つれづれなる日々

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2003年6月の日々

ジューン・ブライド


06/30/2003(月)

そろそろ稽古再開が近くなってきたので、『暗愚小傳』の台本を見ながら台詞の確認をした。台詞はほぼ覚えているみたいだけど、お盆に茶托3、湯のみ4、布巾1を載せ、菓子鉢に入れたせんべいも持って登場して、どのタイミングで何をどこにどう置いたか、というのが思い出せなかった。たぶん立って動いてみれば大丈夫だと思うんだけど、そうか、こういうのって書いておいたほうがいいね、と、『ヤルタ会談』の台本に、ティーカップを持ち上げたり、お茶を飲んだり、お茶を注いだりしたタイミングをいまさらながら書き込んだ。次いつ公演があってもいいように(現時点では具体的にまだ何も決まっていませんけれども)。


06/29/2003(日)

だれさんが相模原市に住んでいる、という話が出て、「それって、町田市の隣?」と聞かれ、「知らない」と答えた。しばらくその話が続いていて、「なんか、ホントに町田市の隣って感じなんだってさ」と言うから、「うん、相模原市ってそうだよ」と言ったら、「さっき知らないって言ったじゃん」と責められた。ビックリした。

最初の質問は、
「相模原市と町田市は隣り合っているか」
ということで、そういう事実があるかどうか、私は知らないので「知らない」と答えた。次の質問は、
「相模原市は、町田市の隣という感じの場所か」
で、私は主観的にそういうふうに感じるから「そうだよ」と答えた。ということなんだけどな。

融通がきかない、とか、杓子定規だ、とかいうんだろな、私のこういうところ。


06/28/2003(土)

しりとりをした。「す……すみられ」と5歳児が言う。「なにそれ」と聞くと、
「すみられをあつめて早し」
うーん、芭蕉……、これは認めないわけにはいかんだろう。「冷蔵庫」と次に進んだ私でした。

ビデオでアニメを見ていた小学3年生が、ある登場人物のことを、
「男か女かわからないおばさん」
と言うのだが、設定も姿かたちも声も、どう考えても女なので、どうしてそう言うのか聞いてみた。
「だって、じじおばさんだから、じじだかおばさんだかわからない」
うーん。ジジおばさんのジジが、カタカナ、というか名前、に認識されてないわけね。なるほどなー。ジジというのは名前だから、おじいさんという意味じゃないんだよ、「わか」という名前のおばあさんだって昔いたよ、若くなくても名前だから「わかおばあさん」って言うんだよ、と説明したら、納得したようだった。


06/27/2003(金)

アフリカのどことかに学校を建てるため、現地のコーヒーを買ってください、と言う人が来た。こちらは、現地のスタッフの、なになにさんです。コンニチハ。私も、3カ月後に、あちらに行きます。まだまだ学校が足りず、人材が、活かせない状況なんですね。

劇団の作業場に行く途中にある幼稚園の先生たちが、園庭いっぱいの子供たちに向かってしゃべるときの口調と同じに、大きな声でゆっくりと、区切りながらしゃべっている。相手は私一人なのに、音量が大きすぎるんじゃなかろうか。あんなゆっくりしゃべらないと話についてこれないと思ってるんだろうか。そのくせこちらの反応をまったく気にせずにしゃべり続けているのはどういうことなのか。

会話はキャッチボールというけれど、これでは一方的な千本ノックだ。この人と、わかりあえていない。なのにどうしてこの人は自信たっぷりに話し続けているんだろう……。数分で、私は、ぐったり疲れました。

このホームページを公開して3年経った。またまたカウンターをゼロに戻した。過去1年間のアクセス数は、12,638だった。


06/26/2003(木)

中学生か高校生のときに読んで気に入っていた、岩崎民平訳の『不思議の国のアリス』に、20数年ぶりに再会。角川文庫。冒頭の、ウサギ穴にアリスが落ちていくシーンで、アリスが、Do cats eat bats?と何回か言ってるうちにわけがわからなくなってときどきDo bats eat cats?と言っちゃっうところについての注が、特に印象に残っていたのだが、いま読み返すと、さえない駄洒落であった。

原文では、bats〔ルビ:バッツ〕(こうもり)とcats〔ルビ:キャッツ〕(猫)で韻がそろうからおもしろいところ、訳文ではバツ〔傍点つき〕が合わないのでコマリものです。

