つれづれなる日々

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2006年3月の日々


03/31/2006(金)

2泊したホテルで、電話代を2,000円くらい請求された。ザグレブ市内のアクセスポイントにつないだだけなんだけどな。おととい、繋いだままちょっと寝ちゃったりしたから、そのくらい使ったのかもしれない...。

早朝、バスでリュブリャナに戻る。私を含む4人は、そのまま空港へ。他の人たちはリュブリャナで1泊してから帰ることになっている。

空港で、スロベニア最後の食事。カフェテリア形式の食堂だけど、おいしかった。迷彩服の軍人が大勢いた。空港の無線LANが、ホテルのと同じヤツだったので、ブラウザーの画面をコーヒースタンドの店員さんに見せ、「カード、売ってる?」と聞いて、2時間使用できるプリペイドカードを購入。北米ツアーに来るまで「無線LAN」なんてぜんぜん知らなかったけど、これ、便利ですね。

乗り換えのミュンヘンでは、それでも30分ほど時間があり、免税店などを見て歩いた。今朝から歯が痛くなっていたので、鎮痛剤も買った。


03/30/2006(木)

12時稽古開始まで、部屋でだらだらする。だらだらというか、メールの読み書きとか。ザグレブは一人部屋になったので、マイペースで行動できるのはありがたいけれど、逆に、「一緒に○○しようよ」と言ってくれる人がいないので気分が引っ込み思案のときは引きこもりっぱなしになる。ま、それもまたよし。

稽古は、舞台中央で開閉して使うはずだったカーテンをこの劇場では使用しないことになったことと劇場の奥行きが広いことに起因する段取り変更が主。その後、照明デザイナーと俳優で、立ち位置をどうするかなど話す。そうこうするうち開場時間が迫る。なんだかきょうは時間があるはずなのにずっと忙しい感じだった。

きょうになって段取りが変更になった部分が多く、「ぶっつけ本番」的な公演になることは承知していた(悪いことばかりでもないと思う)が、開演してみると、舞台が非常に暗くて手元が見えない。あぁ、さっきの稽古のとき、私、本番でかけるサングラスをかけていなかった! 動揺するが、動揺しててもしかたない。なんとか目を凝らして、段取りをこなしていく。スロベニア公演のときのほうが疲れていたはずなのに、きょうのほうが疲労感がある。時差ボケが今頃になって出てきたのか? そんなこんなで、自分のやるべきことを精一杯やることしかできなかった。ツアーの最後で感無量、みたいな感じになるかと思ったけど、そんな余裕がなかった。

ともあれ、無事公演終了し、ロビーでレセプション(ワインのみ)。その後、打ち上げ。


03/29/2006(水)

早朝目がさめたので、ホテルのロビーで無線LAN接続を試みる。画面にスロベニア語しか出てこないので、フロントの人に、どこに何を入力したらいいのか、どれを選べばいいのか、聞きながらやった。きのう朝市で買ったブーケとけさの無線LAN代で、支給されていた行動費がちょうどきれいになくなった。

演出助手のクリステルが、きのう「もうフランソワとは仕事をしない。ザグレブには、だから、行かない」と言っていた。今朝になっても気持ちは変わらないとのことで、ロビーでお別れする。フランソワのことも俳優のこともよくわかってくれているクリステルがいることが、私たちにはとても心強かった。だからザグレブにもぜひ一緒に行ってほしいけど、クリステルがそう決心したんなら、しかたがない。残念だけど。

クロアチアのザグレブへは、バスで移動。スロベニアの入出国のスタンプが、「飛行機で」「入る」、「車で」「出る」ということが非常にわかりやすく絵で説明されていて、感心する。

「俳優はホテルに行って、3時に劇場に来てください」→「12時からの記者会見に俳優も出るので、いますぐ劇場に来てください」またまた予定変更。記者会見後、劇場内を案内してもらい、「俳優と5分ほどミーティングをしたい」とフランソワが言って、その場所の確保などを待っているうちフランソワは舞台装置の話とかをスタッフとし始めて、いっこうにミーティングが始まらず、昼食がまだの私はだんだんいらついて不機嫌に。結局、「稽古の前にミーティングしますから、いまは解散」となったが、その時点で2時少し前。それでも歩いてホテルに帰り、今朝リュブリャナのホテルの朝食バイキングのパンで作ったサンドイッチを食べる。せめて15分、とベッドに横になる。寝たか寝ないかで電話。「集合が3時半になりました」。目覚ましをかけ直して、もう少し寝る。

3時半からは、照明の人と、立ち位置を決めたりする作業。私はほとんど関係ないので、楽屋で寝させてもらう。気がつくと、そうとう疲れていて、気持ちも弱っていて、こういうときは一人で弱気になってちょっと泣いたりすると気分転換になるので、ちょっと泣いたりした。

その後、「劇場では明かり作りをし、俳優は別の部屋で、字幕操作の人のために台詞を一通り言う」ということになり、始めてみると、最初のシーンの終わらないうちに字幕データ自体に不備があることが判明し、俳優は「きょうはもう結構です」となる。

まだ8時。気がつくと私はこのツアーに合流して以来、サンドイッチとホテルの朝食くらいしか食べていない。こちらに住んでいる人に教えてもらったレストランに、何人かで行く。日本語のわかるウェイターが、いろいろ何がおすすめだとか言ってきてくれて、観光地っぽくてちょっとうるさいなーと思わなくもなかったけれど、おすすめのものがたしかにみんなおいしくて、大満足。


03/28/2006(火)

12時稽古開始とのことで、午前中少し街を歩く。ぱっと目に飛び込んでくるスカーフがあり、購入。あと、朝市でドライフラワーのブーケを買った。どうやって持って帰るつもりなんだろう?

