つれづれなる日々

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2008年9月の日々


09/30/2008(火)

破綻していた「超整理」の棚を整理した。『眠れない夜なんてない』でクッションカバーを作ったときから出しっぱなしだった布などを仕舞った。洗濯もした。髪も染めました。探し物は、まだ出てこない。


09/29/2008(月)

先週はずっとテアトロフィーアについていて、好きでやっていたんだけどやっぱり疲れはたまっていたようで(友だちんちに行って朝帰りしたのが悪いともいえるけれど)、寝すぎなくらい今日は寝てしまった。そしてもろもろのメールの返事が滞っている。ヨーロッパツアーの用意をほんの少しだけ始めた。あぁ、髪も染めないと……。


09/28/2008(日)

昔の日記を読んでいると他のことが進まないので、片付けた。あでも今度友だちに見せるって約束したんだった。まそのときまた出せばいっか。

下北沢の駅で見たんだっけかな。「嘘がつけない。だから、嘘はつかない。」という大きな広告があって、
「当たり前じゃん」
と心の中でつぶやいてしまった。KIRIN FIRE(注意!最初に音が出るよ)の広告。

結局テアトロフィーアは、5回の公演全部の場内係をやって、全部の公演を見た。ものすごく緻密に1ミリの差も出ないように作っている部分と、大枠は決まっているけれど自由度の高い部分が共存していることがわかってきた。その緩急も魅力なんだ。出演・演出のホアンに聞いたら、その他に、観客が自分の好きにどこを見ていてもいいシーンもあれば、ある人物の動作に注目を集めたいシーンもあって、そういうのも考えて作っているという話だった。あぁ、そうだ、ホアン・ルイスが座席を倒して後ろの席の人におこられ、後ろの席からアントニオに物が飛んでくるシーンでは、実際その「後ろの席の人」や飛んでくる物の音を出しているホアンは顔を伏せて座席のボタンをいじっていて、観客の目が自分に向かないようにうまく処理している(公演を見ていない人にはわかりにくい説明かもしれない。ごめんなさい。備忘として書いてる部分もあるので)。あなざ事情団の参考になることが、たくさんあった。

変わっていった部分は、たとえば、タバコの煙でわっかを作るとこが日に日に発展して長くなっていった。テロリストが、ちゃっと行ってちゃっと帰ってくると言うとき、その行き先を最初「スーパーマーケット」と言っていたのが2日めから「東急ハンズ」になった。最初のシーンが終わって、次のシーンの用意ができるまでの暗転中、暗闇の中でホアン・ルイスがしゃべり続けるようになった。テロリストの数の数え方が「アン、デ、トワ」から「ワン、ツー、スリー」に変わった。など。

観客参加部分のお客様の反応も当然毎回ちがっていて、でもそうは言ってもだいたい似た反応ではあるわけで、これも、何が違って何が同じかというのが面白かった。アフタートークも、テアトロフィーアの面々や、フェスティバルディレクターの多田さん、ゲストの方々、通訳の川口さん、それぞれの人柄が垣間見られて、なんだかとても豊かなトークだった。

バラシもさくさくと終わり、簡単な打ち上げをして、まだみんな残ってたけどアゴラを出て駅に向かっていたら、ケータイでだれかと話している人に、道を聞かれた。
「大きい道ってどっちですか?」
な、なんと漠然とした質問なんだ。
「どこに行くんですか?」
「タクシー拾えるみたいな」
じゃぁ、ここをまっすぐ。坂をのぼって、なんか左に曲がっていく感じなんだけど。でも遠いですよ。と答えたら、遠くてもいいです、ありがとうございますとその人はそのまま歩いていった。


09/27/2008(土)

睡眠不足ではあったけれど、きょうもテアトロフィーア観劇。帰宅して、ご飯食べて、爆睡。


09/26/2008(金)

昔の日記を出してきて読んでみた。さすがに小学4年生とかのは、いまとなってはコンテクストが違いすぎて理解不可能な部分が多く(だれさんがどうしたとか書いてあっても、名字とかニックネームだけなんでだれのことかさっぱりわからない)興味がもてなかったが、中学生高校生あたりはいまの自分とほとんど同じようなことを考えたりしたりしてて、あまりの変わらなさにビックリしたくらいだった。あとビックリしたのは字のひどさ。半分くらい判読不可能。半分は言いすぎだけど。