この本は名訳だった、とずっと思っていたのだけれど、読み返してみるとそうでもない気がして、なんていうんだろう、昔食べたすんごくおいしいものを、もう一度食べたいなぁと思いながら機会がなくて、やっと食べたらそれほどおいしくなかった、というような、がっかりとさびしい気持ちがした。

初版発行が昭和27年で、訳者による解説に「戦災で原書を焼いた」と書いてある、そんな時代に訳されたものだと思うと感慨深いし、会話のテンポのよさなど、けっして嫌いではないのだけれど、言葉遊びを言葉遊びに訳しているところと、ルビと注で逃げちゃってるところがあるし、原文のイタリック部分なんかもそのまま傍点に置き換えている。全体的に、日本語で物語世界にひたりきれない、中途半端な訳に感じた。


06/25/2003(水)

月曜の夜いろいろあって、寝ないうちにもう起きるようなことになり、そのまま火曜日も夜12時過ぎまで起きていた。そしてきょうも早起きして忙しくしてて、一段落した夕方、とうとうスイッチが切れて爆睡。ご飯作って、食べて、再度爆睡。そして、12時過ぎになって、眠れない……。新たなる昼夜逆転の始まりか?

amazon.co.jpに『はじめての劇作 戯曲の書き方レッスン』(私が訳した演劇書)を注文した友だちが、「現時点ではどの仕入先からも入手できないことが判明いたしました」と連絡が来た、と言ってきた。あらら。私のとこには在庫あるのになぁ。


06/24/2003(火)

正座しすぎで、足首が伸びちゃって痛い。小さい頃はお習字教室に通って正座で字を書いてたし、いまだって、日舞に行けば、ひとのお稽古のあいだ正座して自分の番を待っているんだけど、どうやったって足がしびれるし、拷問みたいに膝も足首も痛い。一つには、太っているということがあるんだろうけれど。

血流をあえて遮断し、関節に苦痛を与える、こんな座り方を正式と考えるなんて、日本人のことはやっぱりワカランよ、と、ちょっとまだスターリンな私が思った。


06/23/2003(月)

帽子をクリーニングに出せるって、いままで知らなかった。おととい、土曜日の公演のとき、
「ロシア人が条約守ったことありました?」
「なにをー!!」
と私が怒ってテーブルをバーンとたたいたときに、チャーチルの、紅茶はこぼれる、帽子は転がる、という大騒ぎになり(そりゃ、舞台上のわれわれ3人、あわてたそぶりは見せませんでしたけどね)、帽子が紅茶をかぶってしまったのだ。私のたたき方も微妙に強かったかもしれないけど、テーブル自体が公演を重ねるにつれてゆがんできてたのも一因だったと思う。あ、でもそれも主に私のせいか、たたいてるんだから……。

とにかくそういうわけで、フェルトの山高帽を、紅茶で汚れたまま仕舞っておくのはちょっとコワイね、ということになり、きょう、他の衣裳と一緒にクリーニング店に持っていったのです。700円だった。


06/22/2003(日)

団祭り最終日。『ヤルタ会談』は3時開演。きょうもやっぱり本番の前に台詞合わせをした。

公演の最終日って、台詞を言いながら、あぁ、この台詞もこの台詞もこの台詞ももうこれで終わりだ、という、なんていうんだろう、開演した瞬間からすべてのことが砂のように崩れて消え去っていってるような感じがすることがあるんだけど、きょうはそういう感じはなかった。平常心でできてよかった、と、主観的には、そう思う。

劇場で総打ち上げ。五反田団が中心になって用意してくれた料理が、目新しいし、おいしかった。「合併してよかったなぁ」と、食べながら思う。

帰宅後、ヤルタの記述を中心に、3月以降の日記を読み返す。けっこう詳しく書いてるね。いろんなことを思い出して、泣きそうになる。こういうとき、目から涙が流れなくても、身体の内側を、涙がざぁざぁ流れ落ちている気持ちがする。


06/21/2003(土)

以前からよく公演を観てくれている友が、遠くから観に来てくれて、
「いままでで一番『地』に近いんじゃない?」
と言った。『ヤルタ会談』は交渉なんで、もうありったけのいろんな戦略を駆使して自分に有利になるようにしようとするわけだから、ま、当然、手の内全部見せる、みたいにはなってるんだろうなと思った。