うわー、いま30日の朝なんだけど、28日の稽古の記憶がまったくないや。

19時半開演。開演してみると、同時通訳の声が舞台に丸聞こえ! きのうの携帯電話どころのうるささではない。こういうのに一番弱そうな男優2人が、でもがんばって演技してる。私もがんばる、と思ったけれど、最初の出番のときは、うまくやりきれなかった。想定外の事態とはいえ、くやしい。2度めの出番は、いままでで最高くらいの出来になったと思う。失敗してからじゃないとできなかったのは、いかにもくやしいけれど。

終演後、レセプション。


03/27/2006(月)

ニューヨーク発の飛行機が1時間ほど離陸が遅れ、結局、40分くらい遅れてフランクフルトに着いた。乗り換えに30分しかない。この大忙しのときに、手荷物検査で私がひっかかった。カバンを開けろと言われて開けると、係の人がガーリッククラッシャーを取り出した。「これは何ですか?」えーと、あのう、と言っているうちに係の人がパッケージを読んで、「オウ、ガーリッククラッシャー」(ニンニク潰し)と言っている。気がせいて妙なハイテンションになった私が、「アイ・オンリー・クラッシュ・ガーリック」(私はニンニクしかつぶしません)とジョークだかなんだかわからんことを言ったけれど、スルーされ、とにかく無事通過。後から考えてみれば、あんなぎざぎざして重い金属は、凶器になりうるんで、あんなものを手荷物に入れて飛行機に乗ったこっちが最初から悪い(アメリカ出国のときは問題なかったんだけど...)。

リュブリャナに到着。3人とも、受託手荷物が届かない。フランクフルトにある、今夜ホテルに届ける、と言われ、車でホテルへ。スタッフはすぐに劇場に来てくれと言われている。「マチコさんは、落ち着いたらでいいんで、来てください」と制作の人が言う。じゃ、1時間後に、と言って、部屋でちょっと横になる。なんかもうしわけないような気もするけど、いますぐ行っても、疲れてて、きっと使いものにならない。

で、4時前に劇場入り。フランソワ、クリステル、俳優たちと再会! フランソワが言う。
「マチコ、段取りが全部変更になったよ。ロウソクは使わないことになった。きみが裸で2時間燃え続けるんだよ」
どういうジョークなんだかわけがわからない。
「いいよ。フランソワも一緒にやるんだよ」
と答えておく。

途中、サンドイッチなどつまみながら、照明のシュートに合わせて立ち位置を決めていき、その後8時から、通しをします→照明との稽古をするので通しはしません→同時通訳の人に見せないといけないのでやっぱり通しをします、と、ころころ予定が変わる。まぁ、そんなもんだろうと思っていた範囲内。自分のきっかけメモと公演のビデオを見て復習してきたといっても、まだあやふやなところがあり、メモを見ながら稽古に参加する。やっているうちに、あぁここはこうだった、ここはこうだった、と思い出してくる。よし、通し稽古を1回やれば完璧だ!と思ったら、通しが途中で中断されてしまった。劇場の照明スタッフが携帯電話で話し出し、ある俳優が「ゴメン、無理です」と演技をやめ、それでフランソワが照明スタッフを怒鳴り、照明スタッフが「劇場の舞監からの電話だったからでたのに、『残業になるけどきょうは稽古の終わりまでいてくれ』という電話だったのに。そういうことなら10時半でオレは帰るからな。稽古も10時半でおしまいだ!」と怒鳴り、照明卓の位置を変更して稽古再開したものの、10時半になった時点で客電がぱぱーっとついて、退出を余儀なくされる。

ホテルに帰り、インターネット接続を試みるがうまくいかない。ダイヤルアップ接続できない電話のようだ。同室の人のパソコンを借りて(UBSで繋げる。そのためなんかのソフトをCD-Romからダウンロードしなきゃいけないので、CD-Romドライブがない私のパソコンでは、繋げない)、mixiでいえの人にメッセージを送る。


03/26/2006(日)

早朝出発する劇団本隊を、ホテルのロビーで見送る。部屋に戻ってもうちょっと寝る。荷造りをして、12時ちょっと過ぎにチェックアウト。1人、MoMAに向かう。なんかきょうは天気が悪いね。途中、ロックフェラーセンターの、アイススケートしている人たちを見たりしてたら、東西と南北を取り違えて、変な方向に行ってしまいそうになったけど、無事にMoMAに到着。

大きくて、人が多くて(週末だからね)、わんわんしている。なんだかぼーっとしたまま最上階から見始める。ムンク展をやっていた。最初、Munchがムンクだと気づかず、「何枚も何枚も自画像を描き続けているこの人は、なんだか不安そうだけど大丈夫なんだろうか?」などと思ってしまった。常設展示に、ゴッホの『星月夜』があった。でもこれ、まえにどこかで見たことがある気がする。どこでだったんだろう。ピカソもたくさんあって、私にとって好きなピカソとそうでもないピカソがあることがわかった。まぁ、その日の体調とか心境にもよるんだと思うけれど。そういう話をすれば、こないだグッゲンハイム美術館に行ったときから思ってるんだけど、絵とかって、結局自分の見たいようにしか見ていないんだと思う。ロールシャッハテストの絵柄だけじゃなく、全部の絵が、自分の中の何かの投影になっちゃうんだと思う。おもしろいよね。

