つれづれなる日々

今月の日記に戻る
トップページに戻る

2005年11月の日々

長崎:爆心に立つ


11/30/2005(水)

すすきのあたりにでも行こうかと地下鉄の駅に行ったら、ホームで友にばったり会い、アクセサリー展(別の友のいとこの友だちがやっているという)に行くというのでひっついて行ってみた。自然食系の喫茶店(店内禁煙だった)の一角での「展」で、琥珀やビーズを使ったとてもステキなアクセサリーがたくさんあり、アイディアも形もたいへん気に入ったんだけど、私が好きで身につける色がまったくなくて、残念だった。「展」とは別に店内で売っていた、ネパールで仕入れたという赤と金色のビーズのネックレス(500円)を購入。

きょうは公演最終日。ヤルタ終了後、どんどん梱包。終了して打ち上げ会場に向かう頃ちらちら舞い始めていた雪は、夜中まで降り続け、ちょっとだけ積もっていた。住んでいる人はきれいとばっかりも言っていられないんだろうけど、きれいだった。


11/29/2005(火)

起きると雷雨。でもとにかくきのうの約束通り、友と二条市場へ。カニを買いたい友と一緒に歩いて、お店の人からカニ選びのウンチクを聞いたり、試食をさせてもらったり、いろいろと面白かった。あいにくの天気でお客さんが少ない(というかだれもいなかった)から、特にサービスしてくれたんだろうか。ご飯を食べる店も紹介してもらって、3席しかないカウンターだけの寿司屋でにぎりとミニ丼のセットを食べた。

終演後は、別の友が「師匠から紹介された」という炉端焼きの店に(なんか食べ物の話ばっかりだ……)。この友とご飯を食べるのはこれが2回めだが、この人は食に対する姿勢が私と似ているようだ。最初に食べて美味しかったものを、最後にもう1度、ためらわず注文するところとか。


11/28/2005(月)

集合が5時なので、午前中から小樽に行ってみた。90年代初めの、バブルの終わり頃、よく札幌出張に来ていて、自分でスケジュールを立てていいので必ず出張を木・金にして土曜日遊んで帰っていたんだけど、その頃に札幌から電車で小樽に行ったときに、銭函駅を過ぎてからの、「海!岩!かもめ!」という「これぞ日本海」的な景色が大変気に入ったので、もう一度見たかったのである。

だから小樽に着いたときにはもうすでに目的は半ば達成されていたといえるのだが、だからといってアーケード街の手芸品店のリニューアル開店セールで1時間以上店内を歩き回ったのは、せっかく小樽に来て何をしているのかという気がしなくもない。しかし私は、旅先で、スーパーだとかコンビニだとか文房具店だとか、日常的な普通のお店を見るのが好きだ。

小樽を散策中の友2人と合流して、ランチ。また別れて一人でぶらぶらし、夕方劇場に入る。きょうの公演は、私はちょっと突っ走り気味だった、と後から共演者に言われた。

終演後、友がガイドブックで調べた寿司屋に行く。高くて、美味しかった。たちの味噌汁があったので、頼んだ。美味しかった。帰りに寄った喫茶店で、トイレに行ったら、「トイレットペーパー以外絶対に投げないでください」と貼り紙がしてあった。北海道では「捨てる」ことを「投げる」と言う、というのは知識として知っていたけど、字で書かれるとまたインパクトあるね。

私は乾燥にはめっぽう強いので、いままで特に乾燥対策をしてなかったんだけど、さすがに疲れもたまってきてのどが心配になったので、きょうは湯船にお湯をはり、バスルームのドアを開けたまま、寝た。


11/27/2005(日)

集合の前に、ロビンソン百貨店でブーツ購入。ネットで調べた、狸小路のパッチワークの店にも寄って、草木染めの布などを買う。

きょうも昼公演。きのう、おとといのお客さんは、自分のおもしろいところでくすっと各自笑いはするけれど全体に静かな感じのお客さんだったけど、満員のきょうは、あっちからもこっちからも笑いが。最初の、インターナショナルですでに笑いが起きていて、こんなことはあまりないので、ビックリした。

