『雨が来る』日記

第6週 9月22日(日)〜9月26日(木)

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09/22/2002(日)

きょうも、昼と夜と、2回公演でした。夜公演は6時開演で、上演時間が1時間ちょっとなので、7時過ぎには終わっちゃう。これからもう1本観に行けるね、なんて楽屋で話しました。


09/23/2002(月)

なおちゃん、きょうは昼夜公演の3日め、明日からは夜公演だけです。

昼の後、
「野菜炒めのところが冷静すぎる、泣きそうなのを隠しすぎている」
と言われました。具体的には、
登 「カラスはね…」
智子「登さん」
の「登さん」で泣きが入ってなかったけど、ここが崩れていないと、その後智子が泣いているのか笑っているのか、わからない人にはわからなくて、そうすると、
「救いのないことになってしまう」
んだそうです。そっか。

夜公演は、泣き泣き「登さん」と言って、泣きすぎと言われました。その後の部分は泣いていてもいいけれど、この台詞は、普通に言おうとしたら崩れちゃったというふうにしないとダメだって。

そういうことなんならそうと早く言ってよ、と思わないでもないのですが、劇場で本番で私がやっているのを見て初めて、何がどうダメでどうするのがいいかということが、だんだんと細かく具体的にわかってくるらしいのです、赤堀さんにも、たぶん。一般的には、初日があいてからこうやって少しずつかわっていくことに対して私はどちらかというと否定的なんですが(だってじゃぁ初日や前半に観てくださったお客さまには、完成品じゃない物を見てもらっちゃったってことになるんじゃないの?ということです)、でも今回は、初日までに「完成」はしていたと思うし、そのときそのときでできうる限りの最高の物を提示しているわけだから、これもありかなと思っています。これつきつめて考えていくと、劇場でセット組んで1カ月とか稽古するのがやっぱりいいんだろうか、そもそも稽古場で稽古できないような台本を書かないほうがいいんだろうかというような、そういう話になってきますよね。去年の飛ぶ劇場『ロケット発射せり。』でも、爆発音があっちやこっちから聞こえてくるというシーンがあって、実際にいろんな方向から音が聞こえてくる状態で稽古できたのは劇場入りした後だったんで、そのときもこういうことを考えたのですが、結局は優先順位の問題なんでしょうけれど、俳優として自分がそういうのにどうやって対処していくかということも含めて、まだまだ考えていきたいです。

遠くから観に来てくれた友がいて、共通の友人たち数人で、終演後に飲みました。


09/24/2002(火)

ラストシーンが変更になりました。いままで、暗転して、明転するとだれもいない舞台、そして車椅子がなくなっている、というのだったのですが、そこに登が(煙草を取りに)戻ってきて、窓を閉めて、また出ていく、というのが追加になったのです。智子が車椅子に乗ることを受け入れて二人で外に出掛けたということをわかりやすくする変更です。短い時間で段取りが変わり、私だったらおたおたしてしまうと思うのですが、児玉さんはスイスイとこなしていきます。児玉さんって不器用そうで器用なのかな。

きょうは、野菜炒めのところがうまく行きました。

観にきた友が、3場のアタマで私がスケッチブックの紙を破りとって丸めてゴミ箱にシュートするけど入らなくて日比さんが取りに行く、というところに関して、私の投げ方があまりにもゴミ箱から外れてるから、
「あれじゃ、イジメだよ」
と言いました。わざと外れるように投げてるみたいだって。下手に投げるとスポッとゴミ箱に入っちゃうから(実際、「まいて通し」のとき2回ほど入っちゃったことがあります)、入らないように入らないようにというのに気を付けるあまり、どのくらい外れちゃうかとかまで気が回っていませんでした、たしかに。


09/25/2002(水)

なおちゃん、とうとう最終日です。

家を出て駅まで来たところで、あ、台本を忘れてきた、と気がつきました。ゆうべベッドで読んでいて、そのまま置いてきてしまったのです。そんなに書き込みをしてあるわけでもなくて、劇場でも1回も開かないかもしれないんですけど、いままで毎日持ってってたからきょうだけないと自分が弱気になってしまいそうなので、時間がギリギリ間に合うかどうかというタイミングだったんですけど取りに戻りました。集合時間にもだいたい間に合いました。ほっ。