6階、5階、4階と見てきて、3階の途中で、もうこれ以上美術が頭に入ってこない、という状態に。じゃぁカフェに行こうと思ったけれど、カフェもレストランも長蛇の列。ならもうMoMAはいいや、と、最後にミュージアムショップに入る。結局ここに1時間いた。このショップは、いろいろな魅力的なものがたくさんあるのに、商品の魅力をあまりアピールしていない、もどかしい感じのするお店だった。こっちの陳列台の商品のサンプルが別の陳列台のほうに行っちゃってたり、すてきだけど用途のわからない品物に商品説明が付いてなかったり。片手で使えるノック式のペッパーミルと、重さと回転でニンニクをつぶす「ガーリッククラッシャー」なるもの、「ダイヤモンドリング」(ダイヤの指輪)という名前のプラスチックの指輪、針金で出来ててポーズのかわる動物マグネットを購入。ステキなバッグもいくつかあったけど、この値段ならいらない、という感じ。MoMAを出ると、もう4時を回っている。そして気づくと、きょうは朝から何も食べてないじゃないか! ホテルの向かいのデリで軽食をとり、ロビーで他の2人と落ち合って、タクシーでJFK(空港)に。フランクフルト経由でリュブリャナ(スロベニア)に行くのだ。


03/25/2006(土)

ツアー最終日。いえの人は、「午前中の光の中でバッテリーパークから自由の女神像を見てみたい」とのことで、出掛けていった。私はゆっくり寝て、起きて、シャワーを浴びて、それから昨年6月の『フェードル』公演のビデオで自分の台詞や段取りを確認。うーん、去年6月の私は、こういうふうなことをやっていたのか...。

4時半劇場入り。発声練習をかねて『フェードル』の台詞を練習する。7時半開演で、このツアー最終日の公演。「インターナショナル」の歌できょうも笑いが来る。タイミングから言って、英語の字幕を読んでいる笑いだと思う。きょうのお客様は、昨日以上にのりがよかった。そして特徴的だったのは、スターリンが、でも実際のところ自国からユダヤ人が出ていってくれるのはありがたい、ということを言ったときに、「恥を知れ!」的に舌打ちをした人がいたこと。客席全体が息をのんだ感じがした。

終演後、アフタートーク。きのうと同じような質問が続いた(キャストを女性にしたのはどうしてか。『ヤルタ会談』を書こうと思ったきっかけは何か)。

撤収してホテルに戻り、ニューヨーク在住の古い古い友と、何人かで飲んだ。


03/24/2006(金)

この後本隊と別れてスロベニアに向かうにあたり、不要な荷物を日本に送るべく、郵便局に。4000円近かったので、「船便なのに、この値段?」と聞くと「だって、重いから。三十なんポンドあるもん」と言われた。とにかく、これで荷物がスーツケースに収まりそうだ、よかったよかった。

午前中、高校生のワークショップがあるので、そのまま劇場に向かう。『ヤルタ会談』の1場を私たちが日本語でやって、その後、生徒3人が2場の最初の5分、別の生徒3人が次の5分を英語で演じる。最後の5分は生徒2人と私がやる(これも英語)。という段取り。生徒たちは「リーディング」とのことで台本を手に持って演じていたけれど、だいたい台詞は覚えているようだった。

スターリンが席を立つ。「とにかく朝鮮はもらいますよ」。私がやるときは、その直前でおこって泣いてごねている勢いもあって大きな声で強く言ってるけど、高校生スターリンは非常に冷静。さらっと言う。このほうが怖い! 見ていていろいろとおもしろかった。

私が参加した「最後の5分」というのは、中座したスターリンが帰ってくるところ以降。だいたいその辺りだろうなと思って予習しておいたので、発音のわからない単語などはなく、なんとかやれた。チャーチルと2人で腹のさぐりあいをするところと、いちばん最後にルーズベルトを2人ではさんで秘密を言わそうとするところが、やっていて楽しかった。

公演は、きょうの客席はきのうに比べてリラックスした感じだった。みんな、好き勝手に笑ったり手をたたいたりしてる。終演後、アフタートーク。私も出たんだけど、通訳として呼ばれたんだと思ったらどうも俳優として呼ばれたみたいで、ちょっと動揺してるうちにどんどん進んでしまった。私ののりが悪かったとしたら、そのせいです。ごめんなさい。

以前『東京ノート』の英語公演をコネティカットの大学でやった先生が見に来てくれて、私はメールでは話したことがあるけど実際会うのはきょうが初めてだった。赤いチューリップをいただいた。


03/23/2006(木)

ゆっくり起き、近所のデリでご飯を買って、劇場入り。きょうはフォトコール(写真撮影)、ゲネ、初日。フォトコールに、ロシアのテレビ局が取材に来た。取材の人(男性。30歳前後くらいか?)は、その後のゲネも全部見て、
「あの歌(インターナショナル)歌うって、先に言っといてくれたらよかったのに。歌がきょうのハイライトだったよ」
とニコニコして、機材の準備をしながらロシア語(?)で自分もインターナショナルを口ずさんでいた。機材の準備というのは、なんか私の歌を急遽録音することになったから。気に入ってくれたんだったら嬉しいけど、説明したとおり、あれ、替え歌なんだけど、わかってますか?

公演は、満席でないのが少し残念だったけれど、落ち着いてじっくり見てくれている感じのお客様だった。歌のところで笑っている人がいた。「インターナショナル」で反応があったのは、アメリカではここが初めて。

終演後、初日のレセプション。2月のワークショップで会った大学の先生や、ヤルタのリーディングをした演出家や、カナダで知り合った人のきょうだい(ニューヨークに住んでいて、見に来てくれた)や、いろいろな人と話をした。


03/22/2006(水)

仕込み。舞台と楽屋関係は昼過ぎまでにだいたい終わり、キャストは3時過ぎに解放された。

月曜に行って定休日だったCity Quilterを目指す。25丁目まで行ったのはいいけど、番地のE(東寄り)とW(西寄り)の意味をよくわかっていなくて、どんどんどんどん逆方向に行っちゃって、一緒に行った友をずいぶん歩かせてしまった。ごめんね。6年ぶりのCity Quilter。ほしい本が何冊かあったけど、持っていくには重いし、最近の私は本の説明通り作るというよりはアイデアだけいただいてあとは自分勝手にやる、というキルターなので、さーっと見るだけにしておいた。「ニューヨークだよぉ〜」という布セット(自由の女神、クライスラービルなど)と、6.5インチ角の定規(ロータリーカッターで布を切る用)、キルトの柄のレターセットを購入。