きょうは、帯広や苫小牧や北見や、道東小劇場演劇祭でご一緒させてもらった劇団の人たちがたくさん見に来てくれていた。遠くへ帰る人たちとはあまり話もできなくて残念だったが、元気そうな顔を見られてよかった。

終演後、きょうは札幌に泊まるという帯広の友やまだもう少し時間があるという苫小牧の友、札幌の友と、飲む。たち(タラの白子)の天ぷらというのが、1人1つずつあったんだけど、すごく美味しくて、「うまい!」と食べてたら、「そんなに美味しそうに食べるならもう1つ食べなさい」と帯広の友が自分の分を譲ってくれた。

私と同年代の人が多く、昔の給食はどうだったとか、こんなストーブがあったとか、肝油ドロップがどうとか、昔の話に花が咲いて、こんなに説明なしでツーカーでぽんぽん話が進むなんてかつて経験のない楽しさだった。


11/26/2005(土)

きょうは昼間の公演。『ヤルタ会談』が終わって、ちょっと小腹がすいたのでコンビニに行ったら、お店の前で帯広の友に会った。あらー、きょう見に来てくれたんだー。コンビニで温めてもらったグラタンを公園で食べたら、ちょっと温めがあまかったようで、ぬるかった。熱いお茶を買うか冷たいお茶を買うか、買うとき迷ったんだけど、熱いの買っておいてよかった!

『忠臣蔵・OL編』の終演後、アフタートークがあり、平田オリザの他にヤルタの出演者島田曜蔵と私も出演。どのような役作りをしたんですかとの質問に答えて私が言ったのは、全体を通してどういう人物、ということではなく、ヤルタ会談は交渉ごとで、脅し、泣き落とし、説得、……とにかく自分の持っているありとあらゆる手段を使って自分に有利な方向に持っていこうとするので、それを台本に沿ってきっちりやるようにした、見た友だちは、いままでやった役の中で一番地に近いと言っている――ということ。

帯広の友たちと軽く飲む。ニシン漬け食べたことないの?美味しいよ、と注文してくれた友が、
「これは、ニシンというおさかなで」
というところから説明を始めた。いやいや、さすがにそれは知ってるよ。

夜、なんだか目が冴えてなかなか眠れず、長崎公演のときにいただいてきた『宮さんのくんち』という脚本を読む。


11/25/2005(金)

午前中にゲネ。午後の時間が、けっこうあいた。ブーツを買いたくてデパートを見ると、おしゃれなブーツは普通に展示されているけれど、ガッツリしたブーツは靴底を上にして飾ってあるのに気がついた。なるほどー、これは滑りませんよ、ということをアピールしているんだね。さすが雪国。

古い友だちが公演を見に来てくれて、立ち話だったけど10年以上ぶりに話をした。「かっこよかった」との感想をいただき、嬉しかった。


11/24/2005(木)

『ヤルタ会談』『忠臣蔵・OL編』札幌公演に出発。空港までのバスが、ちょうど道の混む時間帯らしく、時刻表では到着時間が8時20分と書いてあったのに、出発した途端、
「8時30分到着予定ですが、多少遅れる場合があります」
とアナウンスがあった。話がちがう! これでは集合時間(8時半)に間に合わないので、ドキドキハラハラしたバスの旅となった。結局、8:35に集合場所に到着。

札幌に着き、昼食、搬入、仕込み。夕食後、自主場当たり。

終了して一旦ホテルにチェックインした後、何人かで飲みに行く。各自お通しを選べるシステムで、私は「ほや塩辛」を頼んだ。出てきたものは、以前食べたことのある大好きなもので、でも名前が思い出せなかった。「4文字の」「前に弘前で食べた」と言ったら、いえの人が「あぁ、ばくらいだ」とわかったので、他の人たちが驚いていた。飲んでいるうち、口の中に違和感があり、あぁこれはまたネジが抜けるのかなーと思ったら案の定、ネジが取れた。


11/23/2005(水)