それと、愛や恋に縁のない地味な十代だったと思っていたのに、交換日記したり手作りプレゼントあげたり、けっこういろいろあったようだ。自分のことなのに「ようだ」って変だけど、覚えてないんだもん。なんで忘れちゃったんだろうか。だれが好きだとか、好きなあの人が何したとかかにしたとか、そういうことがたくさん書いてあった。しかも複数の人を好きになって、こうなったら二股どころか三股かけてやる!とか威勢のいい(?)こと言ったりしてるし。あと、見た夢のことがたくさん書いてあった。金縛りにあった、という記述も多かった。

テアトロフィーアは、きょうも見た。

夜、友だちたちと飲みに行き、別れがたくて友だちんちにおじゃまして、朝5時過ぎまでおしゃべりして、電車で帰ってきた。


09/25/2008(木)

クリーニングの済んだ『ヤルタ会談』の衣裳を仕舞う。初演が2003年だから、もう5年になるんだね。

テアトロフィーアの場内係をやって、きょうも観劇。最後列で。最前列で見たきのうに比べ、細かいところにいろいろと目がいった。サイレントクラウンというけれど、意味のある言葉をしゃべらないだけで、口三味線的に音は出している。その音の出し方がうまいんだ。そして、見たあとでは、家電のピッピ言う電子音なんかが全部テアトロフィーアのネタみたいに思えてしまう。青年団見たあと周りの会話がみんな演劇の続きみたいに見えてしまうのと似ている。


09/24/2008(水)

きのう会った人に、語学ご堪能なんですよね、何カ国語できるんですかみたいなことを言われて、「英語しかできません」と言ったら驚かれた。フランス語もできると思っていたそうです。前に別の人にもそんなこと言われたことあるけど、できません。でもその英語もなぁ、できるっていうかなぁ、どうなんだろう。きのうの仕込みでも、
「マチコさん、蛍光灯って英語でなんて言うんですか?」
「何を言いたいの?」
「(舞台)照明をつけるなら、蛍光灯消しましょうかってことなんですけど」
「はいはい。Elena, if you want to try the stage lights now, he will put off these lights(ステージのライトをつけてみたければこっちのライトを消してくれるそうです)」
と天井の蛍光灯を指差してたもんな、私。言語能力以外の、何か別のものなんじゃないかと思う。

テアトロフィーア、初日。数年前からやっている演目だそうで、さすがにぴたっぴたっと決まって危なげがない。大人が本気で遊んでいる。これ、観客によって毎日ずいぶんちがった反応が出てくるんじゃないかな。どんな反応が出てきても、そのときそのときの「いま、ここ」にぴったりあった演技で返すんだろうな。全公演見たくなりました。


09/23/2008(火)

東京デスロック『蜜月期 ジャックとその主人』観劇。自分が、視覚を奪われた状態の2人がぶつかったり手を取り合おうとしてすれ違ったりするのを見て笑えない人間であることを知った。いや、演劇自体はたいへん面白かったんだけど、後列で笑っている人の声を聞きながら、そんなことも考えたということです。

これで、3日がかりで東京デスロック愛の行くえ3本立てを見たわけだけど、3本とも出演者が客席にまっすぐ向いて立つところから始まるということや、蜜月期のラスト近くでかかるのと同じ(類似の?)環境音的な音が倦怠期のときにもかかることとか、あぁこれはやっぱり有機的に結びついて、3つそろったときにもっと大きな絵の見えてくる作品なんだなぁと、きょう3本め(私の場合は蜜月期)を見ているときにそう思った。1作品ごとの楽しみ方ももちろんあるんだけどね。

作品解説の前に会場を出てアゴラに向かい、テアトロフィーアの場当たりに立ち会う。基本的に台詞はないはずなんだけど、ずーっとしゃべっているので少しおどろいた。どうも「スーツケースぶつけ〜の、おい!で立ち位置入れ替わり〜の」といった具合に段取りを確認しながらやっていたらしい。なんだかますます本番が楽しみになってきた。

早めに終わったので、スタッフ数人で飲みに行く。きのうから私のテンションがいつもとちがう、と言われた。いま一人暮らしだから、人に会うと饒舌になるんだよ。


09/22/2008(月)

テアトロフィーアの仕込み。10時から始めて、舞台に幕を吊ったり照明を吊り込んだり、各パートに分かれてゴンゴン仕込んで気がついたら13時半とかになっていた。このスペインチームは、出演者3名と照明家1名なんだけど、構成・出演のホァンが舞台装置のことで、こうしたらいいんじゃないかああしたらいいんじゃないかと試行錯誤を続けていたり日本のスタッフと作業をしたりしていても、他の人はそれにおかまいなく雑談に興じたり仕込みの写真を撮ったりしてて、でもホァンに呼ばれたり自分の段取りのことだったりするとすっと参加する。そしてまた戻ってだらだらしている。ものすごく効率的ではもちろんないんだけど、これでけっこうスムーズに仕込みが進んでいく。昼食休憩もきっちり1時間とれたし。テンパっている人がいないという点でいい現場だったと思う。