夜、何人かで夕御飯を食べに行く。イタリアンレストラン。片言の日本語を話す陽気なウェイターが、女子に「アイシテル」を連発していた。おいしかったけど、食べ過ぎた。アメリカの一人前は、量が多すぎる。


03/21/2006(火)
注意:ブロードウェイのミュージカル『オペラ座の怪人』のネタバレがあります。

オフの日。ゆっくり起きて、11時半頃行動開始。地下鉄で、グッゲンハイム美術館へ。

修理中とかで足場が組んであり、外観見えず。フランク・ロイド・ライト作の建物を見るのが目的の1つだったので、残念だった。中に入ると、白い螺旋状の回廊を人々がのぼっていったりおりていったりしているのが見えた。まんなかがふきぬけになっている。エレベータで最上階に行き、下を見下ろすと、たいへん気持ちが悪かった。どういう仕組みなのか各階を歩く人の足元が全部見えて、遠近感がゆがむような気がして、怖くて長く見ていられないのである。変な建物だ。

開催中の「デヴィッド・スミス」展を上から順に見ていった(順路的には、下から上にあがっていくのが順当のようだった)。鉄をいろいろと寄せ集めてひっつけた作品が、私には興味深かった。たぶん「鉄」という私の扱い慣れない素材と「寄せ集める」つまりパッチワークという私にとってあまりにも身近な手法のマッチングが、私にとって意外で面白かったんだろうと思う。

常設展示の中では、ピカソのWoman With Yellow Hairがよかった。ピカソ、うまいなぁ。あんなふうな絵を、私も描きたい。

徒歩でメトロポリタン美術館へ。しかしきょうは中に入らず、ミュージアムショップだけ。2階に展示してある刺繍のラグ(3畳程度の大きさ)が気に入ってほしくなってしまい、値段を見ると千七百何十ドル。
私「これは、二百万円?」
いえの人「いや、二十万円だよ」
買えない金額ではない。迷いに迷う。しかし、ニューヨークの後まだスロベニアとクロアチアに行くんだし、持っていけないでしょう?無理でしょう?と言われ、無理じゃないような気もしながら、きっと自分はいま興奮しているから冷静ないえの人の判断のほうが正しいだろうと思い、購入を断念する。模様をノートにスケッチしておく。

夜は、何人かの友と、ブロードウェイに『オペラ座の怪人』を見に行った。予約したときから「重要なシーンが5分間ほど見えない席です」と言われていて、どういうことだろうと思っていたら、1階席最後列で、2階席が頭上に張り出しているため舞台上方が見えないんだった。

ぐわーっとあがっていくシャンデリアや墓の上の怪人やオペラ座の屋上の怪人が見えないのはたしかに残念だったけれど、全体的にそうとう楽しめた。セットが、まずうまかった。カーテンとか最低限の置き道具で、「客席方向から見たオペラ座舞台」から「舞台上から客席方向を向いているオペラ座舞台」にあっというまに変わるところとか、オペラ座の書き割り(エジプトの風景)がするするするするとあがっていくところとか、見事できれいで、圧倒された。クリスティーヌが最後に怪人に指輪を返すときに、その指輪がキラッと光るのなんか、芸が細かいというか丁寧に作ってあるというか、ホントに感心した。ただ、声をマイクで拾っているので、舞台上のどの人がいま歌っているのか一瞬わからなくなるときがあり、まえに日本で『レ・ミゼラブル』を見たとき同様、それが不満だった。不満というか、ブロードウェイでもそうなんだー、これは、じゃぁしかたないのかなぁ、と思った。

しかし、とにかくいちばんビックリしたのは、カーテンコールで中央に立った怪人が、舞台の余韻もなんのその、
「エイズの募金をしています。将来どうとかいうことではなく、いま必要なことに使います。病院に行く費用とか、症状を緩和する薬とか。ロビーに仲間が立っていますので、ぜひ寄付をお願いします。このポスターは限定品です。100ドルの寄付です。こちらのポスターは、人気がありきのう売り切れてしまったんですが、前の怪人役の人がサインして置いていった分がいくつかあったので、そこに僕もサインしました。2人の怪人がサインしたポスター、他にはありませんよ。50ドルの寄付をお願いします。CDは、25ドル。僕のソロCDもあります。サイン入りです。あと、エイズアウェアネスのピンと、乳ガンアウェアネスのピンもあります。20ドルの寄付です。よろしくお願いします」
と、とうとうとアナウンスしたこと。それだけ切実な運動なんだなぁと感心すると同時に、こんないい舞台を見て高揚してるときは冷静な判断ができないはずでそれにつけ込むのはフェアじゃないんじゃないかという気もした。

帰り、ホテルまで歩きながら、友たちと、怪人の「I love you」について話し合った。I love you.という言葉をどういうときにどういうふうに言うべきかの勉強になったという人。あんなことになる前に、もっと早いうちに言えばよかったんだ、と熱く語る人。さきほどの舞台が思い出されて涙ぐむ人。私にとっても、あのI love you.は印象深かった。それは、どう考えても彼女の気持ちが自分に向くとは思えないあのような絶望的な状況でも、あの人ら(英語の文化の人たち)は「自分はこう思っているのだ」ということを言葉で宣言しないといられないんだなー、宣言することがとっても大事なんだなー、と、文化的な相違を強く感じたから。


03/20/2006(月)

クリーニング、到着。伝票を見ると金曜日に「明日着く便」で出してるんだけど、土日は休み扱いなのかな? とにかく、出発前に間に合ってよかった。

ところが10時半出発のはずがバスがなかなか到着せず、30分くらい遅れて出発。昼過ぎにニューヨークに着き、劇場に道具類を搬入し、ホテルにもすんなりチェックイン完了。ここはネット環境もよく、快適。

いえの人と出掛け、昼食を食べて(イタリアン。おいしかった)、地下鉄でワールドトレードセンター跡地とバッテリー・パークへ。帰りに、6年前にも行ったキルトショップCity Quilterに寄ったら、月曜日は定休日だった。なんだぁ!