12月にいえの人とソウルに遊びに行きたいと思っていて、いつなら行けそうかああでもないこうでもないと検討していたのだが、あ、この3日間で行ける!という期間が見つかり、気が変わらないうちにと駅前の旅行会社に行って航空券購入。帰って、インターネットでホテルも予約。うわー、仕事と関係ない旅行に2人で行くって、たぶんはじめてだ。

パク・カンジョンさんに、「『マルゴ タルトロク』を見にソウルに行きます、チケットを予約していただけますか?」とメール。すぐに、「本当ですか?」と返事が来た。


11/22/2005(火)

翻訳関係の打ち合わせでアゴラへ。1時間くらいで終わるかと思っていたら、2時間掛かってしまい、相手のかたには申し訳ないことをしてしまった。でも、人とわかりあうには会って話すということがやはり相当有効であると、きょう実感した。

先日およばれのとき、食べ物みんな美味しかったけど、フランスパンがちょっとしなっとしていて、添えられたタラコペーストが美味しいだけになおさら「あぁ、このパンがトーストしてあって、カリカリしてて、熱かったらなぁ」と残念だった。その思いが数日たっても消えないので(食いしん坊である)、本日、スーパーでパンとタラコとクリームチーズを買ってきて、トーストしたパンにペーストをつけて食す。気が済んだ。


11/21/2005(月)

もうどうしてもきょうやらないと間に合わない仕事を、する。3時間くらいで終わるかと思ったら、10時間掛かった。達成感の、あるようなないような……。

私にしては本当にめずらしく、12時前に就寝。


11/20/2005(日)

ハングル能力検定3級を受験。今回はとにかく受験勉強を一切しないで受けてみるということを自分の中で決めていて、だから、一般的な参考書やいままで自分が韓国語の勉強のためにまとめたノートなどは読み返したけれど、ハン検に特化した参考書や過去問題集などは読まずに挑戦してみた。思ったよりできた(合格ラインが60点なら大丈夫かも)という感じだったが、どうだろうか。聞き取りの力が半年前よりついたように思った。最後の1問を解いているときにカメムシ(さっきまで前の席の人の背中をうろうろしていた)が袖口を這っているのを発見し腕を振っても落ちなくてエンピツのお尻ではじき飛ばすというアクシデントはあったけれど、6月に初めて5級、4級を受けたときに比べると、ずっと落ち着いて試験に臨めた。

帰りにファミレスに寄って食事をしていたら、隣席の会話が聞こえてきた。50代くらいの女性3人。カレーを作って、ちょっといつもとちがう工夫をしたら家族のだれか(これが姑なのか夫なのか息子なのかわかればよかったのだが、そこは不明)に文句を言われ、「じゃぁ、捨てるわよ」と言ったら「いいよ」と言った。それで流しの三角コーナーにナベの中味をざざーっとあけた。で次の食事のときにその家族が「さっきのカレーをよそってよ」と言うから、「捨てていいって言うから捨てたわよ」と言うと、まさか、と驚いて、三角コーナー山盛りになってるのを実際に見て、唖然とした。「その顔を見たら、もう胸がスーっとしたわよ。ホントに捨てるとはまさか思ってなかったのね。それからは『捨てなくていい』って言うようになったわよ。あなたも1回やらなきゃダメよー」という話。家族に気持ちが伝わってよかったけれど、「胸がスーッとした」と言ったときのあまりに晴れ晴れとした調子が、ちょっと怖かったです。


11/19/2005(土)

友人の結婚式のため、母校へ。この教会での結婚式に参列するのはいつぶりだろうか。披露宴は、同窓会館。新しい建物で、私は見るのも初めてだった。でも中で迎えてくれたのは、私の在学中から学食にいたおばさん。なつかしー。披露宴も二次会も、新郎新婦の人柄のよく出た、楽しい会だった。


11/18/2005(金)