夕方終了し、東京デスロック『倦怠期 CASTYA』観劇。さすがにきょうは迷わず到着。絵を見てると、見えてくるのは実は絵じゃなくて自分の内面とか自分のいまの気持ちである。ということを美術館に行くと体験するけれど、この作品の前半2/3はまさにそんな感じだった。とはいえ、周囲の観客もいるし、第一目の前にいるのは生身の人間なので、美術鑑賞とまるっきり同じというわけではないけどね。そしてアフタートークが、これも1本の作品といっていいんじゃないかと思うくらいに面白かった。


09/21/2008(日)

15時からアゴラにてテアトル・デュ・ムーランヌフ『ジャックとその主人』観劇。衣裳や装置はあるし(しかもすごい衣裳ですごい装置)、観客参加でもないんだけど、あなざ事情団と似た雰囲気を感じた。いや、ぜんぜんちがうんだけど。演じるキャラクターが入れかわっていったり、人形劇の要素が入ってたり、体力勝負な部分があったりというところなど。字幕を見ながらだったので、舞台上のすべてのアクションを見られなかったのが残念。2回見ればよかった。

続いて20時からの東京デスロックを見るべく原宿に向かう。激しい雨の中、あろうことか(だって、駅から一本道です)道に迷って20分ほどさまよい歩く。線路と並行に歩いてたはずなのに、はっと振りむいたら電車が道と垂直に走ってるじゃありませんか。まぁなんとか正しい道に戻って、友がお茶してるという喫茶店を探し当てて強引に合流し、事なきを得る。そして、『発情期 HERE I AM −ドン・キホーテがやってくる!−』観劇。ストーリーとかなくても(あるんだけど)、台詞があってもなくても、1時間夏目さんを見てるだけで飽きなかった。構成・演出と俳優と、両方ちゃんとしてるからなんだろなと、半ば感心、半ば悔しさ。私もこういうのやりたいです。

アフタートークのあと外に出ると、雨があがっていた。

スイスチームの簡単な楽日打ち上げをアゴラの稽古場でやっているので合流しようと思って駒場東大前まで戻ってきたら、ちょうど東京デスロック帰り(アフタートークの前に帰っていってた)のスペインチームに会ったので、彼らも誘ってアゴラへ。スイスのムーランヌフの人たちと、初めて話す。

小一時間で切りあげて、帰宅。お風呂にも入ったんだけど、先ほど雨に濡れて冷えた手足が、寒いような熱いような感じでなかなか寝付けず。風邪か?と思うも、熱はなし。


09/20/2008(土)

先週公演した鳥の劇場から、劇場の小冊子に演劇祭の感想を書いてくださいと頼まれていて、公演1週間後くらいまでにということだったのできょうが締切で、がんばって書き上げて送信。文章って、「締切」とか「字数制限」があるから書けるって部分も大きいよね。


09/19/2008(金)

渋滞もなく時間通りに成田に着く。飛行機が予定より30分早く到着したこともあり、あまり待たずにテアトロフィーアのみんなと合流。4年ぶりだね、と言われて、あぁあれはそんなに前だったっけと思う。

思ったより荷物が少ないので、人も荷物も1台のヴァンでアゴラまで行くことにする(当初は、荷物だけ載せて人はバスで移動、という案だった)。車中で、チラシや地図やパスモの使い方やガイドブックの入ったウェルカムパッケージを配ると、さっそくキスフェス地図係の力作の駒場周辺地図を広げ、あーだこーだと話している。ガイドブック(はグループに1冊しかない)を読み上げたり。元気だなぁ。

アゴラに公演用の荷物を降ろしたり人々を宿泊場所に連れていったり舞台装置の簡単な打ち合わせをしたりして、17時に終了。

帰宅して、夕食後、直ちに寝る。寝る、寝る。


09/18/2008(木)

明日、スペインの劇団(本拠地はカナリア諸島)テアトロフィーアが日本に着く。私は彼らをアゴラまで連れてくる「アテンド」係なので、もう1人のアテンド係と一緒に、きょうはアゴラでその準備をした。

帰りに友とお茶。そして帰宅して、夕方から深夜まで寝る。ちょっと起きて、また寝る。


09/17/2008(水)