ホテルに戻り、近所のデリでビールと温かい食事を買って、部屋でのんびり。


03/19/2006(日)

クリーニング、いまだ届かず。

午後から劇場入りなので、午前中は近所のスーパーや洋服店に出掛けようと思っていたんだけど、メールを書いたりなんだりしているうちに集合時間が迫り、結局何もしないまま、会場の大学へ。カフェテリアで食事。ハーブチキンとイエローライスとベジタブル。チキンはおいしかったけど、ライスは味が薄く、ベジタブルは油っぽかった。まぁ、どこでも、学食であんまりおいしいとこってないけどね。

ゲネして、ミーティングして、夕食。カフェテリアで、スープ(チキンとライス入り)とワイルドライスを買って雑炊作戦。なかなかうまくいく。スープがしょっぱいから、ご飯を足すとちょうど良い感じになるんだ。しかし、ここの学食は、食事を発泡スチロール容器(ほか弁みたいなやつ)に入れてくれて、食器も白いプラスチック製。そのままテイクアウトできて便利なんだろうけれど、こんながさつな食器で毎日食事をしてたら自分のどこかが壊れていくのじゃないだろうか。なんだかそんなことが心配になった。

定刻の7時を10分押して開演。こぢんまりしたいい雰囲気の劇場なんだけど、こぢんまりした客席の中央部分にしかお客さんがいない。観客数、おそらくこのツアーで最小。

撤収して積み込みして、ホテルに戻る。おととい行ったバーベキューの店で飲むぞ!と意気込んで行ってみるも、日曜は10時閉店(他の日は11時まで。そのとき、10時ちょっと過ぎ)とのことで入れず。部屋に帰って早めに寝る。


03/18/2006(土)

ゆっくり起きて、きのうも行った近所のレストランで朝昼かねた食事。コーンマフィンがおいしいんだ、ここ。

ここの劇場は高さが低く、これまで吊っていた大きな提灯ではなく以前使用していた小さな提灯を使用することになり、その提灯は舞台美術家の荷物の中にあるので、制作の人と私の2人が、ホテルに取りに帰って近所のスーパーでそれ用の電球2個を購入してくる担当に任命され、現地主催者の方の車で出掛けた。提灯はすぐ見つかったんだけど、大きな大きなスーパー(というかイトーヨーカドーの1階と2階がワンフロアーに展開されているような店舗)で「電球どこですか?」と聞いては指さされる方向に進むんだけどなかなか見つからず、電気スタンドの笠ばっかある棚とか、家電製品の売場、テレビゲームコーナーなどをうろうろし、それでも最後には電球に行き着き、無事劇場に戻った。

登退場がいままでの劇場とちょっとちがうので、ヤルタだけ出はけ部分の場当たり。そして予定より早く、8時に退出。

ポートランドのクリーニングがまだホテルに届かない。それで、巨大イトーヨーカドーに、いえの人と、いえの人のシャツを買いに行った。ビクトリアでズボンを買ったときも、新しいズボンだってことに周りの人がぜんぜん気づかないくらい、もともとはいてたみたいなズボンを買ったけど、きょう買ったシャツもそんな感じ。私はいろんな服をとっかえひっかえ着るのが好きだけど、いえの人は自分のスタイルが確立されてる。


03/17/2006(金)

6時過ぎにホテルを出発。ポートランドからシカゴ経由でニューヨークへ。ポートランドは楽しそうな街だったのに、見て回る時間がぜんぜんなくて残念だった。そのうちまた来たい。

飛行機の中は、主に寝倒す。

時差のせいで、夜遅くまで眠くならず。明日は午後入りなので、久しぶりに少しゆっくりメールの読み書きをしたりした。


03/16/2006(木)

ポートランドは雨模様。そして、折り畳み傘の骨が折れた。『ソウルノート』でソウルに行くときに買った傘だから、1年半くらいの命でした。劇場の近くのコンビニで傘を買って、外に出て開いてみたら、ぐるっと巻いて止める布の先のベルクロが縫いつけて無くてポロッと落ちてくるし、石突きのプラスティックが割れていた。文句を言う元気もなく、ポートランド州立大学のブックストアで新しい傘を買い、コンビニのダメ傘をゴミ箱に捨てた。

ゲネプロで、声の反響が非常に気になった。特に、舞台奥でしゃべると、自分の声が自分に戻ってくるタイミングが微妙で、なんだか声が聞き取りにくい。演出家に聞いてみたら、でも、客席では特に聞こえにくいということはないとのこと。本番では、こちらが慣れたこともあるし、観客に音が吸い取られたということもあるんだろうし、それほどやりにくくはなかった。会場が大きく、空席の目立つ客席ではあったけれど、お客様の反応はたいへんよかった。

終演後、カリフォルニアの古い友に会うと、2人ともニコニコしていたので、ほっとした。第二次世界大戦に実際に行った人だったりするから、ちょっと心配していたんだ、私は、実は。
「弘子はいつもやさしい話し方をするのに、舞台では大きな声でどなっていたね」
と言っていた。

ホテルに帰ってみると、今朝出したクリーニングが戻ってきていない! 次の滞在先に送ってくれることになったけど、いえの人は、いきなり着の身着のままになってしまった。


03/15/2006(水)