06/20/2003(金)

きょうも劇場に俳優3名集合し、1回通して台詞を言う。きのうここが変だった、というような確認も、自分の中でこのときやっている。去年、THE SHAMPOO HATの公演に参加したとき、公演期間が始まってからも毎日本番前に「まいて通し」(間とかとらないで、早めのスピードで通し稽古をする)をやっていたのと、似た感じだ。

『ヤルタ会談』の本番の後、きのうも観た『隣にいても一人』をまた観る。


06/19/2003(木)
注意:青年団公演『ヤルタ会談』のネタバレがちょっとだけあります。

『ヤルタ会談』、『隣にいても一人』の公演が終わった後、劇場内で、新人の創作発表会があった。ワークショップで少しずつ作ってきた3演目。1つの作品で、『ヤルタ会談』のテーブルを使うようだった。あのテーブルは見た目より弱くて、運ぶときだって持っちゃダメな部分がある(たぶん、割れてしまう)くらいなのだけど、まぁそうは見えないから、準備している新人の人たちは、けっこう普通の強度のテーブルとして扱っていた。心配になり、
「あの、それ、手とかつくことできないから」
と言ったら、びっくりされた。そうだよね、舞台でテーブルをバーン!!ってたたいてる人にそう言われてもねぇ。舞台監督をやってる人が、後から、新人の人たちに具体的に説明してくれたので、納得してもらえたようだけど。そうなの、ホントに強度のないテーブルなんです、意地悪とかで言ったわけじゃないんですぅ……。


06/18/2003(水)

きょうは、中学生貸し切り公演。おしゃべりしたりでうるさいかな、ということは予想していて、たしかにそれは予想どおりだったんだけど、台詞にほとんど無反応なのには、ビックリした。やっぱり、歴史的な事実とか現代の世界情勢とかに興味がないと、『ヤルタ会談』は観ていておもしろくないのだろうか。


06/17/2003(火)

5時から『ヤルタ会談』のゲネプロの予定で、その前に劇場で自主稽古をした。まずは1回、通してやってみよう、80%くらいのテンションでやる?130%くらい出しとこうか?と、コンセンサスがとれんたんだかとれないんだかよくわからないような感じで、始める。各自が各自のやりやすいようにやればいいや、「ゲネプロそして本番をきっちりやるための稽古」という目的意識は共有してるんだから、といったところ。こういう、よくも悪くも「テキトー」なのがやれるようになったのって、私はいつくらいからだろう。昔は、段取りだけなら段取りだけ、本テンションでやるなら本テンション、ってはっきり決まっていないと、なんだか居心地が悪くっていやだった。

国名を間違えたり、気持ちは高揚してるのに台詞に勢いがなかったり、口がまわらなかったり、3週間ぶりの舞台稽古は、まぁ予想していたとおり、「試運転」という感じだった。1回それでも通した後、動きはなしで台詞だけもう一度通す。うん、だいぶ、「身体に台詞が戻ってきた」という感じがした。

予定より少し遅れて、5時半開演でゲネプロ。3週間前と同じ台詞を、同じようにしゃべりながら、前より内容を具体的に理解している自分に気づき、少しおもしろかった。TVなんかで第2次世界大戦のこととか、スターリンのこととか、大英帝国の植民地支配のこととかをやっていると、自分が出演している『ヤルタ会談』と関連があるということで、以前よりずっと興味を持って見る。それで、最近、そういう方面の知識が少し増えたのです。でも、だからといって、台詞の言い方が別段変わるわけでもない。そこら辺が興味深かったです。


06/16/2003(月)

団祭り最終週『隣にいても一人』(Bチーム)と『ヤルタ会談』の、劇場仕込み。前回も前々回も使用した、畳や梁やのセットがアゴラ内に出現すると、ものすごく懐かしくて、「私、帰ってきた〜」というような気持ちがした。


06/15/2003(日)

『ヤルタ会談』置き道具の椅子(ディレクターズチェア。折り畳める)保管用の布袋を作成。無地より安かった星柄のキルティング地で作ったので、なんだかとってもかわいくなった。

五反田団『逃げろおんなの人』最終日。公演は観にいけなかったけど、照明のバラシに参加。


06/14/2003(土)