いえの人の買い物に、一緒に行く。明日友だちの結婚式で、それ用にネクタイとワイシャツを買った。

私は家に戻り、また寝て、夕方からアゴラへ。『砂と兵隊』初日の受付を手伝い、最前列ベンチで観劇。全体はつかみづらかったが、一人一人の表情や衣裳・小道具の詳細が非常に鮮明に見え、なんだかアップ多様の映像を堪能しているような感じだった。


11/17/2005(木)

メイクも済ませて、スタンバイ完了――と思ったら小道具が1つ無い。探すが無く、「これこれこういうふうにして乗りきります、よろしく」と開演直前の共演者に説明。かたわらの人に「演出家の許可はとったの?」と言われ、それは言ってなくて、そりゃもちろん言っておくべきなんだけどこの状況ではしかたなかろうと反論。でもなんかの用事でロビー方面に出たら演出家がいたので、状況を説明し、「ま、なにからでも学ぶことはできるってことだね」などと言われ、ちょっとほっとして、さて舞台袖に戻ろうとするが、どういうわけか行っても行っても行きつけない。隣の大劇場のロビーに出てしまったりする。歩くのもひじょうにしんどく、一足一足が苦痛だ。もう開演しているにちがいない。自分の出までに戻らなければ。ふと気づくと白い砂の海岸にいて、もう身体的な苦痛はなく、向こうでバーベキューなどしている人たちに近づいてみると、公演のキャストやスタッフ。なごやかに談笑している人たちに、私が行きつけなかった公演がどうなったのか訊ねると、「お客さんがほとんどいなくて、公演中止になったよ」「ホント?」「ウソだよ」あぁ、やっぱ私のせいで公演中止になったんだ、もう退団だ、と絶望的な気持ちになり、美術家が弁護するような話をしてくれている中、なんでこんなことになったんだ、夢ならまだしもなんで現実にこんなことをやってしまったんだ……というところで目が醒めた。というか、この演目はそもそも私が舞台上にいるところから始まるので「開演後、自分の登場までに舞台にたどり着こうと頑張る」という状況自体があり得ないということに思い至り、夢だということに気づくことができた。あぁ、なんという恐ろしい夢だろう。これはきっと、自分から自分への警告だ。そう思って気を引き締めて、来週の札幌公演に臨むぞ!

歯医者で、先日取れたネジを装着してもらい、アゴラに向かう。渋谷から歩いて、神泉駅の近くまで来たところでだいたいのカンで道を曲がったらその先で90度まちがってしまい、歩いても歩いてもセントラル病院の交差点に着かないなぁと思っているうちどうも周りの風景が池尻大橋っぽくなってきて、これは完全に道をまちがえたなと。なんだかんだで30分以上歩いた。

アゴラに行ったのは、明日から始まる『砂と兵隊』のゲネプロを見るため。『御前会議』以上に、大人の本気の挑戦だ。演出も、美術も、照明も。お客さまの反応はどうだろうか。とても楽しみである。


11/16/2005(水)

朝から『砂と兵隊』仕込み。まず、照明の吊り込み。私は、脚立の上の人に灯体やらコードやらフィルター枠やらを渡す係りを主に担当。2時間少しで終了。時間差でやってきた舞台班に劇場を明け渡し、照明班は早めの昼休憩。というか照明専門スタッフ以外は解散となり、照明班だった俳優(今回出演している人もいない人も)は午後から舞台の仕事にまわった。特殊小道具のよごしをさらに。棟梁の有賀さんから「クイーンオブよごし」の称号をいただく。

まだまだ舞台の作業は続いていたが18時で私は終了させてもらい、礼子さんと一緒に来週のOL・ヤルタの旅(北海道公演)のため衣裳の荷造り。いままで衣裳はクリアケースで運んでいたけど、来年海外ツアーもあるので、今度からスーツケースに入れることにした。あまり折りたたまなくても入るので、非常に具合がよい。国内の旅公演でも、次からスーツケースにしようかな。


11/15/2005(火)

私宛の郵便物が届いたが、「○○様方」(○○は、いえの人の名字)という郵便局で付けたらしいフセンが付いている。ここに越してきたとき、松田という名前で転入の届けもしてあるし、松田という名は郵便受けにもちゃんとあるんだけどな。