ワークショップで興奮したのかゆうべなかなか寝付けず、睡眠不足ぎみでワークショップ3日めに向かう。開始時刻の5分前にはトランスカンカナルの3人が到着。フランス語をしゃべる人が時間に遅れないって、なんだか慣れない。偏見かもしれないけど。

4時から発表といっていたので、それに向かってグループで作ればいいのかと思ったら、1時15分からいっぺん発表して、お互いにコメント言い合って、それからさらに直しを入れて4時に発表と言われ、慌てて作戦を立てる。

心理や内面の言葉でしゃべる人(「悲しみのテンションをそろえないと」など)と具体的なアウトプット(テンポや声の大きさや舞台上の位置)でしゃべる人がいて、最初これで話がかみあうのかなと思ったけど、なんか大丈夫だった。たぶん、同じことをちがう方向から言ってるだけなんだ。

で、最初の発表。発表後、相手チームの人からのコメントを聞いていて、「やった人は聞くだけで発言権なし」というシステムの意味やよさがわかってきた。演じるほうの意図と、見る人の受けとめ方は、必ずしも一致しない。「こういうふうに見えて、ここがよかった」とか「もっとこうしたほうがいいと思う」とかいうのは、言ってみれば観客の気持ちを代弁している。観客に向かっていちいち「でもあそこはそうじゃなくて、こういうつもりだったんだよ」とか「そうやろうと思ったんだけど失敗したんだー」とか言ってわかってもらっても意味ないものね。

4時からの発表は、両チームとも、相手からのコメントで指摘された部分を考え直すことによって、ずいぶんよくなっていたように思う。指摘どおりに直すのではなくても、「こういうつもりでやったのに、ああいうコメントが出てきたということは、こういうところがよくなかったんじゃないだろうか」というような話し合いをすることによって変わった部分もあった。演出家なしで俳優だけで作るということの、ほんのさわりのとこだけだと思うけど、それを体験できてよかったと思う。

自分たちは、
「こうしろとだれかが決めるんじゃなく、みんなが納得するまで話し合う」
とトランスカンカナルの人たちが言うので、
「意見が一致しなかったらどうするんですか」
と聞いてみた。答えは、「待つ」。
「情報が行きわたっていないから意見が一致しない。充分時間をかけて、みんなに情報が行きわたって、みんなが納得するまで、待つ」
上演3日前まで方針が決まらなかったこともあるそうだ。でもその前にさんざん話し合って戯曲の内容をみんな充分把握してるから大丈夫だとのこと。選び取った自分たちの方法に自信を持っているということが、聞いていてよくわかった。

終了後、ベルギーチームほとんど全員とワークショップ参加者ほとんど全員で、居酒屋で打ち上げ。


09/16/2008(火)

先週アゴラで『森の奥』を上演したベルギーの人たちは、KVSというのとトランスカンカナルというのと、2つの劇団の人たちだ。そのうちのトランスカンカナルが俳優のためのワークショップをきのうから3日間行なっている。3日間通しでないと参加できないということだったが、公演がとても興味深かったので、「旅公演があって2日間しか参加できないけど、参加させてもらえませんか?」とずうずうしく聞いてみたところ、「話し合って、結果を知らせる」という返事があり(演出家のいない劇団で、いろんなことを自分たちで話し合って決めるらしい)、その後「参加OK」の連絡をもらっていたのです。

というわけで、きょうからワークショップに参加。以前彼らがある詩人・劇作家に戯曲を依頼したら、質問を千個書き連ねたテキストができてきたそうで、その一部を使って集団創作をするワークショップである。きのうは、10ページあるそのテキストを、前半と後半に分けて、2グループ(5〜6人)で発表したそうだ。それから、質問するってってもいろんなやり方があるよねという提案に沿って2〜3人の小グループに分かれ、テキストの好きな部分を使って創作をしたそうで、きょうはまずその発表からします、とのこと。

「質問したくない」チーム、「質問すること、答えることがだんだん楽しくなっていく」チーム、「質問する人と答える人の力関係が変わる」チームなど、5つの発表があった。「あたたはひるまないですか? あなたは弱いですか? あなたは多元論者ですか?」というように質問がえんえんと続くテキスト(私はけさ初めて見た)なので、こんなのどうやって人に見せる形にするんだろう、私だったらお手上げだ、と思っていたが、それぞれのチームでさまざまなやり方があって、それぞれ面白かった。

また、みんながコメントを言うときのシステムが面白くて、「見ていた人がコメントを言う。やった人は、発言権なし」というルール。私は最初、やった人と見た人で双方向の話し合いをしたほうが、何をどう直したらいいかとかわかりやすいんじゃないかと思ったんだけど、
「いや、やった人がしゃべってはいけない。こういうふうにやりたかったんだというように言い訳をどんどんしていっては意味がない」
と言われた。