ゆうべはビールを飲んでもう眠くなって寝ちゃったので、きょう早めに起きて荷造り。けっこうギリギリになってしまった。

来たときと同じくスクールバスでシカゴまで。3時間。「トウモロコシと大豆ばっかりです」と地元の人が言うように、広々とした大地。バスも、シカゴからの飛行機も、おおむね寝倒す。

予定より20分ほど遅れてポートランド着。ホテルにチェックインしてから、みんなで劇場を見に行く。中では、今夜ここで公演するという『ヴェニスの商人』の稽古が進行中だった。1週間前からここの大学に来て授業をしているというイギリスの俳優たちによる公演とのこと。「いまのさ、ここんとこからもう一回」とか、「ここ、こうだよね」と確認しながら俳優だけでリハーサルを進めていってた。

カリフォルニアの古い友だちが明日の公演を見にきょうからポートランドに来てるので、会って一緒に夕食を食べる。スープ(ロブスターのビスク)がおいしかった。ごちそうさま! 「演劇界では幸運を祈って『break a leg』(片足を折れ)と言うけど、私は、そんなもんじゃすませない。あなたの両足が完全にすっぽぬけちゃいますように。そのくらいの幸運をお祈りします」というカードをもらった。ありがとう!


03/14/2006(火)

午前中は、現地主催者のイリノイ大学の先生の授業を見学。日本の近代演劇の授業。お昼は、シカゴから総領事がいらして、昼食会。

午後から劇場に入り、セッティング後、場当たり。2場の冒頭で、空襲の話に興じるチャーチルとルーズベルトに対して「2人で英語で話すな!」と怒鳴るところで、私が台詞をまちがえて、
「だから2人で日本(語で話すな!)」
と言ってしまった。アメリカで日本語で英語字幕で公演、という言語的複雑さのせいだと思う。ちなみに本番ではまちがえませんでした。

終演後、撤収。10時半頃に終了し、パブで一杯。


03/13/2006(月)

11時過ぎまで寝る。ウィスコンシンの友と昼食。午後用事をすませてから、もっかい会って、カフェでお茶など飲みながらだらだら話す。高校のときの友だちの消息とか、スタートレックの話とか。

午後6時から劇場で仕込み(授業があってそれより前には入れなかった)。古い古い劇場で、楽屋もない。たぶんあれは普段セット作成に使っているスペースだと思うんだけど、ハンガーラックを運んできたり、女子着替えスペースを仮設したりして、それなりに居心地のいい場所を作ることができた。舞台上は、明日も授業で使うそうで、一旦組んだセットを片づけて退出。


03/12/2006(日)

ビクトリアを去る日。見送りに来てくれた、1月2月とよく一緒に遊んでもらった友とさよならするとき。バスの中からビクトリアの街並みを見たとき。涙が流れた。しばらく泣いていた。ビクトリア空港では、演劇学科の授業に出ている学生が、映画を撮影していた。もう会えないと思ったのに会えて、意外で嬉しくて、ちょっとまた泣きそうになった。さよなら、ビクトリア。また来るからね。

そして、バンクーバー経由でシカゴへ。雷雨のためシカゴ上空で待機となり、寝起きだったので最初事情がよくわからなかったんだけど、もうそろそろ着く時間なのにゴンゴンゴンゴン飛んでるし、着陸態勢に入りますとなって街の灯が見えたと思ったらまた雲の中にはいっちゃってまたゴンゴンゴンゴン飛んでるし、ふわっと落ちるみたいになるし、けっこう不安。それでも1時間遅れくらいで到着。時間がかかったけど荷物も無事届き、バスにてアーバナに向かう。途中サービスエリアで食事。ウィスコンシンから公演を見に来てくれる友が同じホテルにすでに到着しているはずなので、電話。明日会う段取りを決める。3時間ほどでホテル到着。長い一日だった。


03/11/2006(土)

いえの人がきのうズボンの膝がやぶれちゃったので、探しに行く。合うサイズのがなかなかなくて、ビクトリアの街を歩き回る。着られる服がない大変さが少しだけわかった、と言っていた。そしてオイスターバーで食事。隣の席のおじさん(夫婦かな?カップルで来ていた)が、だれにでも話しかける人で、店に入ってきたお客に「いい選択をしたね。さっき、行きかけて戻ってきたでしょ。この店はいいよー」、私たちの席に運ばれてきたスープを見て、「それは、何?」、1人でノートパソコンに向かっているお客に「まさか仕事してるんじゃないよね? きょうは土曜日だよぉ」などどいろいろとしゃべっていた。

いえの人とわかれ、一人でビクトリア・コンフェレンス・センターに向かう。きのう今日と、ソーイング・アンド・クラフト・ショーという見本市が開かれているので。キルトショップもたくさん出店していた。赤・黒・白のキルトで、斜めの動きを強く感じさせるやつが、目をひいた。どうふになってるんだろうとしばらく見ていたら、基本的にはログキャビンで、配色と、ログを長方形じゃなくして斜めのカットを使うことによって動きを出しているということがわかった。ログキャビンはホントに奥が深いなー。

きょうもきのうと同じく8時開演で本番。きょうも「インターナショナル」で笑いが。しかもきょう笑っている人は、タイミングからして、字幕を見て笑ってる。この替え歌の翻訳は、苦心作なんで、それを読んで笑ってくれる人がいたってのは、とっても嬉しかった。きょうもアフタートーク。なんだか公演で力尽きちゃったみたいで、私は、頭がよくまわらなくてときどきうまく通訳ができなくて申し訳なかったです。


03/10/2006(金)

朝から仕込み。昼前にめどがつき、俳優は午後のゲネまで解放される。久しぶりのビクトリアを一人でぶらぶら歩く。前に友と行った自然食レストランで昼食を食べたり、他の友がおもしろいと言っていたお店に入ってみたり。明日いえの人と行こうと思っているオイスターバーの営業時間なども調べた。

