劇団である桃唄309でも、私のいる劇団青年団でも、自分のとこの本公演だったら当然そうなんだろうけど、今回は「混成チーム」の「プロデュース公演」なので、こういう気遣いが嬉しいし必要でもあるんだろうなぁと思った。

最後の重役会議シーンをまず稽古。そして、中盤の、全員が登場しているシーンあたり。バリーがカメラを持ってきていて、稽古や休憩のみんなを撮影していた。その後、
「冒頭から、続けられるところまで続けてやってみます」
ということになる。冒頭では、「鼻歌」に挑戦。ギャラリーの反応なし。ちょっとめげるけど、まだまだあきらめずに挑戦してみたい。途中プロンプも数カ所入ったけれど、どんどんどんどん進んで、全体の2/3くらいまで行った。けっこうあちこちでタイミングがずれて段取りがぐちゃぐちゃになったりしていたようではあるけれど。

帰りの電車の中で山ちゃんが長谷さんに、「同時」の台詞のタイミングの取り方を確認していた。たぶん、
「あれ、あの人はどうしてここでこの台詞を言わないんだろう?」
という疑問というか不満というか、そういったものがちょっとずつ各俳優の中にあって、でもいままで俳優同士でそういう話をするところまで来ていなかったのが、きょうの「ずーっと流す」稽古で問題点がはっきりしてきたんだと思う。今後の稽古で、俳優と演出、俳優と俳優で、そういう辺りの確認が行われていくようになるんじゃないかなと、きょう思った。そうなるべきだ。なったほうがいい。


03/17/2002(日)

稽古なし。作業のみ。私は、マントの生地を探して布地屋へ。いくつか候補を見つけて買い、持参して美術家に見せ、どの布を使うか決めてもらう。午後からは装置のタタキに参加。夕方そっちを抜けて、マントの布や糸、接着芯など、必要な物を買う。20メートル近くあるとポリエステルの薄地の布だってけっこう重くなるということを知った。ボタンは、くるみボタンにする予定。

今後の作業に備え、素材を置きに青年団の事務所に寄ったら、劇団内の別の企画で稽古中の人なんかがちょうど稽古にやってくる時間で、久しぶりにいろんな人に会った。なつかしかった。「エクリプス」は外の稽古場を使用しているので、エクリプス・メンバー以外の青年団員には、最近会ってなかったのである。


03/18/2002(月)

朝からアゴラでマント作り。床面で作業すると背中・腰にくるので、長テーブルを2脚出して、その上でまずは生地の裁断。先日作成したサンプルをほどいて型紙がわりにする。ロータリーカッターとカッティングマットを使い、曲線だらけの円形パーツをさくさくと切り出す。健介さんは大きいので、彼の分だけちょっとだけ大きめにした。その後、長方形パーツは、円形パーツの実寸を計り、その長さを床に「ここから、ここまで」と養生テープでマークして、それを目印にして裁断していった。スタンドカラー、衿芯も裁断し、衿をアイロンで折り接着芯を貼るところまでやって昼食。復帰後は、ほぼ2着、形にして(長さは着る人に合わせるので、裾はまだあげられない)、片づけて稽古場に向かう。

6時稽古開始という予定だったが、6時15分前頃に稽古場に着くと、まだタタキの後かたづけが始まったばかりというところだった。6時55分稽古開始ということになり、片づけて食事。マントを美術家に見てもらうと、
「かっこいいですね。(首の)ボタンは赤がいいです」
とニコニコしていた。嬉しい。

きょうの稽古は、最初、「開演前の段取り」というのをだいたいやってみた。台本では「照明がつくと、舞台のあちこちに人がいる」という感じなんだけど、開場時間から登場人物が三々五々舞台上にやってくる、という始まり方になることに。観客と同じ通路を通るので、「このタイミングでお客さんが入ってきたらこうする」、「ここを通れない場合は、こうする」という指示がいくつか出ていた。

その後、中盤の全員登場しているあたりを。自分が台詞を言うキッカケとなる(他の人の)台詞のタイミングがどうも一定でないところがあり、確認する。何と何を同時に言う、何は何の次に言う、という演出の指示の解釈が、人によってちがっていることがわかった。他のグループの会話の何かの台詞と同時に言うということなのか、自分たちの会話の中で前の人が言い終わったら言うということなのかをカンチガイしていたりとか。こういうことは、困る人が「こうで困っている」と言わない限り問題が表面化しない。私は困ってる人がそれぞれ何が問題か言い合えばうまくいくと思っているんだけど、それじゃ稽古がとまってしまうから、つまり、稽古をとめてはいけないから、キッカケの台詞が聞こえなくても次の自分の台詞は言う、という人もいるみたいだし、必ずしも私と同じ考えの人ばかりではないようだ。問題点は稽古中に全部つぶしておきたい、本番で不意打ちはいちばん困る…と、少し不安。


03/19/2002(火)

歯医者に行く。その後2時から5時近くまでアゴラでマントの作業。劇団のミシンでボタンホールをどうやったら作れるのか、よくわからなかったけれど、「ボタンホールってったら、両端が幅の広いジグザグ、切れ目の入る左右は細いジグザグなわけでしょ」と考えて、なんかそれらしい縫い方を組み合わせてやっつける。こういうめんどくさそうな作業は、まとめてやったほうがいいと思い、5着分まず衿付けとボタンホールをやってしまう。その後、マント、2着完成。衿まわりのむずかしいところは5着分全部終わってるので、後はがーっとひたすら縫う作業。これは、明日。

稽古場に行く道筋の、桜がもうほぼ満開。まだ3月なのに。

稽古は、きょうも中盤。動線を決める必要があって、何度も何度も繰り返す。私はほぼ不動なので、特に演出からの指示はなく、相手役のよーこと二人で、ああか?こうか?といろいろ試す。

何度か、キッカケとなる他人の台詞が聞こえないことがあり、「言ったけど聞こえなかった」のか、「言わなかった」のかということを私はそのたびにその人に確認していたのだけれど(だって、きのうも書いたけれど、原因を突きとめないといつまでも問題がなくならないではありませんか。)、相手によってはそういうこと言われて「恐い」と思ったかも、ということに気づいたのは稽古が終わってからだった。ゆきちゃんが、
「オレのこときらいでしょ?」
と言ってきたのだ。そりゃゆきちゃんが台詞を言わなかったりちがうことを言ったりしたときにいちいち私は指摘したけど、それはゆきちゃんが台詞を言わないと自分が困るから自分のためにやってるんで、ゆきちゃんをきらいとか好きとかは関係ないのである。でも、これで私は考えた。ゆきちゃんは年齢も近いし、こうやって冗談めかしてでも話をしてくれるからいいけど、私に「いまこれこれの台詞、言った? 言わなかった?」とか言われておっかないよーって思う人がいるかもしれない。しかも、経験から言って、その可能性は高い。私は、「年上の人が年下の人に、対等だと思っていろいろ言うと、相手から威圧的、抑圧的だと受け取られる場合がある」ということを忘れがちで、しかもそのうえどうも初対面だと私は恐く見えるらしいのだ。反省。明日から気を付けます。


03/20/2002(水)

きょうも午前中から衣裳の作業。これで、4着仕上がった。稽古は2時から。各部屋のテーブルと椅子、車椅子など、置き道具が揃ってきた。きょうも「侵入成功」以降を稽古。異端審問のシーンに関して、「声を荒げず、優しく諭すように」とか、立ち位置・姿勢についても演出がつく。

お店での「買い物」、「返品」のシーンでの自分の演技が、大げさで芝居がかっていると思い、そしてそれは意図してそうやっているんだ、という自負はあるんだけど、他のシーンで他の人が大げさで芝居がかった演技をしているのを見ると「大げさで芝居がかっていてつまらない」と思っちゃうときがあるので、自分もそうなっていないかどうか、不安になる。ポイントは、自分一人で全部ひきうけてしゃかりきにがんばっているか、相手や周囲の状況を視野に入れているか、というちがいなんだと思うんだけど、自分がちゃんとやれているのかどうかは自分ではなかなかわからない。こういふうにやりたいんだけどどうですか?というプランを提示した後は、演出家を信じるしかない。