その後、また大きく2つのグループに分かれてくださいと言われ、みんなでグーパーをしたら、ベルギー人がすごく興味を持って見ていた。ベルギーにもじゃんけんはあるけど、グーパーは初めて見たそうだ。「質問をしている人が、答えがYesだと思っているのかNoと思っているのかわからないように、中立的になるようにしてください」と言われ、チームに分かれていろいろ話し合ったりやってみたりした後、発表。私たちのチームは、それはつまり感情や意見を押し付けないということだねと判断し、営業スマイルで言ったり、歌のメロディーに乗せたり、ロボットしゃべりにしたりしてみた。もう1つのチームは、相手に伝える、ということをものすごく大事にした感じの発表だった。

そして、このグループで15分の発表をしてください、明日の4時から友だちを呼んで見てもらいます、とのこと。え、明日友だちを呼んでって、私たちが友だちに連絡して来てもらうってことよね?急だし平日4時に来れる人いるかしら?とざわつく私たち。
「だれも来れなければ来れないでそれでもかまいません」
なんかベルギー人の時間の流れ方って面白いな。

先週友だちに、広瀬正面白いよ、読んでみたらってすすめたんだけど、ちょっと内容を忘れちゃってたので『エロス』を読み直してみた。そして、内容確認くらいのつもりだったのに結局最後まで読んでしまった。明日もワークショップなのに……。


09/15/2008(月)

朝9時からの撤収作業はするすると進み、2時間もしないですっかり片付いてしまった。

この演劇祭では、昼食は、徒歩7分の夢こみちというところで食べることになっていたが、いままでは時間がなく、お弁当にしてもらっていた。きょうようやく、夢こみちでみんなで昼食をとる。小鉢を並べたステキなすげ笠弁当に、ほぼ全員がケータイを取り出して写真を撮っていた。

いったん鳥の劇場に戻り、鳥取空港に向かう人たち(私も含め)がまずバスで出発。あとは、別途鳥取駅に向かう人とか、広島に車で帰る人とか、明日岡山に向かうので鳥取にもう1泊する人など。

羽田から空港バスで帰宅し、洗濯などする。夜、夫と居酒屋で食事。なんだか肉っぽいものが無性においしく感じる。鳥取にいるときは気がつかなかったけど、鳥取の食事、けっこうヘルシー志向だったかもしれない。


09/14/2008(日)

きょうは11時半劇場入りなので、朝食のあと宿舎で二度寝。

劇場入りして、ミーティングの後、昼食。きょうはカレー。鳥取はカレールーの消費量が全国一だそうで、カレーンジャーもいるんだそうだ。

徒歩2分の喫茶店しかの心に友と行って、イタリアンジェラートとコーヒー。この地域で作っているお醤油を売ってたけど、さしみ醤油は砂糖が入ってるんだね。九州みたい。

青年団の多くの人が『にんぎょひめ』を見ているあいだ、テラスで鳥の劇場の齊藤さんや、いま平田オリザと青年団のドキュメンタリーを撮っている想田さんと話す。想田さんは最近オリザにずーっとはりついて撮影しているので、姿はしょっちゅう見てるんだけど、こうやって話をするのはまだ2度めくらい。

そしてきのうと同じく17時開演。想田さんは、きのうは客席を撮影していたが、今回、「ここにいても大丈夫ですか」と了承をとって、下手の、私がいるほうの袖で撮影していた。

終了して、アフタートークがあって、夕食食べて、きょうはもう1ステージ、22時開演の回がある。なんとなく時間があいて、テラスからまるいきれいな月を見上げたりした。で、22時の回。そんな遅い回にお客様がいらっしゃるんだろかと少し心配だったんだけど、17時の回と同じようにたくさんのお客様だった。劇場は外光を遮断してるから、昼でも夕方でも深夜でも暗さに変わりはないはずなんだけど、体内時計のせいなのかなんなのか、闇が濃いような感じがした。

24時少し前に終了し、そのままスタジオ内で鹿の劇場の皆さんと乾杯。やっといろいろな方とお話しできた。


09/13/2008(土)