6月も『ヤルタ会談』やりますよ、ときのういろんな人にメールでお知らせしたら、行きますよというのや、行けないけど近況はこれこれというのや、ぽつぽつとお返事をいただき、嬉しい。

以前にどこかのメーリングリストで読んだジョークのことを考える。糸がバーに行くと、バーテンダーに、「うちは糸のお客様はご遠慮いただいてます」って断られる。いったん店を出て、頭をぼさぼさにし、体の真ん中を1回しばって、またバーに入っていく。バーテンが「糸のお客様はご遠慮いただいてますって言いましたよね。あなた、糸でしょ?」って言うのに答えて、曰く、
"I'm a frayed knot."
「私は、ほつれた結び目です」
発音が、"I'm afraid not."「そうじゃないと思います」と同じというのがポイント。こういう駄洒落、私はけっこう好き。でもおとといのジョークもそうだけど、翻訳するのは、むずかしい。


06/13/2003(金)

さらにべとべとと蒸し暑い。ついこないだまでのさわやかな初夏の気候を、あたりまえのことと思って受け止めていたけれど、もっとありがたがっておけばよかったなぁ、などと思う。


06/12/2003(木)

べとべとと蒸し暑い。梅雨なんだなぁ。

昔々の中学生新聞をちらりと見る機会があった。英語のジョークが載っていた。一字一句ちゃんとは覚えてないけど、だいたいこんなんだった。

Why do hens lay eggs?
If they drop them, they'd break.

layという単語に、「(卵を)産む」という意味と「(物を)置く」という意味があるので、
「なんでメンドリは卵を産むの?」
という質問を、「なんでメンドリは卵を置くの?」と(わざと)解釈して、
「(置かないで)落としたら割れちゃうから」
って答えるってことなんだけど、そういう説明がなんにも書いてなかったので、中学生はきっとなにがどうおもしろいのかさっぱりわからなかっただろうなぁと思った。


06/11/2003(水)

べたべたと甘くてくどい、マシュマロクッキーを作る。今回は、バターと一緒にピーナツバター(チャンキー、つまりピーナツのかけらがツブツブ残ってるタイプ)も入れてみた。くど甘さがさらにアップ。

それとは別に、きょうは、もうすぐフランスに帰る友を和食ぜめにする会というのもあって、それに持っていく用にポテトサラダと混ぜご飯も作った。ポテトサラダのどこが和食かと言われるかもしれないけど、日本の母の味、って感じだと私は思っている。私のポテトサラダは、具はジャガイモとキュウリだけ。みじん切りにした、水にさらさないタマネギが味つけのポイントだ。混ぜご飯は、炊き立ての白ご飯に、梅干しをきざんだ物、シラス干し、いりゴマを混ぜ、あら熱が取れたら、きざんだ青シソも混ぜる。これは文句なく和食だと思う。


06/10/2003(火)

今後の『暗愚小傳』と『海よりも長い夜』の公演のための舞台装置を作る作業の日。作業場兼倉庫で、古い地球儀を発見。『ヤルタ会談』の台詞に出てくる、カスピ海とかヤルタとかソビエトとかパレスチナとか、あぁ、ここなんだ、こういう位置関係なんだ、と興味深く見た。


06/09/2003(月)

来週また『ヤルタ会談』の公演があるので、きょうは俳優3人で集まって自主稽古をした。声の高さとか、大きさとか、やっぱり久しぶりだと感覚を忘れているところがあった。5月の公演直前まで苦手だった台詞は、もう他の台詞と同じように普通に言えた(よかった)。


06/08/2003(日)

駅の掲示で、
「駆け込み乗車は止めましょう」
まぁ、「やめましょう」なんだろうけど、「とめましょう」じゃないと言い切れないのではないか。駆け込み乗車をしようとした人が後ろから引っぱられ、転倒して怪我する、怪我させた人が、掲示にしたがったのだといって駅とか鉄道会社を訴える、……なんてことが起こったりするのでは?などと、妄想が広がった。


06/07/2003(土)

100パーセントりんごジュースの、ちょっと炭酸の入ったヤツが、おいしい。去年の夏も好きで飲んでいて、冬に探したら、なかった。最近、また、ある。季節物なんだろうか。