他人の台詞が気になる。「〜じゃないんだろ」と「〜じゃないだろ」は、ちがう。翻訳して台詞を書いた者としては、その辺をないがしろにされると、ちょっとがっかりする。でも、稽古場の現場は演出家のもの、と思っているので、演出家が直さないなら、そのままにしている。いまは台詞を完全に覚えていないからそうなるんで、台詞が入ってしまえばちゃんとなるかもしれないし、もしどうしても気になるなら演出家にメールで言えばいい、と思うので、ストレスもたまらない。メールって、ホントに便利だ。

でも、過去のいろいろな現場をふりかえって考えてみると、「〜です」と「〜んです」って、あぁこの人書いてある台詞どおりに言ってないなぁってときがけっこう多いように思う。演出家もあんまり直してないような気がする。すごく些末なことなのかなぁ。

重役会議のシーンを見ていて、どうも腑に落ちない台詞があり、家に帰って英語をもう一度辞書で調べてみて、自分の誤訳らしきものに気づく。長谷さんにメールで知らせ、バリーにもメールで問い合わせた。

長谷さん、マナさん、

                H / BARTLETT
We have to get our p.o.v across. a.s.a.p. Increase expenditures for ABC,
 CBS, NBC, MTV, CNN, TNT, and earmark additional funds for PBS and NPR.
Talk to Finch re. the EPA, Tern has pull with the SEC, and Jay and
Plover re. the FDA. All on the qt., naturally. Fuji-- are we still
getting flack from the EEC?

きょう重役会議のシーンを見ていて、この台詞の最後のほうの、
「EECからはいまでも広報担当者が来てますか?」
(EECはEUに変えたわけですが…)
に関するやりとりが、なんだか前後としっくりこないような気がして気になりま
した。で、英語を見直して、「担当者」つまり「人」を指しているとしたら
flackが無冠詞単数というのはおかしいかも、と気づきました。

辞書を見直して、 flack/flak=非難、攻撃、というのがあるのに気がつきました。
たぶん、ここはそういう、「EUは、いまだに文句を言ってきてるのか」という
意味なんではないでしょうか。

バリーにも確認してみます。
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  マチコ / 松田弘子
  Hiroko Matsuda
  hiroko@letre.co.jp

03/21/2002(木)

きょうも午前中衣裳作成をしてから稽古場に向かう。5着めのマント、完成。あぁ、これで今後は俳優業に専念できる。

稽古場内にセットを建て込む作業が予定より長くかかり、3時半稽古開始。いままで床にビニールテープでここが通路、ここがだれだれの部屋、と線で仕切ってあっただけのものが、高低がつき、床材がしかれ、にわかに現実的になる。ただ、以前の図面から変更されている点がいくつかあり、そのような変更について演出家も俳優も知らされてなかったので、いままで毎日稽古していたことで、実際の舞台ではそのようにやることが不可能だ、ということがいくつか出てきてしまった。

「高低差のあるところを歩くと思った以上に身体に負担がかかるので、多く歩く人は稽古・本番の前後のストレッチをしっかりやるように」
と演出から注意がある。

「途中とめながら、最初から最後まで通す」ということで稽古開始。結局一度もとまらずにラストまで。青年団の稽古だと、通し稽古というと「何月何日に第1回通し稽古をやります」という感じで、なんというか一つの目標みたいにして準備して臨むので、今回の第1回通し稽古がするっと終わってしまったのは拍子抜けするというか、逆におもしろいというか、とにかく初めての体験だった。私の関係している範囲では、異端審問のシーンで谷本くんが一度キッカケの台詞が聞こえなくて台詞を言えなかった以外、特に段取り上の問題がなく、なにはともあれ1回通せたということで達成感があった。ラストシーンのマントも5着できあがり、みんながマントを着て舞台に現れるとなかなか見ごたえがあった。

予定していた衣裳をすべて着てみた(朝子が貸してくれた刺繍のブラウスも使用することにした)が、一カ所衣裳替えが間に合わなくて、はだしで出てしまった。要、工夫。

その後、重役シーン、そしてその少し前のところ。
「ときどき平凡だってことは恵まれてると思うのよね」
というはりいの台詞が聞こえ、あれ?これじゃ「ときどき平凡」なのか「ときどき思う」のかわからない、文章を書くときには「修飾語は被修飾語の近くに置く」ようにいつも気をつけているはずなんだけど、私ああいう曖昧な台詞を書いたんだっけ?と不安になり、台本を確認する。
「平凡だってことは恵まれてるな、って思うのよね、ときどき」
と書いてあった。あぁよかった、俳優の言いまちがいだった。

衣裳でもう一着、島田くんの上着を作ることになった。フードとケープのついた外套。うーん、ちょっとむずかしそう。でもこういう作業自体は、好き。

10時、退出。帰宅するとバリーから返信が来ていた。予想通り、あれは私の誤訳であった。本番前に気づいてホントによかった。長谷さんにメールで知らせる。

長谷さん、マナさん、

バリーから返事が来ました。思った通り、私が間違ってました。

(中略)

ですから、上記台詞のFuji-- are we 以降が、いまは:

(ウメモト)タチバナさん、EUからはいまでも広報担当者が来てますか?
(タチバナ)いえ、BBC撤退以降は。

となっていますが、これをたとえば以下のように直してはどうかと思います。最
終的な台詞まわしは長谷さんにお任せします。

(ウメモト)タチバナさん、EUはまだごねてますか?
            タチバナさん、EUはまだごちゃごちゃ言ってきてますか?
            タチバナさん、EUからの文句は、いまでも来てますか?

(タチバナ)いえ、BBCの謝罪以降は、大丈夫です。
            BBCが前言撤回してからは、ありません。

以上、よろしくお願いします。
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  マチコ / 松田弘子
  Hiroko Matsuda
  hiroko@letre.co.jp

03/22/2002(金)

疲れがたまってきているので、きょうの午前中は衣裳の作業をしないで遅くまで眠った。

建て込み作業がまた予定より長くかかり、3時10分稽古開始。冒頭から、止めながらで最後まで。

異端審問のところで、リストを読み上げる部分は「聞こえるひそひそ声で」との指示が出る。おもしろいけれど喉にはとっても負担が掛かりそうなので、発声練習をしっかりやって、声をつぶさないように気をつけたい。

このシーンは、変な3人組が他人の部屋に勝手に入り込んで中世の魔女裁判のさわり部分をやっていく、という、なんだかよくわからない、でもやっていて面白いシーンである。以前は大声をあげて脅す、という感じでやっていたんだけれど、優しく諭すようにやってと言われて、その方向にもっていっている。たしかに、自分の信じていることを正しいと信じきってる人は、「まちがった」人を優しく教え諭すだろうな、と思う。

きょうは、身体的にも、諭す相手(朝子)にけっこうぴったりひっついてやってみた。谷本くんと私と二人組で責めてるんだけど、谷本くんは、段取りを忘れたり台詞をまちがえたりするけれど、確実に「いま、ここ」に居る人、相手役の私と確実にやりとりをしてくれる人なので、一緒にやっていてストレスがたまらない。やってて楽しい。

きのう間に合わなかった衣裳替えは、一部省略することによって、解決。でも、帰り道に演助のなほにそう言ったら、
「(省略するので着ないことになった)あのスカート、いいのに…」
という意見だった。赤いロングスカートで、スイカやイチゴや太陽や月の大きな柄がついているヤツ。私も好きな服なので、衣裳替えについてもう少し考えてみることにした。

夜、自分が以前に書いた稽古日記の数々をぱらぱら見ていて、けっこう読みふけってしまった。


03/23/2002(土)

渋谷で生地を買い、11時〜13時過ぎまで衣裳作成。しまぷーのマント。インバネスのように、ロングベストの上にケープが付いている形にすればいいだろうなと見当はつけていた。フードは、以前フード付きパーカを作ったことがあるから、どういう仕組みかだいたいわかってる。襟ぐり部分にケープとフードを重ねて縫いつけると一気にそれらしくなり、嬉しくなる。

どうしてもきょう稽古場に持っていきたかったので、裾などはまだ切りっぱなしのままなんとかかんとか形にだけして持っていった。だいたいいい感じだったけれど、ケープ部分が短くて島田くんの腕がにゅっと出てしまった。「半径90cm」の円にするはずだったのを、まちがえて直径90cmで布を裁ってしまったのが原因。この上着を着た島田くんを見て長谷さんが、中に着ているワイシャツと青いズボンがどうも気に入らなくなってきて、結局中に着るワンピース状の服も作ることになった。洋裁という自分の得意なことで演劇の役に立てるのはたいへん嬉しい。自信と誇りがもてる。

2時から稽古。重役会議シーン用の丸椅子が桃唄の事務所から運び込まれる。幕前から順番に、途中とめながら稽古。休憩のとき、「あかちゃんアヒル」組(山ちゃん、史麻ちゃん)が、原語のBaby fucking pandas.ってどういうニュアンスですか、と聞きに来た。よくぞ聞いてくれました! 自分が書いた日本語の台詞の意図なども含め説明する。

よーこの店から買い物をする、「?」「!」というやりとりがまだよくわからないと言われ、大きいお札を渡してお釣りを受け取るという段取りに変更になった。

音響、照明、美術スタッフと舞台監督が稽古場に。ギャラリーが急に多くなって俳優が緊張気味で、台詞のマチガイが続出してすぐ稽古がとまってしまう。うわー、見てる人の影響力って大きいんだなぁ。

19時過ぎから、通す。1時間8分。前回より短くなっている…?