9時劇場入り。「10時開演」でゲネをする。開演まで結構タイトなので、各自、それぞれ、テキパキ準備を進める。

ゲネ終了後、昼食をとり、14時から『にんぎょひめ』観劇。青と緑とゆらゆらの照明が美しかった。皆が知っているストーリーで演劇を作ることの面白さや強みを感じた。さらにこの上演では、人魚姫に『ロミオとジュリエット』の台詞を言わせることによって、既存のイメージをぎゅーっと味方につけていたと思う。スピード感のある展開となりふりかまわない強引な選曲(ベサメ・ムーチョありクラシックありトルコの軍楽あり。統一感なし。妄想的で、私は好き)が、独自の世界を形作っていた。子供も楽しめる作品ということだったけどエロチックな香りが随所にあり、偏見かもしれないけれどイタリア人っぽいなと思った(脚本・演出がイタリア人)。

ストーリーやら悲しく美しい無人のラストシーンやらで大泣きして楽屋に戻ってくると、予想通りの反応だと笑われた。「人魚姫が死ぬ話だって最初っからわかってるだろう」と言われたけど、そういうことじゃないんですよ。きょう観劇したのは私だけで、他の人は明日見ることになっているので、
「じゃぁ、明日見てみろ!(きっと泣くから)」
って、まるで小学生だな、これ。

私たちのほうは、17時開演。演技というよりも、内容に反応してよく笑う感じの観客だった。どちらかというと年齢層が高かったかと思う。

終演後、演劇祭のオープニングパーティー。これは、会費(1,000円)を払って一般の人も参加してもらう形になっていて、「内輪」感がなくて、「演劇祭」らしくて、すごくいい企画だと思った。


09/12/2008(金)

朝食は、食堂でみんなで日本旅館らしい朝ごはんをいただく。私がまちがって隣の人の味噌汁を飲みそうになってしまったり、固形燃料に火をつけようとしておかずの上にマッチをばらまいてしまった人がいたりして、珍道中はじまりの気配。

鳥の劇場には、「劇場」(元体育館)と「スタジオ」があり、今回私たちはスタジオで公演する。『ヤルタ会談』は「舞台美術」的なものがなく、テーブルや椅子やなんかを置くだけだ。スタジオで『隣にいても一人―広島編―』の舞台装置仕込みが進行する中、私は楽屋でヤルタの旗やら衣裳やらにアイロンをかける。

舞台中央奥にアメリカ・イギリス・ソ連の大きな国旗をポールに立てて飾るんだけど、この舞台は奥行きがなく、テーブルの真後ろに国旗を置いたら人が通れないので、国旗を上手寄りに置くことになった。それでまん中がちょっとさびしいので、最近ずっと使っていなかった卓上旗をテーブルの上に置くことになり、急きょ組み立てる。使わないだろうけど念のため、といって持ってきた赤い旗(春風舎で上から吊っていたもの)も、『隣〜』の舞台装置のカレンダーを隠すのに使うことになり、これも慌ててアイロンをかけた。

お隣の「劇場」では世田谷パブリックシアターの『にんぎょひめ』が仕込み中。電気容量の問題で、どちらか一方の会場でしか照明がつけられないという制約があり、「何時まではスタジオ」「何時からは劇場」と融通しあって進める。

今年の1月にアゴラで、「全国の『隣にいても一人』大集合」をやったとき、私は他の公演の稽古でほとんどアゴラにいられなかったので、広島編未見だった。きょうの場当たりで初めて見せてもらった。男同士女同士の「きょうだい」のつながりの感じが印象的だった。


09/11/2008(木)

明け方まで起きていたので、2〜3時間寝ただけで起床。午後の便で羽田から鳥取へ。機内で眠れず、ANAの雑誌を読み続ける。

鳥の劇場で、『隣にいても一人―広島編―』組(先週広島で公演があり、広島から鳥取に移動していた)と合流。鳥の劇場のかたから、劇場の使い方の説明を受ける。一人一人に配られた封筒の中には、劇場の使い方をまとめたものと、劇場の見取り図、鹿野町の案内図、昼食を食べる「ゆめ小路」とオープニングパーティー会場「しかの心」への行き方図、そして鳥の演劇祭のステッカーが入っていた。機能的で親切なだけでなく、ようこそ!という気持ちがすごく伝わってきた。

宅配便で送ったヤルタの荷物はもう劇場に搬入してもらってあったので、衣裳だけわーっと出してハンガーに掛けてしまうと、もうきょうの予定作業は終了。美味しいお弁当の夕食をいただき、演出家も合流して、ミーティング。解散。

宿舎は温泉。温泉に入って、部屋でビールなんか飲んでいると、ベルギーの『森の奥』を見た友だちからめちゃくちゃ面白かったとメールが来た。おとといゲネを見てすごくよかったので、時間があったらぜひとすすめたんだけど、すすめたかいがあったよ。