夕方から、青年団『砂と兵隊』の仕込み。照明の、カラーフィルターの準備などをした後、舞台装置のほうの搬入。台車があるのに25キロの重い物をトラックから劇場まで人海戦術で運んでいるので(1人一袋または、2人一袋)、「台車を使わないの?」と聞いたら、「面倒くさいから」とその場を仕切っていた人(キャスト)に言われた。若い人はこんくらいの重さぜんぜん大丈夫なのかね。私は先日重い物をちょっとがんばって持ったらその後1週間腰痛になったので、やばいと思ったら持たないことにしている。25キロ2人持ちは、持った途端「私には無理」とリタイアしてしまった。その後、特殊小道具の「よごし」部隊に入れてもらい、細かい作業に没頭。

帰りにファミレスで食事。オニオングラタンスープとスパゲッティを注文したら、不安的中、スープをまだ飲んでるうちにパスタも来てしまった。冷めちゃうよ。そして食べながら、次からはまずスープ(なりサラダなり)を注文し、それが来たところで追加でメインのものを注文すればいいんじゃないだろうかと思いつく。思いついてから、あれ、これって内田百閒かだれかが書いてたような気がするとぼんやりと思い出した。

劇場ロビーでの作業ですっかり身体が冷えてしまったので、温かいお風呂につかり、部屋も暖かくしてやすむ。


11/14/2005(月)

所属事務所に、契約の更新をしに行く。以前のプロフィール写真は気に入っていなかったので、新しく撮り直してもらった。しかし鏡を見るときにはどのような主観的修正が入るんだろう? 自分としては「セクシー+可愛い」と思った衣裳で撮ってもらったのだが、やけに堂々とした、頼りになりそうな、そしてセクシーとはほどとおい感じの写真になった。

帰ってきていえの人に「契約コウカイだったの?」と言われて、「公開はしてないよ」と答えたら、契約を更新することを契約更改というんだよ、と教わった。プロ野球選手とか、年俸などの契約内容を公開する「契約公開」なんだと思っていたよ。

もうずっと前に買って行方不明になっていた来年の手帳を発見。文房具店で買ったと思って文房具店の袋をさがしてばっかいたけど、ハンズで他の物と一緒に買ったんだった。


11/13/2005(日)

友がmixiでおもしろそうなコミュニティーをやっているのを発見。入ろうか、どうしようか……。

事務的な仕事をいくつか片づける。

パク・カンジョンさん(『ソウルノート』演出)とチェ・ヨンミンさん(『ソウルノート』学芸員役)が出演する、12月の公演(ソウル 芸術の殿堂 自由小劇場にて)のタイトルが『マルゴ タルトロク』というんだけど、それは韓国の国歌の歌詞だということを教わり、歌詞やら楽譜やらを調べてみる。作曲者が安益泰、『天上の弦』に出てきていた人だ!


11/12/2005(土)

頼まれていてなかなかできなかったこととか、他の人にバトンタッチしたつもりだったのに何も進んでいなかったこととかを、進める。

自分のホームページに新しいキルト(裏地も芯地もないんだけど、キルトって言っていいのかな?)を載せる。ま、パッチワークはパッチワークということで。

久しぶりにスタートレック関係のサイトを見て、マイケル・ピラーの死去を知る。57歳とのこと。


11/11/2005(金)
注意:チェルフィッチュ『目的地』の内容に触れています。

アゴラにてチェルフィッチュ『目的地』を観劇。チェルフィッチュは初見。だれがだれに向かってしゃべっているのか、それはいま起こっていることなのか過去に起こったことなのか、というのがシフトしていくところが面白かった。特にネコ3匹のシーンが好きで、スクリーンに投影されている文字を眺めながらそれとほぼ同じ内容を話し言葉で話す、気のなさそうな様子も、話題になっているメスネコが、三人称で語られているうちにするっと一人称で語られ始める感じも、とても好きだった。中には飽きてしまったシーンもあったし、全体として全部楽しめたわけではなかったけれど、次の公演もぜひ見たいと思った。