長谷さんは、ダメ出しのことをノートと言う。「さっきの通しのノートを出します」とか、そういうふうに。「ダメ」ってコトバに抵抗があるらしい。ダメって言いぐさはないだろう、ということらしい。長谷(桃唄?)用語で他に気づいたのは、「テイク」だ。
「さっきのテイクではこれこれだったけど、いまのテイクではこうだった」
というふうに使う。これ、私には新しいコトバだ。「さっきやったときは」とか「いま、最後にやったときは」とか言っていると思う、普段、私は。


03/24/2002(日)

公演前の、最後のオフの日。洗濯をし、シンクにためていた食器も洗う。

でも仕事はないわけではなく、島田くんの衣裳作成をおこなった。マントの、ケープ部分の作り直しと、その下に着る服の新規作成。渋谷で布地を買って、アゴラで作業。きのう着てみてもらったときに、ケープの裾が三つ折りになっているのがちょっと重たい感じだったので、ちょっと切りっぱなしにしておいてみることにする。

いったん家に帰り、夜は日舞の稽古に行った。そして、明日は秋の公演に備えての『東京ノート』の稽古があるので、台本を出してきて読む。

明日からは、ノンストップで「エクリプス」中心の生活だ。その前に、なんだか気持ちだけでもきょうはのんびりできて、よかったと思う。


03/25/2002(月)

11時からアゴラにて、秋の『東京ノート』公演のための稽古。まずはミーティングをしてから、稽古開始。1場の終わりまで行ったところで、私とよーこはエクリプスの稽古場に向かう。

劇中で使う紙幣ができてきていた。ユーロ紙幣をモデルにした、架空の紙幣。元々の英語の台詞には、「何ドル」っていうふうなのが出てきてるんだけれど、バリーは「円に替えたほうがいい。フランとかマルクでもいい」と言っていた。どこなのかわからない都市なのだから。長谷さんはでもそれを、どこにもない紙幣を作って通貨単位を台詞から取り去る方向で処理した。

島田くんに衣裳を着せてみると、すごくよく似合って、あーよかった作ったかいがあった、と思った。ただ、コートの襟元を前で合わせないと肩がずるずる落ちてしまうようなので、それはそういうパーツを作って装着することにする。神々のマント用に買ったくるみボタン作成キットを使って、このパーツをとめるためのボタンも作成しよう。

夕食後、通し。『東京ノート』の稽古のため上京中の(いま大阪に住んでいる)天明さんが見に来てくれた。天明さんと外に夕食を食べに行き、戻ってくると、ロビーで長谷さんに、
「話がある」
と呼びとめられた。戯曲の終盤にある、浅井長政の最期を告げるお市の方らしき人物の台詞を、私は最初「だから、敵をなぎ倒しなぎ倒しして帰ってきたのね、長政」というような現代日常会話調に訳していて、稽古の過程で長谷さんが、時代小説っぽい用語を入れたり「長政」を「長政様」に変えたりと少しずつ手を加えていたんだけど、これを全部「〜のでございます」というような、大河ドラマのナレーションみたいな口調に変えたい、という話だった。書き換えた台詞は、さっそく長谷さんがプリントアウトし、コピーをとってみんなに配られた。


03/26/2002(火)

稽古場に着くと、健介さん一人だった。疲れた様子だったので、
「ストレスたまってるんじゃないの? 言いたいことは言わないと」
などと冗談めかして、肩などちょっともんであげた。

2時から9時半まで稽古。また新しい改訂版台本が配られた。きょうの通し稽古は、ほとんどプロンプなしでできた。

稽古の後のロビーで、山ちゃんが、これこれのシーンで自分が、
「なんかいやーな言い方してませんか」
と聞いてきた。「いやーな言い方」というのではないけれど、
「なんか、あの辺、内容と関係なく、なんだか台詞に節回しがついてるよね」
と言ったら、あぁ、やっぱり、そうですよねって。自覚はしてるんだけど、まだ直せてないという。3月13日に、他のシーンのことで、
「時間をかければ大丈夫だと思いますので」
って山ちゃんに言われて、私はあららー、拒絶っていうか警戒されちゃったかなーと思ったんだけど、そうではなくて、ホントに、「自分は、わかっても『ものにする』まで時間がかかるタイプなんです」ということを、ただ、言っただけだったんだなぁ。人と知り合うって、時間がかかる。人と知り合う過程って、おもしろい。

あの角を曲がれば家、というところまで帰ってきた時点で、けさ鍵を持たずに出掛けたことに気づく。あいにく家人も外出中。モスバーガーで待ち合わせをして、待っているあいだ、台本を読む。

バリーから、当日パンフレット用の原稿がメールで届く。


03/27/2002(水)

11時から、『東京ノート』。ミーティングの後、稽古。私は、きょうだいたちと会って、食事に出ていくとこまで。ラストは明日。

3時から稽古に参加(2〜3時は、他の人の、部分稽古だった)。買い物しに来るところの登場時のタイミング、動線を、ああでもないこうでもないと長谷さんに決めてもらう。結局、台詞キッカケで通路に上がる、4歩さがる、また台詞キッカケで前進して、店頭に達する、という段取りになった。どうしてそうなったのかわからないのだが店にいるマナが私にどのタイミングで気づくかというのが私の動きより先に決まっていたので、それに合わせて調整するしかなかった次第。本来なら、「どうしてそうなったのかわからないのだが」とかすねてないで、話し合うべきなんだろうけれど、きょうはそういう気力が出なかった。

夕方から、青年団の山ちゃん、安部ちゃんが稽古を見に来る。通し稽古の後、久しぶりに何人かで飲みに行った。最近は駅ビーもあまりできなかったし、お店での飲むのなんて、ホントに久しぶりだった。


03/28/2002(木)

きのう安部ちゃんから、私の衣裳の黒スパッツにミニスカートというのが史麻ちゃんのいでたちと「かぶる」と言われ、実は私自身も気になってはいたので(史麻と私じゃ大きさがぜんぜんちがうのでそのままでも大丈夫だろうとは思ったけれど)、なんかかわりになるものはないかと、きょう、稽古前、街に探しに行った。ユニクロで赤のカプリパンツ1,000円を見つけ、よさ気なので、購入。

最後の重役会議でコーヒーを出すときに、よーこと険悪な戦争状態になる、というところ、いままでどうするか決めないで二人とも稽古するたびにいろんな作戦を繰り出してやってみていたんだけれど、そろそろ決めようかということになり、よーこがポーション・ミルクを投げつける、それを私がお盆で防ぐ、という段取りで行くことに決める。

総合プロデューサーのオリザが稽古を見にきた。通しはなんだか、固くてぎこちなかった。にんにくを受け取るところは、ぶっつけでやって、うまく行かなかった。あのシーンはどうしても一人でがんばっちゃいがち。反省。審問も、あせって台詞をかんだ。お盆の攻防も、失敗。あせっちゃダメだ。

稽古の後、長谷さんやオリザと、何人かで飲みに行った。キッカケが複雑で俳優が「耳」に集中しすぎている、これをうまく分散させいかにくだらないことをたくさんできるかというのが勝負だ、という指摘が、オリザからあった。また、長谷さんは「間(ま)ゼロで台詞を言え」と言うけれど、それをするには前の人の台詞のどの音のときに何を準備する、みたいに細かくキッカケをとらないとできないんだけど、現状では「前の台詞が終わった」→「自分の台詞を言う」というおおざっぱな取り方のため間が入ってしまっているところがある、また、他のグループの人たちが台詞を言っているあいだ、ただただ空白になってしまっている場合もある、それをこれからもっと詰めていく必要があるよね、という話もした。


03/29/2002(金)

フライパンの柄を短く持ちすぎて、人差し指の腹を火傷した。しまった! もう出掛ける時間だったので、フリーザーに用意してる保冷剤を握って出掛けた。ひたすら冷やす。そのかいあって、わずかなみずぶくれにしかならなかった。やれやれ。こんな時期に怪我はしちゃダメだ。

きょうの通しは、いい感じだった。にんにくの儀式も落ち着いてできた。お盆もOK。あぁ、コーヒー出して帰っていくところ、冒頭と同様に歌うたって退場したいなぁ。明日やってみよう。

稽古の後、長谷さん、なほと3人で、しまぷーの衣裳の汚しをやる。コーヒー殻でごしごしこすったり、水で薄めた墨汁をスプレーしたり。朝子も稽古場の掃除などをして待っていて、4人で一緒に帰る。セブンイレブンでアイス!