きょうで終わりと思うと、スズナリに向かいながら、ちょっと泣きそうな気分でした。胸の中を涙がざぁざぁ流れていってるような感じでした。苦手です、最終日って。感傷的になりがちで。まぁ、稽古が始まって以降はもう大丈夫でしたけどね。

きょうで最後だけど、いつもと同じように本番前に「まいて通し」をしました。ここをこうしてくれ、というダメ出しもあいかわらずありました。本番が始まるともうぜんぜん稽古しない演出家もいるけど、赤堀さんはまだまだまだまだやりたいんだね。これを、初日までにやっとくべきことをいまになってもやっている(=完成度が低い)と見るか、初日までに完成させたことに満足せず常に向上をめざしていると見るか、意見は分かれるところだと思います。23日に書いたこととも関係ありますよね。私は、『雨が来る』は、完成度の低い本番は一度もなかったと思います。

昨日に引き続き、客席は満員。前半に来てくださったらもっとゆっくり観ていただけたのにと思うと残念ですが、みなさんそれぞれ都合があるだろうし、しかたありませんよね。

野菜炒めのところの「登さん」という台詞は、アタマから涙声になってしまったけれど、「さん」あたりで踏みとどまったので、まぁOKだったと思います。崩れきってはいないこと、でも泣いていること。これは伝えられたと思います。悔いのない千秋楽でした。

観にきてくれてた友だちと外で話してから、劇場に戻るともうバラシが始まっていました。客演の私は参加しなくていいので、なんだか急にいる場所がなくなったようなさびしい気分になりました。気がつくとすでに他の客演陣は一人もいないし。他の人一所懸命ばらしてるのに、さびしいとか言ってる場合じゃないんですけどね。楽屋の押し入れに吊った黒幕だけ外してたたんで、衣裳の青いTシャツはシャンプー楽屋に残して、自分の荷物を持って退出。あぁ、そういえば、私の衣裳にって赤堀さんが買ってきたうちのもう1枚の、豹柄のは、野中さんの衣裳になったんですよ、4場の。

打ち上げは11時開始なので、その前に青年団の事務所に寄って、『東京ノート』の立て替え分精算とか勤務表(青年団公演の稽古の時間を付ける)とか、そういうことをやりました。公演を観にきてくれた人とか、渡欧前で忙しくて観にこれなかった人とか事務所にいて、話しました。

打ち上げは、酔いつぶれる人があんまりいなくて、みんなとにかくたくさん話していました。私も、いろんな人と話しました。THE SHAMPOO HATという集団を、この人もこの人もこの人もホントに愛しているんだなぁと思いました。そうそう、舞台監督の飯室さんに聞いたら、あのふんだんに長い蓄光は、「松田さんスペシャル」でやってくださったということでした。ありがとうございます、お陰で10年ぶりでも落ち着いて暗転板付きできました。朝5時くらいで解散になって、外に出るともう朝でした。


09/26/2002(木)

タクシー(近所の人がいたので、一緒に乗りました)で家に帰ると、6時過ぎでした。あしたは『東京ノート』のツアーで成田からダブリンに発ちます。汚れ物を残して1カ月も留守にしたくないので、早朝だけど、洗濯機を回しました。

終了して出してみると、洗濯物に白い細かいポロポロした紙が一面に付いていました。ティッシュじゃこうはならないんだけど、これは何を洗っちゃったんだろうと思ってみると、パンツのお尻ポケットに入れておいた、返送されてきた『雨が来る』DMはがきでした。赤いポピーの花畑が、白い紙吹雪になっちゃった。

あぁ、これでホントに終わったんだなぁ、と思いました。『悪口学校』の時は、打ち上げのときに、衣裳に使ってた髪ゴムの飾りビーズの糸が切れてバラバラーッて崩壊していったとき、おんなじような気持ちになりました。象徴的とかなんとか言ってるけど、結局自分自身がなんとかして区切りをつけたがっているんでしょうね。さぁ、次にいくぞって。


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