喫煙者を救え!


●吸う理由

喫煙欲求の本質は「ニコチン渇望」であるのだが、普段の喫煙習慣の場合には、自覚できるほどの強いニコチン渇望でなく、もっと弱い、本人も気づかない程度の弱い渇望が喫煙の理由になっている。そのため、喫煙行為は「不快感からの回復」ではなく、「快感の獲得」であると誤解している人が多い。特に喫煙者は、ほとんどの人がこの誤解をしているのだが、実はそれはむしろ当然である。喫煙習慣は、ニコチンへの肉体依存とタバコへの心理依存という両側面があり、喫煙を快感の獲得と誤解することと、タバコへ心理依存していることとは、ほぼイコールだからである。この依存の二面性については後述する。

ここで、私が考案した、「非喫煙者のための喫煙感覚疑似体験法」をご紹介しよう。この方法は、タバコを吸わない方にも喫煙の感覚をかなりリアルに理解していただける方法だと私は自負している。この方法では、脳が感じる「感覚の変化」を引き起こすのに、薬物の替わりに「物理的な力」を使う。喫煙者がこの方法を見たら、おそらく「全然違うよ」とバカになさることであろう。でも非喫煙者がこれを行った場合の感覚は、実際、喫煙した時の感覚にかなり近いのである。18年間喫煙していた私が言うのだから間違いない。こういう言い方をしては悪いが、この疑似体験法がかなりリアルであるという事実は「タバコを吸う人にはわからない」のである。

さて、方法はいたって簡単である。用意していただくのは普通のタオル。折りたたんだタオルで鼻と口を押さえたり離したりする、基本的にはこれだけである。まず、たたんだタオル(何重に畳むかはいろいろお試しあれ)で、鼻と口を押さえていただきたい。息が横から漏れないように。火災時の避難訓練で指導されるような、煙を吸い込まないように鼻と口を押さえる、あのイメージである。さらに、呼吸がややきつくなる程度に、少し強く押さえてみて欲しい。といっても、完全に息を止めないように、あくまで呼吸は可能な強さである。そして、強く押さえたまま大きく息を吸ったり吐いたりしてみて欲しい。当然、ちょっと苦しいはずである。これが「ニコチン渇望」の状態である。では、そのままタオル越しに大きく息を吐き、吐き切った瞬間にタオルを外し、そして、タオルが無い状態で空気を思いっきり吸ってみて欲しい。息を吸う時の気持ち良さを感じていただけただろうか。これが「喫煙の快感」である。「ニコチン渇望」と「息苦しい」は実は相当違うのだが、「タバコを吸った瞬間の満足感」と「呼吸が自由になったときの開放感」はわりと近いと思う。

もう一つこの実験で注目していただきたいのは、、あらかじめ呼吸に負荷を作ることで、「息を吸う」という普段行っている行動がとても気持ち良いこととして感じられるという点である。これは、喫煙での満足の得かたと同じ原理である。喫煙者は喫煙により、ある種の満足感を感じる。しかしそれは実は、あらかじめニコチン渇望によって弱い不快状態になっているのが、喫煙によって普通の状態になる、ということに過ぎない。では、次のようなことをイメージしながら、このタオルの実験を何度かやってみて欲しい。

いかがだろう。人にもよるだろうが、非喫煙者であれば、上記の4つとも「言われてみると確かにそうだ」とお感じになる方が多いと思う。上記のイメージは、おわかりの通り、喫煙の理由としてあげられる代表的なものと一致している。

もう少し理解を深めていただくために、このタオルの実験を発展させて、ちょっとしたSFにおつきあいいただきたい。

今はタオルを自分の手で鼻と口にあてていただいたが、これが自動的に鼻と口に押しつけられるような機械を想像していただくと、喫煙習慣のモデルができる。タオルを自動的に鼻と口に押しあてるような、頭部に固定された機械を想像していただきたい。タオルは機械の力により、鼻と口に押しあてられている。この機械の横の部分、耳の下あたりに(別に場所はどこでも良いのだが)温度センサーがついており、その温度センサーをライターでちょっとあぶってやると、その瞬間、顔のタオルがすっと離れ、呼吸が楽になる。顔から離れたタオルは、その位置から非常にゆっくりと顔に近づいて来て、1時間ほどで顔に触れ、やがて鼻と口に押しつけられて、最初の状態となる。

タオルが押しつけられている状態の時に温度センサーをあぶるとタオルが離れて開放感が得られる。タオルが離れている状態が実は普通の状態なのだが、普段からタオルを押しつけられる生活に慣れてしまっているため、何が普通の状態なのかわからなくなっており、タオルが離れて普通に呼吸することが、「気持ち良いこと」として感じられる。

そして実は、温度センサーで得たエネルギーが、この装置全体の硬度を保っている。したがってセンサーの加熱を行わなければ、装置全体がだんだんと軟化し、ついには変形させて装置を頭から取り外すことができる。しかしその際、加熱をやめてから装置全体が十分軟化するまでの間は、息苦しい状態に耐えなければならない。

これで、かなり的確に喫煙習慣がシミュレートされている。タオルによる息苦しさが「禁断症状」あるいは「ニコチン渇望」であり、センサーの加熱が「喫煙行為」である。そして、「喫煙行為」自体が、装置全体(喫煙習慣)の動力源となっている。

この「タオル押しあて装置」を装着された事態を想像してみて欲しい。タオルが一日中顔にあてられ、センサーの加熱によって顔からはずされる、これが何ヶ月、何年と続くとする。そうしたら誰だって、タオルがはずれる瞬間を「喜び」だと感じるようになるであろう。本来は、タオルが無い状態が当たり前の状態だったのだが、年月を経る間にそれを忘れて、タオルが無い状態が、何か「良いこと」のように感じるようになるに違いない。それと同様に、弱いニコチン渇望状態に何年も置かれていれば、喫煙によるニコチン補充を「喜び」だと感じてしまうし、ニコチン補充によって「良いこと」があるように錯覚するようになる。これが、喫煙者が「喫煙に利点がある」と誤解する原理である。

普通の社会人なら、タオルを顔にいつも押しあてられるのは理不尽なことだとわかる。普通の神経の持ち主なら、そんなことをされるいわれはない、と言って怒ってしまうに違いない。ニコチン渇望も同じはずである。本来なら、「こんな渇望感に悩まされるいわれはない」と怒って良いはずである。しかし、そうする喫煙者はいない。それがどんなに隷属的であろうと、怒ったって何も解決しないし、だいいちタバコに点火すれば渇望感は数秒で消えるのだから、何も問題はない、というのが喫煙者の心理である。


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岩城 保
iwaki@letre.co.jp