06/06/2003(金)
注意:手塚治虫『アドルフに告ぐ』のネタバレがあります。

ゆうべ、眠れないので手塚治虫の『アドルフに告ぐ』を読み始めたら、とまらなくなっちゃって、5巻全部読んでしまった。一般市民が大きな組織に追いつめられていく話が嫌いなので、これもそういう話と思い込んでいままで読む気にならなかったのだけど、冒頭に語り手の人が出てきたので、あぁこの人は最後まで死なないのね、と安心して読み始めることができた。第2次世界大戦の終戦のあたりで話が終結するのかと思っていたら、パレスチナの話にまで繋がっていって、アドルフの話は終わっても、これは決して過去の話じゃなくて現在の話なんだ、というようなことを考えさせられた。

内容についての感想はいろいろあるけど、絵について1つだけ不満があった。恋愛対象となる系以外の女の人ももっと描き込んでほしかった。ていうか、小城先生のことです。けっこう重要な役回りだし、気骨のあるおもしろい人なのに、目もテンテン、髪も黒ベタで、あんな記号みたいに描かれちゃってるのが、私は気に入らなかった。


06/05/2003(木)

きのう、あなんじゅぱすのライブ『夜の江ノ電』で聴いた、キラキラヒカル……という歌が、きょう一日中頭の中で鳴っていた。


06/04/2003(水)
注意:あなんじゅぱす+高山広 コラボレート・シアター・ライブ『見えない木』のネタバレがあります。

団祭りの、あなんじゅぱすのライブに行った。NON GATE THEATRE 高山広さんとのコラボレート・シアター・ライブ『見えない木』。久しぶりのNON GATE THEATRE。あなんじゅぱすの持ち歌と、高山さんの持ちネタが、シンクロしているといえばしている、していないといえばしていない、非常に微妙な「共演」感がおもしろかった。痴漢の話の共演のしかたが、わたしは一番おもしろいと思ったけれど。隣で観ていた友は、終演と同時に、
「森さんって、なかなかいいヤツだね、あいつ」
と言った。NEVER CHANGEのフェイス・タオルの役のことだ。終演後に会った友は、
「マチコさんはどのキャラがいちばん好きだった?」
と聞いてきた。私は、ハンセン、と答えた。自分の納得できないコトバになるようには絶対に漢字変換しない、静かに自分のバトルを続ける、肩の力の抜けた一徹者のワープロだ。ずいぶん前の公演のときは、もっと頼りな〜い感じのキャラクターだったけど、今回は、静かに、しかし一歩も譲らず闘志を燃やす、筋金入りの人物だった。あの、よくNON GATE THEATREに出てくる、おじいさんぽい、ほら、あの、白髪混じりで髪七三に分けた、メガネ掛けた、ちょっと声のかすれた人、あの人も好き。また出てたね――ってもちろん全部高山広さんが演じているわけなんだけど、NON GATE THETREを観たあとは、ついこんなふうに話してしまう。

2本立てライブのもう一本は、田中流さんの写真による幻灯演奏会『夜の江ノ電』。初演も好きだった。MCもなく、演奏者の顔もほの暗く、暗闇に座ってスクリーンの写真を見ながら耳で音楽を聴く。私は、ライブは苦手なほうで、こういうスタイルのほうがじっくりと楽しめていい。以前きらいだった歌が違和感なくすっと入ってきたりもした。出会うべきタイミングってもんが、きっとあるんだと思う。ときによって写真に集中したり歌声に集中したり、ふわふわと漂っていたような気分。なんだかぎゅーっと心をつかまれることが何度もあって、何度もボロボロ泣いてしまった。芸術は、私たちが生きていくのに必要なものなんだなぁ、とあらためて実感した。


06/03/2003(火)

『隣にいても一人』Bチームの、第2回通し稽古を観にいった。大人の不条理劇。観ながら、内容に則したことを考えたり、戯曲の構成のことを考えたり、いま目の前に展開されている俳優の演技について考えたり、いろんなレベルでいろんなことを考えている自分がいた。


06/02/2003(月)

あなんじゅぱすの仕込み。今回の客席は、ふわふわとしたクッションのようなもので作ってあって、その全体を一枚の布で覆う。海のような、夜空のような客席が出現した。ちなみに、その布(7.5mX9m)は、私が縫い合わせました。


06/01/2003(日)

五反田団『家が遠い』を観る。20代後半の男子たちが中学生を演じているんだけど、どうして中学生に見えるんだろう。でも、現役中学生が見たら、おじさんがやってる、って思うんだろうか。


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