アトリエ春風舎にて渡辺源四郎商店『俺の屍を越えていけ』を観劇。初演を見たときは、ストーカーを肯定しているかのように私には思えたラストシーンのためにあまり印象がよくなく、短縮30分版の台本を最近読んだときも、本荘以外の人物像がくっきりしていない、特に女性の役はそれぞれの特徴があまり感じられない、という感想を持ったので、実は今回あまり期待していなかったのだけど、上演時間「1時間14分」という今回の上演、なかなか面白かったし、「開店準備公演」らしい活気と熱気があったと思う。


11/10/2005(木)

出掛けず、家で仕事をする。家事とか整理整頓もする予定だったが、シンクにためていた食器を洗ったのと洗濯をしたくらい。


11/09/2005(水)
注意:新国立劇場で公演中の『屋上庭園』/『動員挿話』の内容に触れています。

余裕を持って出掛け、駅ビルのパン屋のレジでバッグを開けると、財布がなかった。パン屋さんにあやまって、財布を取りに家に戻り、友との待ち合わせに結局10分遅れてしまった。

新国立劇場で岸田國士作品2本立て公演『屋上庭園』/『動員挿話』を見る。『屋上庭園』は、友情とか貧富とか夫婦とかいう不変なものよりも、大正末期だか昭和初期だかといった時代の雰囲気を強く感じ、共感して見ることができにくかった。ピカピカの靴と白っぽく汚れた靴、パリっとしたスーツとボタンの取れた背広やすり切れたネクタイ、奥さん同士の服装の対比といった、わかりやすい衣裳にも、私の気持ちは少し後退した。また、キーワードの1つ(というほど重要ではないかもしれないが)の「一重帯」が聞き取りにくく、最初男の人たちがしゃべっているとき「ヒトヨービ」としか聞こえなくてわけがわからず、そんなこともあってなかなか物語の世界に入っていけなかったように思う。なかなか入っていけなかったせいか、ラストの妻の突然の嗚咽も、あまりにも唐突に感じた。

『動員挿話』は、戦争に行かねばならない軍人とちがって馬丁は行っても行かなくてもいいとわかったからには夫(馬丁)はどうしても戦争に行かせたくない、と主張する妻の話で、切ない主張や悲しい結末に、涙をボロボロ流したんだけど、パンフレットに載っている初演時の劇評というのを読んでビックリした。曰く、「異変アブノーマルな一女性を示した芝居」、「少し計り学校に行つて、新しい思想にかぶれかけて、そして、私欲一点張りの、強情極まりなき性格破産者」などなど。「(この女の悲しい結末に)見物は少しも同情を持たぬやうに出来てゐる所が可いのだらう。」とまで書かれている(「変」「学」「欲」「点」「強」「来」は、ホントは旧字体)。書いたのは、仲木貞一という人。その時代には、そのような受けとめ方が一般的だったんだろうか。現代の観客にとってもっとも感情移入しやすいのがこの妻の役だと思うのだが……。後の世に新しい解釈を生んだという、シェイクスピアの『ヴェニスの商人』のシャイロックの描写のようなものなのだろうか。


11/08/2005(火)

旅公演から戻ってきた荷物を片づける「カタシ」の日。次の札幌公演は荷物を宅配便で送るので、そのための梱包などもしたため、4時間半ほど掛かる。


11/07/2005(月)

DVDを見ながら歯を磨いていたら、なんだか口の中に違和感が。あ、なんか取れた、と思って手に取ると、長さ5mmほどの金属のネジであった。あわてて歯科医にメールで相談。大丈夫なので次回そのネジを持ってきてください、とのこと。


11/06/2005(日)

マチネ公演の後、オリザはアフタートーク。私たちはそれと同時進行で撤収作業。高松と同じく、ヤルタのものはOL本番中にあらかた梱包まで済ませてしまっていたので、私は主に舞台のほうを手伝った。