09/10/2008(水)

『東京ノート』自主稽古。あれー、どうしてだれも来ないんだろうと思ったら、走り穂で稽古だったのに私がまちがってアゴラに来ちゃってたからだった! 慌てて移動。家族のところを何度か稽古する。大人数が入ってきたり、出ていったりする、スピードのある部分は、むずかしい。こんなに長い間やっているのに、注意の分散具合をまちがうと崩れてしまう。

東大カフェで、たまっていた日記(のメモ)を書いたりした後、夕方からあなざ事情団ミーティング。企画書のこととか来年のこととか、「再度確認」的な内容ではあるが、ちょっと最近活動が停滞してたのが仕切り直しになって、これから具体的に動き出していける感じになってきた。良し。

ミーティングが早めに終わったので、アゴラに『森の奥』アフタートークを聞きに行く。
「外国の演劇ということで身構えて見にきたが、開場時から舞台上に俳優がいる、いつもの『アゴラスタイル』だったので安心して落ち着いてみることができた」
というお客様の感想があり、開演前から舞台上に人がいる平田オリザのスタイルがこの場所ではデフォルトとして扱われていることに、軽く感動する。理解してもらえなかったり、おこられたりしてきてるからなー。

帰宅して、洗濯、荷造り。明日から鳥取に行くのだ。引き続き劇団関係の翻訳の仕事をしているとどんどん時間がたって、洗濯物が乾いたので、寝る前にパッキング。ま、あしたは移動だけだから、睡眠不足でもなんとかなるでしょう。


09/09/2008(火)

朝10時から『東京ノート』稽古。

14時からベルギー版『森の奥』のゲネプロを見せていただく。平田戯曲の「間」がきちんと「間」として舞台に出現していることに感動した。いままで平田以外の演出で、間をあまりに特別な神聖なあるいは不可解なものとして強調したり、逆に間を演技で「埋め」ようとして観客の想像力がはたらく余地がないほどに説明してしまった上演を見たことがあるが、この『森の奥』には、ぎこちない、言葉の出てこない、「間」としての間があった。もう1つ興味深かったのは、平田作品というと、広い空間で人間たちが右往左往しているというような、言い換えれば、一人一人の人物がどうこうというのよりも大きな全体としての絵で見せるという感じを受けることが多いのだけど、この舞台では一人一人の人間が大きく見えた。

夕方、定期検診のため歯医者へ。先週後半からあごが痛いので相談する。「お寿司が食べられれば、顎関節症ではありません」とのこと。いまはみんな心配しすぎているが、睡眠中の姿勢とか頬杖とかで一時的に炎症が起きて痛くなることがある、なるべくしゃべらないようにするだけでいいとのこと。仕事なんでしゃべらないのは無理なんですけども。

歯医者がそれほど時間がかからなかったので、アゴラにとってかえし『森の奥』初日を見せてもらう。やっぱり、好きだ、これ。

初日打ち上げで、出演者のウィリー、ミゲル、ベルナルドと話す。ああいった間というのは、日本では日常的に会話の中にあるけど、ベルギーではどうですか?日本人の役をやってるみたいな感じがしましたか?と聞いてみた。ベルギーでも会話の中に沈黙はある、ベルギー人として演じた、日本人っぽいとは思わなかった、とのこと。間については、でも「日常会話にはたしかに沈黙があるが、演劇の場合はあまりない」ということだった。あぁ、日本語の場合でもそうだな、そう言われてみると。
「戯曲にある沈黙を、埋めすぎたくなかったし、埋めなすぎないようにもしたかった」
とのウィリーの言葉に、あぁベルギーに同志がいる!と思った。


09/08/2008(月)

公演で中断していた翻訳作業をガンガン進める。

夕方から、友人宅へ。おいしくてオシャレな手料理をいただきながら、5.5時間しゃべりどおし。いや、2人で。


09/07/2008(日)

きょうも2回公演。夜の公演には、『森の奥』ベルギー版をアゴラで公演する人たちが見にきてくれた。きょう日本に着いたとのことで、疲れてるでしょうにありがとうございました! 『森の奥』を平田オリザに依頼した経緯について、アフタートークで、フランスのワールドカップ関連事業で初めて平田作品と出会った。あのときたまたま日本とベルギーがワールドカップに参加していてよかった、とステファン・オリビエさんが語っていた。