予定より少しおして、ゲネ。スーパーのお総菜などで夕食。公演は、お客様がたくさんいらして、入場に時間がかかり、5分以上おして開始。『ヤルタ会談』冒頭で私が「インターナショナル」を歌うんだけど、オクラホマでもヒューストンでもどうも客席がピンときていない感じがあった。それできょう「(2番まで歌わず)1番だけで」と演出から指示があって急遽そのように変更になったんだけど、皮肉なことにきょうは客席から笑いが起こった。タイミングからして、日本語の替え歌の歌詞に反応している様子。2番もおもしろいんだけどなぁ、残念。

『忠臣蔵・OL編』終演後、アフタートーク。ビクトリア大学の学生や先生を含め、いろいろとおもしろい質問が出た。きょうはビクトリア大学の太平洋アジア学科の人たちがたくさん見に来てくれていて、私はもうこれでビクトリアを離れてしまうので、さようなら、またきっと来てね、東京で会いましょう、などと別れの挨拶をそれぞれと。さびしくて泣きそうになる。


03/09/2006(木)

ヒューストンからカルガリー経由でビクトリアへ。ヒューストンは暑く、ビクトリアは寒い、と理解していても、寒さに驚く。空港を出るとき降り始めた小雨が、すぐに雪に変わり、それも大降りになる。オリザも私も、聞かれるたびに、ビクトリアは意外とあたたかいよ、東京よりあたたかい、と言ってきていたので、なんだか申し訳ないような気分になった。

今夜は、みんなで、中華を食べた。


03/08/2006(水)

仕込み、ゲネ、本番、バラシと、盛りだくさんな一日。

客席から「見上げる」タイプの劇場であること、客席が広いことなどから、字幕の調整(文字を大きくする。1画面に表示する行数を減らす)が必要に。字幕翻訳者として私もいくつか提案を出した。

ゲネのとき残響が気になったんだけど、お客様が入るとそれほど問題ないようだった。

公演終了後、すぐに撤収。ホテルに帰る道すがら、どこかへご飯を食べに行こうという話をしていたんだけど、ホテルのロビーのコンビニが24時間営業と知るといえの人と私はもう出掛ける気力がなくなっちゃって、サンドイッチなど買い込んで部屋飲み。


03/07/2006(火)

飛行機でヒューストンに移動。オクラホマの空港で、手荷物検査で何人かだけとても厳重にチェックされた。どうも着ている物の黒っぽい人がピックアップされているような感じだったが、ホントのところはわからない。

ヒューストンは、あたたかく、空気に湿気があった。冬のコートがまったく場違い。軽く昼食をとってからみんなで劇場を見に行き、夜は日本総領事公邸で会食。隣席のかた(ヒューストン在住)の出身地(カリフォルニアの、ある町)が私にも大変なじみ深い土地であることがわかり、「ヒューストンでねぇ、こんなことがあるなんてねぇ、おもしろいですねぇ」と話がはずんだ。


03/06/2006(月)

仕込み、ゲネ、本番、バラシと、盛りだくさんな一日。昼食も夕食も、スパイシーでおいしいあたたかい食事が用意されていて、嬉しかった。

北米ツアー初日が保守的といわれるオクラホマで、『ヤルタ会談』大丈夫だろうかとちょっと不安もあったんだけど、初日の舞台は、冒頭から爆笑続き。英語字幕ではなく私たちがしゃべっている日本語を聞いているお客様もいらっしゃるだろうから、がんばって声を大きくする。でも後半はあまり聞こえなかったんじゃないだろうか。日本とちょっとちがうかなと思ったのは、ユダヤ人についての話になると客席が静かになる傾向があること。長崎公演のとき原爆の話の辺で客席が静かだったのと似ている気がした。

今日じゅうに撤収なので、『忠臣蔵・OL編』上演中に、私はヤルタの小道具・衣裳の荷造り。ホントは見たいんだけどな、OL。2回以上公演するビクトリアかニューヨークでぜひ客席で見てみたい。

終演後、アフタートーク(開演直前に、アフタートーク開催が決まった)。なぜOLなのか、なぜルーズベルトとスターリンを女性が演じるのか、政治風刺に対する反応はこちらと日本でちがうか、ルーズベルトの衣裳をカウボーイスタイルにしたのはどうしてか、等々の質問が出た。『忠臣蔵・OL編』に関し、「日本的な話し合いのシステムを描いている」とのことだがそれはどういうことか、という質問があり、その答えとしてオリザの言った「リーダーは絶対に自分の意見を言わない。そして、リーダーは絶対に責任をとらない」という言葉が印象的だった。私は通訳でついていたんだけど、俳優にも聞きたいことがあるという人がいて、それは字幕公演でなにかいつもと変えていることはありますか、という質問だった。特に変えていない、青年団が開発したこの字幕システムを信頼している、と答えた。

バラシを終えて、現地主催者のかたや手伝ってくださった学生の皆さんと、軽く打ち上げ。初日があけて、みんなやっと少しほっとした顔をしていた。


03/05/2006(日)

なくなったスーツケースがホテルに無事届く。よかった!