03/30/2002(土)

午前中装置の作業があったようだ。スズケン(美術)が作業した後は、通路の角度が変更になっていたり、一部の高さが変わっていたりして、そしてその高さを上げたところが不安定で危ないのでそれを直す作業が入ったりして、ちょっとスリリング。

プラスチックの赤い指輪を、衣裳に加える。バビィと朝子が、いいですね、かわいいですね、と言ってくれた。

稽古で、A(タニー)、E(朝子)、K(私)が「宗教の人」として登場して練り歩くところの段取りを細かく確認・決定する。その後の昼の通しでは、まぁだいたいそつなくできたけれど、捨てぜりふを残して去り際によーこの店にちょっとだけダメージを与える(売り物の本をたたき落とす)ところと、重役会議でのポーション・バトルが不発だった。永井さんに、冒頭の「ぶつぶつ言う」ところが最近言語明瞭になってきていると注意された。

通しの直前、装置の不安定なところを山ちゃんと長谷さんが釘打ったりしているのに、青年団の若い人は手伝うでもないので、ナベシンに、
「ちょっとは手伝おうって気にならないの?」
って言ってしまった。今回の公演は、桃唄青年団の合同公演といえば合同公演、でも、青年団のプロデュース公演といえばプロデュース公演という感じで、だれにどう気を遣うべきかとか、だれがだれにどう気を遣うべきかとか、なんだかよくわからなくて迷って困ってしまうような面がある。言ってしまってから、あぁこの人だってこの人なりの優先順位で物を考えてそうしていたのかもしれない、台詞を覚えるのにせっぱつまっていたのかもしれない、それなのにあんなことをあんな言い方で言ってしまって……、演劇自体はできるだけだらだらだらだらやれるほうがいいんだし……、抑圧的にならないようにってこないだも反省したのに……、と思うと、自分という人間がもうホントにイヤになってしまった。

夕食休憩でコンビニに買い物に行くときナベシンといっしょになったので、さっきはあんなことを言ってすみませんでしたとあやまる。
「いえ、でも長谷さんに手伝いましょうかって言ったらいいって言われて、ぼく、身の置き所なかったですよー」
と言われた。あんまりわだかまってもいないようなので安心する。

夜の通し(きょうは通し稽古を2回やった)は、店ダメージは相変わらずダメだったけど、ポーションバトルは成功。勝ち誇って歌いながらはけた。後で何人かの人に、
「あの歌は、なに?」
と聞かれる。あれは、オリジナルの楽曲です。詩は長新太の絵本だけど(のちに「文・阪田寛夫 絵・長新太」であることが判明)。
稽古終了後、きのうの墨汁作戦ではほとんど汚れなかったしまぷーのマントを、コーヒー殻で汚す。


03/31/2002(日)

私がよーこの店にダメージを与えるのに、本だとたたき落とすのがうまく行かないので、布と紙でできた写真立てを使うことにした。カスッと軽い音で落ちるのが、なかなかいい感じ。最初に落としたとき、写真を覆っているプラスチックのカバー部分が本体から離れて飛んでいって、あーこりゃダメだと思って次はカバーを外してやってみると「トン!」と突かれた写真表面にダメージが強すぎてじきにぼろぼろになってしまいそうだった。クリアーテープを使って、カバーを写真立て本体に固定することで、解決。

しまぷーコートの汚しは、コーヒー殻で、緑色のコートのあちこちが黄色っぽく汚れたけれど、まだちょっと物足りない感じだ。劇場に入ってからもうちょっとやることにする。

4時半開場で通し稽古を一回し、ノートの後、撤収。1カ月半ほとんど毎日通ってきていたところに、明日から来なくなるというのは、なんだか不思議な感じだ。


04/01/2002(月)

アゴラ劇場で、青年団の人は朝9時から仕込み。私は、客席作り、楽屋整備などをやる。炊き出しをするというので、私は参加しない(お昼は外に食べに行く)んだけど、準備を手伝った。千切りサラダ。

青年団以外のキャストは、昼過ぎから参加。

午後から、私は、しまぷーマントの汚し(スタンプインクを使ったら、なかなか乾かなくてあせった)、しまぷーワンピースのサイズ直し、しまぷーの帽子作り(麻紐をかぎ針編みで)、などをおこなう。

夕食をすませて劇場に戻るとバリーが台湾から帰ってきていて、ラストシーンの前の「神々」のところについて、5人の重役たち以外にA(谷本くん)も仮面とマントを付けている必要がある、と言って長谷さんと議論していた。長谷さんは長谷さんで、そうしたくない理由があってそうしていないわけで、とにかく明日の稽古で現在のバージョンを見てもらうということになった。しかしその結果を待っていては間に合わないので、さっそくA用のマスク、マントの作成にかかる。マスクは、なほと長谷さん。マントは私。布も糸も接着芯(衿用)も多めに買っていてよかった。ボタンだけは、すぐ近く(渋谷)の店だったので必要な分だけ買ったから、あす、タニーの分を買いに行かないと。

セットが組まれてみると、よーこの店の、私が買っていく三叉の矛をとめる金具が、稽古場で使っていた方式(矛を手前にまっすぐ引いて取れる)とはちがうリング状の金具になっていて、上に大きく持ち上げないと矛が取り出せないようになっていた。長谷さんに相談し、スズケン(美術)に聞くと元の方式のものも用意してあるとのことで、取り替えてもらった。

10時半退出。


04/02/2002(火)

朝、眼が覚めてごろごろしていたら、右足のふくらはぎがつった。足がつるなんて、生まれて初めて。やはり緊張しているのだろうか。というか、疲れてるのか…?

マント用のボタンを購入。予備を含め、2個買った。ボタンホール、ボタンつけを終えて、完成。の直前に糸切りバサミの先端でちょっと布地にかぎ裂きを作ってしまった。ひー。木工用ボンドで接着。ふー。衿の裏のところに、糸でタニーの名前を付けておく(以前5人分のマントを作ったときにはそこまでしてあげる余裕がなくて、「ミマ」とか「ケンスケ」とか書いた紙をクリップで裾にとめておいた)。

13時集合、15時場当たり開始予定だったが15分ほど遅れて開始。稽古場で実寸で稽古していたはずなんだけど、距離感がずいぶんちがうところがあったのは、どうしてだろう。切り穴からの登場に関し、切り穴をのぼりきって舞台面にあがったところ(メッシュパネルの裏)は「待機」場所として機能する、だから、ちょっと早めにのぼってきてそこで待っていてOK、という話を以前長谷さんはしていたのだけれど、私は、なんだかあまり居心地がよくない。階段の下で台詞でタイミングをとってジャストで出る方向で調整中。衣裳の早替えは、なんとか間に合いそう。一安心。

結局、以下のような衣裳になった。

キャラクター衣裳小道具
直す老女グレーのブラウス、キュロット羽ぼうき
二股かけられ女黒ブラウス、短いスカート、赤スパッツお弁当包み
買う女刺繍のブラウス、赤い長いスカート肩掛けカバン、財布、お金
内臓と審問「二股かけられ女」と同じ罪状リスト(バインダー)、冊子
返品したい女「買う女」と同じ買った物
コーヒーを出す女「直す老女」と同じトレイ、コーヒー6人分

