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仮説:政治家は悪くない

政治の話題
1999.12.14

みなさんは国政選挙で候補者を選ぶ際、どのような基準で選んでいるだろうか。選挙の場では「自分がもっとも良いと思う候補者または政党」に投票する、というのが教科書的答えである。こんなことを言っているから棄権者がどんどん増えるのである。そりゃぁあたりまえだ。「もっとも良いと思う」って言ったって、大抵の場合はそもそも「良い」と思う候補者が自分の選挙区にいないのだから。ここで、発想を転換してみてはいかがだろうか。もっとも良い候補を選ぶのではなく、まず、もっとも悪い候補は誰かを考えてみるのである。これなら少し考えやすいのではないだろうか。そして、2番目に悪い候補、3番目に悪い候補、と消去法で絞っていき、最後に残った候補者に投票するのである。これなら少しは投票する気がおきるのではないだろうか。

つまり、どうすれば政治が良くなるか、ではなく、どうすれば政治が悪くならないかという基準で考えるのである。選挙が近くなると、庶民にとっておいしいネタを公約として宣伝し、選挙が終わったら巧みに公約をホゴにする、というのは、政治家の常套手段である。だから、最初っから公約などは話半分で聞くべきだ。どうせ守れないのだから。なぜそう断言できるかというと、前々回の話題で取り上げたように、政治家は政策を作ったり執行したりするのではなく、ただ政策を選ぶだけの、とても弱い存在だからである。

そもそも政治家には公約を守る力などはない。以前も述べたが、法案というものはほとんどすべて、政治家が作ることはない。だから、どんなに立派な公約を言う政治家も、その公約のための良い法律案を作成するなどということはあり得ないということが、確率的に推論される。でも公約を言わないと落選して失職するから、しかたなくもっともらしい公約を言っているだけである。一般市民が、失業した際に就職の面接で「経理実務ならお任せ下さい」とか「コンピュータはバリバリ使えます」とか、多少ウソでも誇張して自己宣伝するのはよくある話である。政治家の公約もそれと同じで、話半分に聞かなければならないのはあたりまえの話なのである。本当の政策は、政治家とは別の、強い立場の頭脳明晰な人々が作っているのだから。

そう考えてみると、候補者の正しい選び方は、どういう政策を行うかではなく、他人の作った政策に、どれだけ迎合するのか、抵抗するのか、という基準を用いるのが良いということがわかる。つまり、候補者を選ぶコツは、良い政策に賛成するか、悪い政策に反対するか、で決めることである。それならば過去のデータが使える。過去に良い法案に反対した候補者、悪い法案に賛成した候補者はまず消去できる。そうやって消去法で絞っていけば、きっとあなたの投票する候補者を決めることができるだろう。

政治家に政策を期待してはかわいそうである。彼らにそんな力はないのだ。政治家は、我々一般国民よりは少しだけ強い立場にいるかもしれないが、基本的には我々の仲間(味方でなく同類という意味)である。権力者は他にいる。「政治家が悪い」というのは、たぶんその権力者によって非常にうまく仕組まれたプロパガンダである。政治家だって、我々同様、頭の良い権力者にだまされる弱い存在なのだ。そこを理解せず、政治家を攻撃してばかりいては、それこそ誰かさんの思うつぼである。

と、今回は根拠のないことをかなり断定的に言ってしまっているが、あくまで私個人の考えとしてご理解いただければと思う。実態はどうなのかという判断は読者にゆだねたい。

私の結論:政治家はもう、ずいぶん前から権力者ではなくなっている。


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岩城 保(Tamotsu Iwaki)
iwaki@letre.co.jp