1時間半ほどで作業終了。最寄り駅から「しろいかもめ」というなんだかむやみにゴージャスな列車で博多まで移動し、地下鉄で空港へ。羽田空港が天候不良のため関空に降りるかもしれないなどというアナウンスもあり、到着時間が予定より30分近く遅れる。もうきょうじゅうに家に帰れないかと思ったけれど、終電から終電へと乗り継いで、なんとか無事帰宅。


11/05/2005(土)
注意:平田オリザ作『ヤルタ会談』の内容に触れています。

朝掲示板に、長崎に行きますと書き込みが。前に飛ぶ劇場で一緒の作品に出演した、きたむーだ。北九州から見に来てくれるとは、嬉しい!

午前中、いえの人と平和公園に行く。私は長崎は、90年代初めに仕事で来て以来だ。展示会(デモンストレーター)だったか講習(インストラクター)だったか覚えていないが、機械翻訳システムの仕事だった。平和公園はそのときも行ったけど、平和祈念像をもう一度ちゃんと見たかったので。

公園への階段をのぼりながら、この階段の上に前回私の気持ちを大きく動揺させたなにかがあったはず、ということが思い出されてきた。それは、噴水の前にある石碑に刻まれた、被爆した少女の言葉であった。平和祈念像は、白っぽい像のように思っていたが、イメージしていたよりも青みどりがかっていた。すごくたくましい男性像で、でも表情は非常に柔和。近くから見上げるようにして見ると、手も足もなんだかものすごく大きかった。

その後、すぐ近くの、爆心地へ。まるい芝生の輪の中に、黒い石の柱が立っていた。彫刻や記念碑のたくさんある平和公園に比べて、ここは、なにもない。そのなにもなさが印象深かった。石柱の隣に立って、上空を見上げる。

12時半集合、2時半開演でヤルタゲネ。お湯のポットをスタンバイし忘れて給湯室に取りに戻り、ぜいぜいしながらスタート。一場後半で考えられないミスをするなど、落ち着かないゲネになってしまった。「(ヤルタ会談は)一から出直しだな」とおこられる。

一から出直した本番は、3人とも緊張気味だったが、お客さまのノリがよく、テンポよく進んだ。ただ、最後近く、新しく開発している爆弾のことを秘密にしていたルーズルベルトが、これからソ連も参戦するし、イギリスもガンガンやるぞーと言う2人につられて、「よし、そこでうちもドカーンと(行きますよ)」と秘密をもらしてしまうところで、演じている俳優のあっけらかんとしたポーズもあってたいていの会場で笑いが起きるんだけれど、きょうはしんとしていた。

終演後、アフタートーク。自分が疑問に思ったことを素直に聞いてくる、気負いのない質問が続き、聞いていても面白かった。

明日は終演後ただちに東京に戻るので、きょう、ホールの方や杉山至(舞台美術)ワークショップ参加者の方などをまじえ、打ち上げ。「北九州で『東京ノート』美術館公演を見ました。飛ぶ劇場の『ロケット発射せり。』も見ました」という方とお話ししたり、世界を放浪している人から海で貝を捕りすぎてぎっくり腰になった話を聞いたり、スタッフの方から長崎の演劇事情を教えてもらったり、たくさん話ができて楽しかった。きたむーとも、ロケットのときの、あんな思い出、こんな思い出なんかを語ったりもした。この調子でしゃべり続けていると明日声が出なくなる、と思い、途中からセーブ。


11/04/2005(金)

電車、新幹線、高速バス、路面電車を乗り継いで、午後3時半に長崎ブリックホールに到着。10時退出までに、舞台仕込みは終了。照明は、シュートの途中。私は、アイロン掛けが少しは上手になったように思う。

ホテルにチェックインした後、ホールの方とあと何人かで飲みに行く。きょうもスタ&スタ。


11/03/2005(木)
注意:壺井栄作『二十四の瞳』の内容に触れています。

朝9時半開演でゲネプロ。写真撮影が入るということはなんとなく薄々気づいていたけれど、思いがけないフラッシュ撮影で驚いた。

高松は、13時開演の1回公演のみ。よく笑うお客さまだった。『忠臣蔵・OL編』の開演中に、ヤルタの衣裳・小道具の撤収・梱包を済ませる。大きな劇場で、舞台と楽屋が離れているからできること。こういう点は楽で助かる。忠臣蔵終演1時間後くらいにはトラックへの積み込みが終了し、解散となる。