「買う女」から「内臓と審問」への着替えが、時間がなくてギリギリのところ。かぶりのブラウスからかぶりのブラウスへの着替えで、メイクが付かないようにとか気をつかいながら素早く着替えられる自信がなかったので、今回私は、まったくノーメイクで行くことにした。

夜、第1回ゲネプロ。ゲネというのは本番の直前にすべて(観客がいないこと以外)本番通りにおこなう舞台稽古だから、普通は1回しかやらないんだけど、この作品の場合、台詞や動作のタイミングが非常にタイトで、どうしても現場で詰める必要があり、6回ゲネをおこなってから初日を迎えるというスケジュールになっている。

ゲネの後、長谷さんと平田オリザ(総合プロデューサー)が、作者バリーや、音響・照明スタッフとミーティングをおこなう。重役会議の前後については、バリー、オリザ、長谷さんそれぞれの意見があり、まだ決まらない。いまテーブルが固定されているけれど、これを「重役会議の直前に定位置に持ってくる」という段取りにできれば、他の問題もいろいろと解決しそう。長谷さんが、
「時間をください」
ということで、明日にもちこす。

10時半退出。


04/03/2002(水)

13時集合。きのうは私は集合前に衣裳の作業をしたけれど、きょうは俳優の仕事のみ。早めに行ってちゃんとアップしようと思っていたんだけれど、結局ぎりぎりになり、あわてて発声練習。

ラストシーンは、テーブル、椅子を奥に置いておいて、先にそのエリアに到着するG(史麻)とH(健介さん)がテーブル、車椅子をセッティングする→全員(谷本くんも含め)マスクとローブを付けた姿で、エリアに揃う→車椅子に座ってる谷本くん以外、ばっとマスクとローブをとる→谷本くんの分は両脇の人がとる→椅子をセッティングする→全員座る、という段取りになった。重役シーン冒頭の、私がコーヒーを出すところも、少し段取りが変わり、台詞が2つ増えた(私の、じゃないけど)。

この台詞追加は、おもしろくて、台詞を考えてきたバリーが、
「ほんのちょっとだから、直接、台本に書き込ませてくれ」
と、台詞の移動、追加を私の台本にボールペンで書き込み、それにその場で私が日本語を付け、その台本を演出の長谷さんに渡して、長谷さんはそれを見ながら俳優たちにこれこれこう変わりました、と説明した。作と演出がちがう人なのに現場での台詞変更を作家がやっている、って、贅沢なような、二度とないような、不思議な気持ちがした。

昼の、第2回ゲネで、ラストでコーヒーを出すとき、ちょっとこぼしてしまった。用心のためふきんは持っていたのでちょいちょいと拭いて帰ってきたけれど、楽屋に戻った時点で、
「あー、ふきんを渡して、置いてくればよかった!」
と気づく。もし服にコーヒーこぼれたら、こぼされた人、ちゃんと拭きたいよね? でも、一番いいのはこぼさないことだ。そして、ふきんは、濡らしておこう。そのほうが実用的。

バリーのワークショップの通訳をした田野さんが稽古に顔を出した。今度、青年団演出部に入ったそうだ。

夜、第3回ゲネ。その前に稽古したのに、審問で谷本くんと私が交互に頭をあげるところ(通称「モグラたたき」シーン)がうまくできなかった。長谷さんからのノートでも指摘された。

きょうのゲネは2回とも、ポーションミルクバトルが不発気味だった。「気味」というのも変だけど、段取り的にはたしかによーこが投げ、私のお盆にあたっているんだけど、音がしない…。原因不明。あす、よーこに聞いてみよう。聞こう、聞こうと思っていて、きょうは忘れてしまった。

稽古終了後、販売用台本のト書きの、直したかったところを長谷さんのパソコン上で直させてもらう。ゆうべしめきりと言っていたのでもうあきらめていたんだけど、長谷さんがまだ原稿を送ってなかったそうで、間に合った。ホントは台詞でも直したいところがいくつかあるんだけど、これは「上演台本」なので、いま私たちがしゃべっているとおりの状態にしとくのがいいと思い、直さなかった。英日対訳状態で販売なので、ドキドキだ。まちがいがあったら指摘してもらえたら嬉しいけど、「舞台でしゃべる台詞である」ためにあえて原文とちがえてる部分を「誤訳」と言われたらちょっとくやしい。たとえば、ホームレスの人が言う、
"Pardon me sir, can you spare a mackerel?"
(「ダンナさんすいません、サバをもらえませんか」という意味。物乞いしている)
は、前後関係なく唐突に言われる台詞なだけに、一発で間違いようもなく「さかな」だ、とわかるようにしたかったのだけど、そうすると「サバ」では、音だけ聞いたときにわかりにくく思えて、「イワシ」にかえた。これを見て、mackerelはサバじゃん、こんなとこまちがえてるとか言われちゃうのかな? 取り越し苦労でしょうか。

壁に落書きする(舞台美術として)作業に参加。その後、しまぷーの靴の汚しにも参加。長谷さんと私があまりにもためらいなく靴をぼろぼろにしていくので、しまぷーはちょっと心配そうに見ていた。11時退出。

帰りに長谷さんと駅まで歩いてるときに、うまく行かないモグラたたきシーンの話になり、
「あれってむずかしいのかな?」
と聞かれた。なんでなかなかできないのか、長谷さんとしては不思議なようだった。つながり的に関係ない他人の台詞をキッカケにして自分の台詞を言うのですでに大変なのに、台詞を言う直前にいったん頭を下げて小道具のノートを見る、ということになると、それはもう1つずつキッカケを決めなくちゃいけないわけで、そしてそれは決めたら即できるってものでもなくて練習が必要、なのにそこは全員が出てるシーンなのでなかなか本番通りには稽古できないので、たとえばきょうは長谷さんが他の人の台詞を言ってくれて稽古したわけだけど、耳に聞こえてくる音とかその速度とかが実際とちがうと、なかなかそれはむずかしい、同時進行の台詞が3つとかある場合に、谷本くんと私がキッカケにしてる台詞だけ言ってもらってタイミングを実際に近づけた形で稽古したら、きっといい練習になる、というようなことを言った。


04/04/2002(木)

13時集合。きょうは早めに行って劇場でアップ。通路を歩く人は歩けば歩いただけいい感じになる、と長谷さんが言うので、歩き回りながら発声したり。木製パネルの立っていないアゴラ劇場内は、お風呂場のように声がよく響いて、どんどんどんどん歌ってしまった。

ポーションミルクバトルの件は、よーこに聞いたら、
「気力がなくて、投げてなかった」
つまり投げるかっこうだけしてたわけ。よくわからん。でも、そういうのもありかなーとも思ってしまう。きょうから投げると言っているし、別に問題ない。今回のプロダクションでは、オーケー。なんだか独特の雰囲気がある。おもしろいなぁ。

3時開始の予定が少し押して、第4ゲネ。今回私はメイクをぜんぜんしないので、冒頭のシーンに出ているにもかかわらず、開場時間になってから準備を始めても間に合う。だから、開場前はだいたい一番最後まで舞台上でだらだらしている。舞監の井上さんと照明の西本がスモークを焚く実験をしていて、照明の、灯体から舞台上まで明かりがスジになって見えていたので、80年代にそのような照明の中で自分がやっていた演劇のまねっこをしたり、西本のリクエストで「『東京ノート』ラストシーンのお姉さんの台詞を『蛭子さん』でやる」というのをやったりしていて、長谷さんや音響の萩田さんに、
「本番直前なのに…」
と驚かれた(あきれていたのかも)。本番前にこれこれをする、みたいな決めごとを作るとそれにしばられちゃうので、決めないようにしてるんだけど。あ、蛭子さんというのは蛭子能収さんで、蛭子さんの口調でしゃべる、というのが私の「一芸」です。似てるのかどうかよくわからないけれど。

終演後バリーが楽屋に来て、審問のとき靴をつかんで何をやっているのか、手渡されるにんにくは何か、重役会議の最後のところはみんななんと言っているのかなど質問した。これこれ、と答えると、うーん、たぶんなんかそんな感じだと思ってた、とのこと。審問のところで、私が朝子にLEFT-HANDED SEWINGという冊子を渡すのが可笑しい、とも言われた。そう、あれは「左利きになれ!」という宗教なんだよ(ウソです)、それに、あの部屋の色調(黄色とオレンジ)にもあってるから、と答える。