そしてバラシ。2月にキラリ☆ふじみで『ロミオとジュリエット』をやったときに、演出家の1人だった富永まいさん(映画監督)が、映画は撮影が終わり、編集が終わり、だんだん人が少なくなって、最後は監督1人になってしまう。ところが演劇は、きょうで終わりとなったらホントに一斉に全員きょうで終わりで、明日からはそれぞれ全然別のことをしている。映画と演劇は、終わり方がこんなにちがう。ということをアフタートークでたしか言っていた。そのことを思い出した。


09/06/2008(土)

昼の『ヤルタ会談』は、アメリカツアーのときのような大受けで、台詞が聞こえないくらいだった。この作品は、やる側の出来不出来よりも(それほど波はないと思う)お客様のちがいによって反応の差が大きく出てくるように思う。笑うか笑わないかと直結するわけではないけれど、歴史好きか、世界情勢に詳しいか、語られている内容とどれだけ近い位置にいるかなどによって、受けとめ方がだいぶちがうのではないだろか。

夜の客席は静かだった。楽しそうだったけど。


09/05/2008(金)

そうだ、春風舎のロビーに『ヤルタ会談』チラシイラストの原画を飾りたかったんだ!と家を出る寸前に思い出し、他の荷物も多いのにがんばってスケッチブックを抱えて春風舎へ。カラーコピーをとろうかとかも考えたんだけど、結局スケッチブックそのものをロビーに展示した。

『森の奥』リーディングAチームの稽古とゲネ。演出家から、リーディングなのでリーディングらしくやりたい、演劇っぽくならないようにしたいと言われる。もっと具体的なことでは、長い台詞のところなんかで私がしゃべりながら手を動かしちゃうのはよくない、動かすならぬいぐるみの手を動かしてほしい、とのこと。ぬいぐるみというのは、「出演者一人一人がサルのぬいぐるみを持って登場し、テーブルに置いたそのぬいぐるみがしゃべっているというふうにも見える感じで脚本を読む」というスタイルのリーディングなので、そのぬいぐるみのことです。

17時過ぎには終了し、ヤルタの準備。これまでのゆかり祭り(『ヤルタ会談』『忠臣蔵・OL編』2本立て)、島田祭り(『ヤルタ会談』『御前会議』2本立て)を経て今回初のマチコ祭り(『ヤルタ会談』『森の奥』リーディング2本立て)である。


09/04/2008(木)

午後、『ヤルタ会談』字幕最終調整。今回、国際演劇フェスティバルなんだから英語字幕付きでやろうよと、私が提案した。忙しい中仕事を増やしてしまって申しわけないけれど、英語字幕自体は2006年の北米ツアーのときに作ってあるんだし、国際演劇祭っぽくてやっぱりいいんじゃないかな。

10月にフランスのジュヌビリエの劇場で、『東京ノート』と同時に『愛のはじまり』日本語版も上演することになっている。その件できょう、「翻訳者の名前をMachikoとして契約書を作ってしまった。翻訳したのは、Hiroko MatsudaかMachikoか?」というような連絡が劇団に来たらしい。「マチコはただのニックネームで、筆名とかではありません」と返事してもらう。ややこしくてすみません。前は外国語で話すときは、私の名前はHirokoです、と言って本名でやってたんだけど、最近日本と外国のコラボレーションが多くなり、日本人の友だちはみんなマチコマチコと私を呼ぶから、外国人の友だちにもいまはI am Machiko.って自己紹介することが多い。


09/03/2008(水)

青年団関係の翻訳の仕事を進める。

夕方から、『ヤルタ会談』稽古。前回2場の途中まで見てもらったので、その続きを稽古して、その後ゲネ。予定よりもだいぶ早く終了した。

韓国の友だちが来ていまみんなで池袋で飲んでるので来ませんかという嬉しいお誘いをいただくが、そのときすでに小田急線の町田辺りまで帰ってきてしまっていて、さすがにちょっと池袋まで戻れないやゴメンナサイと電話する。

翻訳の仕事を少しする。別の翻訳のクレジットの件で、訂正をお願いするメールを書く。


09/02/2008(火)

『ヤルタ会談』自主稽古。実寸のとれない稽古場で、台詞のみ。明日は演出家に稽古を見てもらうことになっている。

春風舎に移動し、『森の奥』リーディングAチームの自主稽古。


09/01/2008(月)

青年団関係の翻訳の仕事を進める。

夕方から『東京ノート』の稽古。そして、旅公演に向けてのミーティング(たしか2回め)。別に気持ちがうわついているとかではないんだけど、日程などの具体的なことを聞いても、情報がアタマに残らない。「あぁこの件は順調で、問題がない」と判断すると、「あとは旅の日程表を見てそのとおりに行動すればいい」ということで脳が忘れてしまうらしい。


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