ホテルは劇場から徒歩15分。いえの人はそのまま飲みに行きたかったらしいが、私は荷物を置いたり衣裳の下着の洗濯をしたりしたくて、一旦2人でホテルに帰る。その道すがら、歩いているとフェリー乗り場があり、50分後くらいに小豆島に行く高速艇が出ることがわかり、行ってみることに。道々『二十四の瞳』がどういう話かというのをいえの人に説明していて、ラストの、失明した元教え子が、僕は昔みんなで撮ったこの写真だけはいまでも見えるんだ、ほら、これがだれだれ、これがだれだれと指さすんだけど、それがみんなちょっとずつずれている、というところになったら、涙が出てきた。あいかわらず泣き虫。

高速艇で30分。小豆島に到着。できればご飯を食べて……と思っていたんだけれど、日の暮れた港周辺にはみやげ物店数件と民宿の食堂くらいしかあいていなかった。結局、『二十四の瞳』像を見て、忠臣蔵で新しく大石役になったジャッキーに初日おめでとうのプレゼント(オリーブ)を買っただけで、次の高速艇で帰ってきた。無計画、無目的。「小田急ロマンスカーで新宿から箱根湯本に行って、駅前30分ぶらぶらして帰ってくるようなもんだねー」と言い合うが、二人で呑気に歩き回るのは楽しかった。


11/02/2005(水)

早朝のバスでいえの人と羽田に向かう。めずらしく、到着予定時刻よりもちょっと遅く空港に着いた。第2ターミナルは初めて。ステキな空港だが、早朝のせいか「和食バイキング1400円」などという店しか開いていないのに閉口。いくらなんでも強気すぎるんじゃないだろうか、朝食でこの値段。別の階に半セルフサービスのうどん・そばの店を見つけ、リーズナブルな朝食を。

空路、高松へ。実は私は、四国に来るのはこれが初めてである。舞台仕込みは、照明班に入っているんだけど、劇場の方がすでに吊り込みを終えていてくださったので、下っぱの私は、カラーフィルターを入れるくらいでもうやることがなくなってしまい、衣裳や布物にアイロンを掛ける仕事にまわった。どうも自分はアイロン掛けが苦手らしい、ということがわかった。掛けていて「これでよし!」と思うのだが、それをハンガーに掛けて見てみるとどうもまだまだしわだらけなのである。

仕込みが終わり、夕食後、自主場当たり(演出家がいなくて、俳優だけで稽古)。その後ホテルにチェックインして、何人かで飲みに行く(「スタッフ&スターリン」という面子になった)。美味しい店だったが、焼き鳥盛り合わせを頼んだら、「歯抜けになりますがいいですか?」と言って、ナンコツと皮ばっかり何本も何本も持ってきたのは、ちょっと強気すぎるんじゃないかと思った。


11/01/2005(火)

明日から『忠臣蔵・OL編』と『ヤルタ会談』2本立て旅公演なので、倉庫から舞台装置などをトラックに積み込む。物量的にそれほど多くはないが、人数が少ない座組みなので(しかも、出演者9名中男子はたった1名)、2時間ほどかかる。

私はきのうまで『ソウルノート』にかかりきりだったので、洗濯なんかもたまってしまっていて、明日の出発に向けて、洗濯したり近所のコインランドリーで乾燥したり、靴下を新しく買ったり(これは洗濯のせいではなく、もともと秋・冬用ソックスが不足していた)。

掲示板にパク先生への返事を書く。「アゴラに皆さんがいなくなって、さびしいです。また一緒に公演できると嬉しいです。また会う日が早く来るといいです」。ちょっとおセンチね……。


今月の日記に戻る
トップページに戻る