夜のゲネの前に、カーテンコールの練習をした。青年団だと、カーテンコールまでをその作品と考えているのでわりと早い段階にカーテンコールの段取りを決める。長谷さんは、カーテンコールの前までが売り物で、カーテンコールで勝負するわけではない、という考え方。カーテンコールでは、それまでの演技中の自分とは明らかに変えてほしい、というような指示あり。あー、むかし、役になりきってカーテンコールに出てる俳優を見てかっこわるいーと思ったっけ…などと、むかしもむかし20年近くも昔のことを思い出した。

18時半から、希望者は長谷さんの音頭でマッサージタイム。私の背中は、あいかわらずかたい。

きょうは2回ゲネをして、長谷さんは、昼のほうがよかった、と言っていた。キッチリと積み上げていく芝居だからキッチリしてることはぜったい必要なんだけど、昼のゲネではほどよいリラックス感があったそうだ。私自身は昼と夜でそんなにちがったとは思わないが、各人のちょっとずつが重なって雰囲気なんてけっこうがらっとかわっちゃうのかもしれない。モグラたたきシーンは、昼は私、夜は谷本くんがうまくできなかった。

9時過ぎにキャストは解散。たまには、と思い、バリーを誘って何人かで飲みに行く。スタッフはまだ作業をするとのことだったので、どこどこにいるからと声を掛けて劇場を去る。


04/05/2002(金)

13時集合。ウォームアップのため少し早く行って、ついでに楽屋に掃除機をかけたりした。掃除とか、片づいてる片づいていないとかは、耐えられる限界が人によってちがうから、何をどうすべきというのを明文化しにくい。いまのところ、私は、気になれば片づける、気になった人が片づけてたら手伝う、という感じでやっている。そのとき自分の稽古の準備が間に合ってなければきっとそっちを優先するけど。

返し稽古の冒頭部でよーこが台詞を1つ言わなかったのを、私は、ゆきちゃんバビィチームが間違えたんだと思って、後でゆきちゃんに、
「なんでもオレのせいにしないでよ」
と言われた。とほほ。

審問のシーンをタニーと二人で練習してたら、朝子が手伝いを申し出てくれて(自分+他の人たちの台詞を言う)、三人でやっていたら、健介さんが手伝うと言ってくれて、だから私、タニー、朝子は自分の台詞だけやって、健介さんに健介さんを含む他の出演者の台詞を言ってもらって練習した。だれのどの台詞のどのタイミングで顔を上げるか/下げるか、という問題なので、これは練習して慣れるしかしょうがないんだけど、全員出てるシーンなんでなかなか練習しづらい。手伝ってもらって助かりました。

で、このシーン、ゲネではバッチリだったんだけど、本番初日では、他のグループの台詞が1つ出なくて、なんだか大きな間が空いてしまったのがなんとも残念だった。終演後バリーに、
「大きな間が空いたとこがあって残念だった」
と言うと、
「いくつかあったけど、どれのこと?」
と返され、一瞬ぎょっとしたけど、アメリカンジョークだった。


04/06/2002(土)

12時10分集合。きのうのゲネの後、長谷さんは、
「今後、ノートはないものと思ってください」
と言っていたけれど、きのうの初日に関していろいろとノートあり。いままではプリントアウトしたものを配っていたけど今後は書いた物は渡さない、という意味だったのかな?

昼の公演はどうしてもテンションが落ちる、とか言う人が世間にはいるけれど、きょうのマチネは、いい感じに進んだ。これだけキッカケの多い、全員で編み上げていくような作品の場合、二日め落ちとかマチネだからどうとかいうような単純な話ではないのかもしれない。客席前列で脚を組んでいる観客がいて、すぐ前が通路で、ここ通れるかな?と思ったら脚を引いてくれた。バリーだった!

5時のミーティングでもノートあり。


04/07/2002(日)

12時集合。ノートあり。台詞のまちがいが指摘され、はりい(F)が、「隙間の隅っこ」と言っていた、隙間の隅っこってことはないだろう、「頭の隅っこ」だろう?と言われた。私が、
「たぶん、私そういうふうに台詞書いたと思います」
と言って、台本を確認したらやっぱりそのとおりだった。その場では、
「F(という役)はバカだから、このままでいいか」(長谷さん)
ということになったのだけど、後で思い返してみると、どうしてそう訳したかというと、「隙間の」と言ってるときは「隙間のほうに」って言うつもりだったんだけど、「隅っこに」って言い直した、というか、「並列」なんだ、ということを思い出し、長谷さんに説明。台詞は、現状のまま。

マナが突如声枯れしてしまった。舞台上のお香やスモークやほこりのせいだと思うとのこと。生身の人間がやっていることだから、こういうこともある程度しかたがない。とはいえ、超音波なみの高音だった声がひどくかすれていて、相手役で一緒に舞台に立っているとき、だいぶ感じがちがってやりにくかった。段取りとか演技プランとかはもちろん事前に決めておいてそのとおりにやるわけなんだけど、台詞や動作をスイッチオンするきっかけは、やはり、そのとき何が見え、何が聞こえているかに大きく依存している。いままでとまったくちがう音に対していままでと同じように反応することは、なかなかむずかしい。

本人もつらそうだ。それにしても、音的にずいぶん細かく演出されてきているだけに、1つの楽器の音が突如変わってしまったバランスの悪さをどうしても感じてしまい、残念である。

マチネは、審問で一カ所早く頭を落としすぎた。たぶんだれも気づかないけど、自分として、イヤ。

マチネ終演後、トークショーあり。劇中でコーヒーを出すときのような感じでお茶を出すよう長谷さんから頼まれたので、お茶を出す。長谷さんには、歌いながら帰ってもいいと言われたんだけど、もうけっこう真面目な司会進行が進んでいたので、びびって歌わずに帰った。依頼が「歌ってくれ」だったのか「歌ってもいい」だったかよく覚えていなかったのが弱気になった原因だ。フロアからの指摘で、どこの都市か曖昧にしているとバリーは言うけれどしょせん西欧文化の枠組みの中にある台本なのではないか。それをすべて日本化したらもっとちがったものになったと思うが、この公演は会話が各所で「バタくさい」という意見があった。そうなんだろうか? 私は、「東京」や「ソウル」や「ニューヨーク」や…といった「大都市」的な感じが前面に出ていて、どこの国だろうと関係ない物が描かれていると思うのだが。

あぁ、でも、自分の知ってる東京と、舞台上に繰り広げられている「東京」かもしれない場所と、この二つの間にある差異をどう受け止めるか、ということで、受け取り方がだいぶちがってくるかもしれない。私は、「渋谷」だ「ハチ公」だって言ってたって舞台上の都市はどっかのパラレルワールドの東京で現実の東京となんの関係もないのかもしれない、というふうに思っているけれど、「自分の知ってる東京ではない」ということに違和感を感じる人もあるのかもしれない。

夜公演冒頭で、「無意識状態」のはずの谷本くんがなんだか苦しげな息をしているので、いつもだったらただ単に手の位置を直すだけなんだけど、がんばれー(右手をぎゅー)、がんばれー(左手をぎゅー)と力を込めて手を握った。私は今回、谷本くんとは、なぜだかそういうコミュニケーションの取り方ができる。

審問のところもうまくいく。

終演後、明日台湾に帰るバリーのさよならパーティ。ちょんまげのズラ、おもちゃの刀、はっぴといった、あほあほなプレゼントがプロダクションからバリーへということで手渡された。私は、Eclipseと題したミニキルトを作ってプレゼント。これを見て、富士山=日本、タワー、野菜、楽器=エクリプス、赤=私を思い出してねと言うと、心配しなくても忘れないよーとバリーは言った。


04/08/2002(月)

劇中で、頭じゅうの髪をあちこち小さなヘアクリップで留めているんだけど、クリップの数を増やそうと思い、下北沢で何軒かお店を見る。百円ショップにも雑貨店にもなく、下着とアクセサリーを売っている店にちょっとだけあるのを発見。思ってたのよりはちょっと大きかったんだけど、赤、ピンク、きみどり、の3つを購入。

夜公演のみなので、4時半集合。きのうの公演に関して細かいノートあり。長谷さんはこういうとき、具体的なこと(ここがこうダメだった)だけでなく、これからどういうところに気を付けてやっていくべきかとか、時間をかけてウォームアップしろ、喉を充分あたためろ、本番の前には俳優は休む義務もあるとか、とても親切にいろいろと言ってくれる。もちろん特に私に言ってくれてるわけじゃないんだけれど、普段、そういうことは自分が個人的に気をつけるしかないと思っているので、そういうことを言ってもらうとなんだか気に掛けてもらってるみたいで甘やかされてるみたいで嬉しいような気持ちに、少しだけ、なる。