午後、ワークショップの通訳をして、その後、「プチナショナリズムと日本の若者」というパネルディスカッションの通訳もする。ワークショップは演劇の話でもありよく知った内容でもあるので、なかなかスムーズに訳せるんだけど、ディスカッションのほうは、内容もわからずただただ右から左へと訳していく感じになり、申し訳なかった。

夜、現地主催者のかたがバーベキューパーティを開いてくださり、星空のしたでおいしい食事。ホテルに戻ると、きょうもくたくたで、せっかく届いたスーツケースの荷ときもせずに就寝。


03/04/2006(土)

朝の便で、カルガリー、デンバーを経由して、オクラホマに向かう。いよいよ『ヤルタ会談』『忠臣蔵・OL編』北米ツアーの開始だ。カルガリーで乗り継ぎが間に合わなくなりそうになり若干あせった以外とんとんとことが運んだ、と思いきや、2人で4つ預けたスーツケースのうち2個がオクラホマに到着しなかった。そのうち1つは、公演の物ではなく私の個人荷物。いきなり着替えのない生活になってしまった。さいわい下着と靴は手荷物に入れていたし、けさビクトリア空港でTシャツも買ったところだったので、とりあえずなんとかはなったけれど。

本隊とは、無事合流。


03/03/2006(金)

ゆうべもまた眠れず、きれいな朝焼けを見る。

アフタヌーンティーにこないだ連れていってもらったんだけど、連れていってくれた友が、あの店は前はあんなじゃなかった、本当においしいアフタヌーンティーに案内せずに帰せない、と言って、きょうは「ここが一番いい」というアフタヌーンティーの店に連れていってもらった(前回この店は定休日だった)。お皿が3段になって、一番下が暖かいもの、まんなかがサンドイッチ、一番上が甘いもの。「どこから食べてもかまいません」とのお店の人の言葉に、あったかいスコーンから食べ始める。デザートに行き着く前にお腹がいっぱいになり、ケーキやなんかは持って帰ってきた。

夜は、高校生の『ジーザス・クライスト=スーパースター』の公演を見に行く。街中のステキな劇場にて。「普通の高校生がやってるんで、あんまり期待しないでね」と友(娘がスタッフ)は言うけれど、私にとって『ジーザス・クライスト=スーパースター』ったら中学3年生のときに劇団四季の公演を見て感動してレコードやら関連書籍やら聞きまくり読みまくった作品なので、逆にそういう個人的な思いこみだけで見に来て申し訳ないような気分。オーケストラピットで音出しが始まり、「ジィーザス・クラーイスト、スゥーパースターって歌しか知らないわ」という友に、あ、いまのあれはピラトの登場のとこの音楽だよとか、しなくていい説明をする私。

しかし過度な期待はオーバーチュアで早くも裏切られた。エレキギターの音がはずれている。まぁ、最初からでよかったのかもしれない。あとはわりと気楽に楽しむことができた。しかし、主要な出演者はマイクをつけているのに、人によってほとんど声が聞こえないのは、どうにかならなかったんだろうか。それが一番残念だった。それと、演出(というか位置どり)で2、3腑に落ちないところがあった(寝てる人の耳元であんだけ大きな声を出したら起きるだろう!とか)。

前にミュージカル『ウィー・ウィル・ロック・ユー』を見たとき、友が、「どんなにうまく歌っても、観客は『フレディーだったら...』と思ってしまう。そういう、かわいそうなミュージカルだ」と言っていたけど、きょうのJCSは私にとって、ちょっとそんな感じだったかもしれない。

一緒に見ていた友に、「さっきの記者会見みたいなのは、ピラトが自分がこういう夢を見た、というのを説明しているシーンで、ホントは夢を見たのはピラトの妻ということになってるんだけど、JCSではピラトの夢ってことになっている」とか「あの声の高い人は、あのバスの人の舅の役だ」とか「はりつけの後に歌詞のない曲が1つあって、それがここに書いてあるヨハネ伝何章何節だ」とか、豆知識をいろいろ教えて感心された。ときどき知ったかぶりしてまちがってるときがあるのであまり信じないでね、と言っておいたが。


03/02/2006(木)

ゆうべもまた眠れず、朝7時過ぎにコンビニに出掛け、サンドイッチなど買ってきて食べてから眠りについた。10時過ぎ、友から電話があり、一緒に昼食を食べることに。セルフサービスの自然食レストラン。取りたい量だけ取れるから、脂っこい料理に疲れたときなんか来るといいかもしれない。来週来る劇団のみんなに教えてあげよう。

夕方から、オリザが日本語を教えている太平洋アジア学科の教職員の方々の開いてくれたパーティに。私はもうすぐお別れなので、プレゼントをもらったり、挨拶をしたりした。泣かない作戦、きょうも成功。ホテルに帰って、寄せ書きのカードを見てちょっと泣いた。


03/01/2006(水)

時差のせいか、ゆうべよく眠れず、寝たり起きたり寝たり起きたりしていて、結局ちゃんと起きたのは11時過ぎ。友に電話して夕食の約束をして、とりあえず一人で昼の食事に出掛ける。きのうでビクトリアでの通訳の仕事が終わったんだけど、それで気分がかわって、街の景色さえちがって見えるのには自分ながらビックリした。ダークビールを飲みながら自堕落な昼食。注文した鮭は、でもあまりおいしくなかった。鮭はパサパサ、そして上にかかったソースがフルーツたっぷりで甘い。さぁ食事も済んだしきょうは買い物するぞ!と財布を見ると、クレジットカードが入っていない。日本円用の別の財布に入れたままだった! 20ドル札が2枚あったので昼食の支払いは済ませることができたけど、これじゃ買い物もできやしない。出直しだ、とホテルに帰ったら、眠くなって、5時くらいまで寝てしまった。

6時に友と待ち合わせをして、古着の店をのぞいてみてから、オイスターバーに連れていってもらった。人気の店のようで、お客さんでいっぱいだった。牡蠣を1個ずつちがう調理法で8種類持ってくる、という料理があって、その中で私の気に入ったヤツの名前を聞いたら、「ウェブズターズ」と「ロックフェラー」だった。おいしく食べてさぁ帰ろうとなったとき、さっきのウェイトレスさんが近づいてきて私の肩を抱き、
「ウェブスターズと?」
と言った。さっき聞いた名前を私が覚えてるか、テストしにきたわけだ。
「ロックフェラー」
と答えたら、その通り、とにっこり笑っていた。感じのいい店だな。また来たい。


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