台本を読みながら舞台上を移動して動線確認していて、普段通らない経路を通ってけつまずいて左脚のスネを打ってしまった。爪もちょっとだけ割れた。幸いたいしたことはなかったけれど(ミニスカートのお尻がめくれておかしかったけど私が痛がってるから笑うのを我慢した、ってだれかに言われた)、素足だったら擦り傷になってたかもしれない。今回の衣裳はスネが出てるときが多いし、足元は素足にサンダルだ。脚部の怪我にもっと注意しているべきだった! 反省。

万一爪の割れたところが出血したりしたときのため、衣裳のポケットや小道具のバッグの中にバンドエイドを用意して本番に臨む。心配性でやんなっちゃうけど、こういうのを用意しておいたほうが安心して普段どおりの演技にもっていけるタイプなので、大げさで取り越し苦労なのはわかっているけど、一応そうした。特に問題なかった。

今回の私の衣裳は、なんとすべて洗濯機で洗えるので、クリーニングに出す面倒がない。明日の休演日に洗うため、きょうはあれこれ持って帰る。


04/10/2002(水)

きのうの休演日は、洗濯した以外はほとんど寝て過ごした。ゆっくり休めた。

本日は2時集合。休演日開けだから、一回通し稽古をしよう、という予定になっていた。なんとなく、3時くらいから通すのかなと思っていたら、さっそく通すけど準備まだな人は申告してください、という流れでびっくり。発声もアップもしてないよ。10分後に「開演12分前」から開始することに。長谷さんが、
「どう見えているのか見てもらいたい」
と言っておととい(?)の公演をデジカメで撮ったものを俳優たちに見せようとしていたけれど、私は準備が間に合わないのでほとんど見なかった。きょうの急速展開には、ホントに驚いた。

通し稽古は、「問題があればとめる」とのことだったが、最後までとまらず。私は審問のところで変えたい段取りがあったので、試す。特にダメが出なかったので、採用。適度の緊張は保ちながら、要所要所の確認(他人の位置、自分の位置、速度がちょっと速いとどうダメなのか、とか)ができたので、本番中日であり休演日開けのきょう通し稽古をするというのは、たいへん有意義だったと思う。

休演日にクリーニングに出した朝子のブラウスの、前をとめるボタンが1つ取れてなくなって返ってきた。商店街のパン屋さん(半分雑貨屋さんになっている)で大きさと色の似たボタンを買ってきて、似てるといっても前に5個並んでるうちの一つがそれだったらわかっちゃうくらいにはちがうボタンだったので、朝子は、元から袖口についてるボタンを、ボタンのとれた位置に付け直し、買ってきたボタンはそれのかわりに袖口につけた。右と左と、袖口に着いているボタンがちがっていて大丈夫だろうか?時間があったらもう一つのほうも買ってきたボタンに付け直したほうがいいだろうか?という彼女の問いに、私は即座に、
「そのままで大丈夫。つけかえなくて平気だよ」
と答えていた。実際大丈夫だと思ってそう言ったわけだけど、だれかに「大丈夫」って言ってもらうことが、いまのこの人には必要なんだろうなぁ、ということも、そのとき思っていた。

本番19時半開演。冒頭シーンで台詞をまちがえ、一瞬あせる。「ぶつぶつ言う」とこなので、私以外にはぜったいにわからないと思う。あと、審問の最初の、靴を持って、
「角膜か」
と言うところが一瞬遅れてしまった。全体的には大きな問題はなかったが。


04/11/2002(木)

本番4時、8時。

1時集合。きのうのノートじゃっかんあり。今後はノートはない、と長谷さん。初日前にもそう言ってたけど、いままでノートあったしなぁ。あしたからはホントにないのかな?

私の時間配分がおかしくなったのか、舞台上で発声(最初は、歌)していても、だれも仲間がなくて、ずっと一人。八段錦(気功)も3回ずつくらいやる。7番目のだけ忘れちゃってるので抜かす。マチネ本番は、いままでで2番目にお客さまがリラックスしている感じだった。

終演後、カレーを食べに行って、帰ってくると、けっこう自分が疲れていることに気づく。7時過ぎ、アップをしていた山ちゃんを誘ってマッサージしあいっこした。山ちゃんは肩中心を希望ということで、肩、肩甲骨まわりを。私は、脚部と肩甲骨まわりを希望。うつぶせに寝てふくらはぎや足首近くをもんでもらうと、かたくなっていたところがほぐれて楽になる。やっぱ段差のある舞台のせいか、本番に入ってから脚がけっこう凝るのである。そして、私の肩甲骨の辺りは、本番と関係なくいつもばりばりに凝っている。マッサージしてもらって肩が軽くなり、眠くもなってあくびが続けて出る。

稽古の最初の頃、なんで稽古前にマッサージとかするんだろう、リラックスして眠くなっちゃうのに、と思っていたけれど、身体を動かすにしろマッサージするにしろ、血行をよくするという点では同じ、と長谷さんに言われて、あぁマッサージもウォームアップなんだ、と納得したのでした。

ソワレも無事終了。


04/12/2002(金)

4時半集合。まずバラシ(というか、翌日の片づけの人割)のミーティングの予定だったが、スズケン(美術)の都合で5時からに変更。

きのうの昼公演は、今回初日が開けてから演出家が留守な、初めての回だった。夜公演直前に帰ってきて夜の回を見た長谷さんから、ノートあり。5時まで半端に時間があまり、久しぶりに二人一組でストレッチ&マッサージをする。

19時半開演。あるシーンで、いままで一度も私に聞こえてきていなかった、呪うようなつぶやきが聞こえ、恐ろしかった。(前後の台詞のタイミングがずれたために島田くんのつぶやき声がきょうだけ聞こえた、ということが翌日判明)。


04/13/2002(土)

12時集合。午前中用事があって、きょうは7時半起床。用事を済ませてアゴラに行く。

長谷さんは1時半入りということで、長谷さんからのメッセージが読み上げられる。きのうは適度に力が抜けていてよかったそうだ。長谷さんからのノートでは、いつもいつもいつも、準備(アップ、発声)を念入りにやって演技は抑え目に、ということが書いてある。お母さんみたいだ。それとも今回の座組みは、毎回毎回毎回言わないとやらなくなりそうな俳優たちという認識なのかな?

本日は、昼夜ともたくさんのお客さま。ありがたいはホントウにありがたいけれど、先週とかの早いうちだったらもうすこしゆっくりご覧いただけたのになぁと思うと少し残念。

きのうの夜公演のときに、よーこの「もしもしスミエ」の前の間がとても長かったと感じた俳優が私も含めて何人かいて、きょうの昼公演前に舞台でアップしていてそういう話になったのだけれど、長く感じた、ということしか言えないし、よーこはよーこで、いつもどおりカウントしていた、と言っていて、お互い主観的なことしか言えないから、話が進まない。出演者の多いシーンだからなかなか気軽にやってみるわけにもいかず(開演前の、各自自分のペースでアップしている時間だったので人がそろっていなかった)、どこに原因があったのか特定できなかった。やってみなくてもおそらく大丈夫だろうと皆判断した、ということではあると思うけれど、俳優だけでこういう話をするのには、限界がある。

「だめなの?」とどなるところを、昼、押さえすぎてしまって、夜はちょっと声を張りすぎてしまったように思う。

知り合いの掲示板で、エクリプスのネタバレ話をしている。台詞のタイミングについて、演出からどういうふうに指示がでているのか、という質問があり、以下のようにお答えする。

もともとの台本には、「同時」指定なく、1列に台詞が書いてあります。XとY(バーの人たち)と、VとQ(お店の人と知り合い)、B(浮浪者)がいる場面だと、Xの台詞の次にQ、Bそしてその次にY(Xへの返事)なんて順番に台詞が書かれているのです。

それに対して、「Yの台詞は、Qの台詞の途中のこのポイントで言い始める」、「Bの台詞はQの台詞終わりを待たず、Yがしゃべり終わったらすぐに言う」というように演出から指示が出ます。

ご想像通り、1人のペースメーカーがいるわけじゃなく、どこと同時に言う、何秒「間」をとる、というような演出の指示にしたがって、一人ひとりの俳優が自分のキッカケを確実に追っかけていくことによってリズムがキープされているわけです。

私(役名:K)の例で言うと、
A「あなたは3月12日の夜、どこにいましたか」
E「覚えてません」
K「その夜、だれと一緒でしたか」
という会話なんだけど、「その夜」と言い出す直接のキッカケは侵入者Hの
H「時間は2分にセットするのがいいと思うよ」
の言い終わりなので、耳はそっちに注意を向けている、てなわけです。

で、また、人がしゃべるときには、熱いお湯がかかって反射的に「あち!」というような場合以外、しゃべるぞ!と決心してから実際に発話するまでのプロセスってのがありますんで、Hの台詞を聞き終わってから準備したんでは変な間があいてしまいます。それを避けるため、「時間は」のときAと目線を合わせ、「2分に」辺りでEを見、「思う」を聞いた途端に「その夜」としゃべる、みたいなことを自分の中で決めていく必要もあります。

複数の会話の同時進行自体は青年団の公演のときも普通にあるのですが、今回の場合、俳優である私がキッカケとしている他人の台詞を、登場人物である私は聞こえていない設定である、という点がいつもとちがい、それがちょっと、最初むずかしかったです、私には。

また、声の大きさの指示も、わりと細かく出されました。

04/14/2002(日)

12時集合。長谷さん不在。FAXで届いたメッセージを演出助手が読み上げる。ウォームアップをおこたるな、とまた書いてあった。

アップの途中で、バビィに頼んで、脚と肩甲骨まわりをマッサージしてもらった。最近どうも脚が疲れている。

冒頭の出番が終わってはけてきて着替え部屋に入ると、史麻が、きょうの歌は「しっとりしていた」と感想を述べる。
「(気分は)シャンソンだから」
と答える。なんのことやら。

夜、翻訳のことで、いまさらながら解決策を見つけた。長谷さんにメール。

長谷さん、

以下は、特にいまから台詞を変更したいという提案ではないのですが、ここの訳
はこうすればよかったかもということを、私のための備忘を兼ねて、お知らせす
るものです。

審問とかのときの「ウメモトさん」が_Mrs._ Bartletだときょうの飲み会で知っ
た岩城が、Mr. and Mrs.かもしれない、みたいな感じが日本語では出てこないの
が残念だけどしかたないね、と言っていて、それで話しててはたと思いついたの
が、審問(AEK)と取り調べ(AEQ)のそれぞれにおいて、1カ所ずつ、
「奥さん」という呼びかけ語を入れておけば解決できたのではないか、というこ
とです。

AとEで、ちょうどまったく同じ台詞があるので:
    
                A
    Where were you on the evening of March 12th?
    あなたは、3月12日の夜、どこにいましたか。

                E
    Where were you on the night of March 12th?
    あなたは、3月12日の夜、どこにいましたか。

この訳を「奥さん、あなたは3月12日の夜どこにいましたか。」にすればよかっ
たなー、と。

また、エグゼクティブソルーションが何の派遣をしてるのか、どうも日本語では
あまりピンとこないらしいのですが(英語版だったら、最初はわからないかもし
れないけど、途中まで来たら、あーこれは高級売春組織だなーと観客にわかるだ
ろうとバリーは言っていました)、その原因の一端が、もしかしたら、Vの電話
(「でもウメモトさんなのよ」)のウメモトさんが男性であるという情報が抜け
ていることにあるのかも、ということも、上記の件との関連でいま思い至りまし
た。どこかで「あのオヤジ」とか入れておけばよかったかも。
-------------------------------
  マチコ / 松田弘子
  Hiroko Matsuda
  hiroko@letre.co.jp

(いま見たら、AとKの台詞、「まったく同じ」じゃなかった……。4月29日記す)


04/15/2002(月)

4時半集合。遅刻の人を待って、久しぶりに二人一組でマッサージ。ノートあり。
「慣れてくると身体とアタマにギャップができるので要注意」
と長谷さんが言ったのが、興味深かった。段取りとか台詞とか、覚えたてのときも、「身体とアタマのギャップ」って、ある。それを、稽古やイメージトレーニングを繰り返して、スムーズなものとして定着させていく。そうやって本番を迎えるわけだけど、慣れすぎると逆にまたそういうギャップができてくるわけか。このことはあんまりいままで考えてみなかったな。

全体に、慣れてブレが大きくなっている、ベストのテイク(回)で自分がどうやっていたか思い出してみてほしい、ということだったけど、自分のことを考えてみると、「この台詞はこう言いたい」「こういう音を出したい」「このポイントでここに立っていたい」という「目標」と、実際やっているときの「いまそれができた/できない」という瞬間的な判断はあるけれど、きのうの自分がどうだったか、おとといの自分がどうだったかという記憶は残っていないように思う。

本番7時半開演。


04/16/2002(火)

1時集合。

客席が暑くなりすぎるのをふせぐため、開場までの時間、冷房をけっこうきつくかける。私は劇場内でウォームアップをするのが好きなので、寒くならないように少したくさん服を着て、やっぱり劇場内でウォームアップする。

4時開演。きのうまでうまく「カーン」とお盆にあたっていたのに、ポーション戦争、うまくいかず。私の頬をかすめて後ろに飛んでいった。勝ち誇らず、「うらみますぅ」みたいに歌って帰る。

ソワレ前にアップをしていたら、バビィが「おしかけです」といって肩をもんでくれた。ありがとう。

8時開演。ポーション戦争、あいかわらずうまくいかず。でも勝ち誇って歌って帰る。


04/17/2002(水)

電車の中で台本を読む。

4時集合。まずミーティングで、バラシの段取りを確認する。その後、アップ。私は冷房で寒くても劇場内でアップをするのが好きだ。八段錦をやっていると、少し汗ばむくらいになった。いつもどおり、自分の動線と台詞を一通りさらっておく。

アップしている途中、長谷さんと話していて、どうして長谷さんは、いわゆる「キュー」を入れない(「用意、ハイ」とか言って演技を始めさせない)のか、という話になった。演出の合図で「スイッチが入る」というのはよくないと思っている、俳優が自分でスイッチを入れるべきだ、とのこと。なるほどねー、それでか。
「でもこれだけの人数が出てるときに始めの合図がないと、やりにくかったよ」
って、いま言ってももう遅いけどね。特に今回のようなプロデュース公演で、いろんなちがう方式でやってきてる俳優が集まっていると、
「用意いい? 私もオーケー。じゃ、始めよう!」
と相手と目で確認してから始めたいと思っていてもどんどん相手に先に一人で始められてしまって、やりにくいこともあった。だから、私は、途中から、
「じゃ、行きまーす」
とか宣言して演技を始めるようにしてた。

ゆきちゃんが、みんなに連絡先(住所)を書いてもらっている。あぁ、そういえば今回、名簿って作らなかったなぁ。

7時開演で最後の公演。

今回、小道具も衣裳も私はほとんど全部私物だったので、使い終わった小道具、着終わった衣裳を、開演中の時間のあるときにどんどん片づけていった。

ポーション、不発。もう動じない。「ふん、かすりもしないわよ」的に勝ち誇って歌って帰る。

11時過ぎに撤収、積み込みが終了し、打ち上げ。冒頭のぶつぶつは何を言っていたのかというのを披露し、また、イグアノドンの歌を最後まで歌う。2時過ぎ、帰路につく。


04/18/2002(木)

昨夜は、帰ってきてからゆっくりお風呂に入ったりなんだりして、寝たのは5時過ぎ。今朝は、8時にかけた目覚ましで起床。相模大野にある劇団倉庫で、荷下ろし・片づけの作業だ。作業自体は1時間ちょっとで終わる。トラックでゴミを捨てに行くチームが出発。借りた小道具の返却に向かう車も出る。舞台上で使った鉢植え植物を分けて持って帰る品定めをしている人たちを残し、一足先に駅に向かう。さよならは苦手。って得意な人もないだろうけれど。

駅向こうの、倉庫に来たときときどきのぞく布地屋さんに寄ったら、セール中だった。小物用のファスナーをまとめ買いする。と言っても4本だけだけど。次に作るキルトの裏布に使いたい布地も買う。公演中は、キルトのことを具体的に考えることができなかったのに、終わった途端にそういう方面に考えが向かっていて、ちょっと可笑しい。


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