つれづれなる日々

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2004年7月の日々


07/31/2004(土)

朝方起きてまた絵を描いたりしていたので、その後また寝て、ちゃんと起きたのは2時くらいだった。出掛けなくていい日は、こんな感じになりがち。

さらに紙芝居の絵を描く。強く握りすぎるのか、クレパスがぽきぽき折れる。白は、きのう買った分も、もう1/3本くらいしか残っていない。他の色でざっと塗った上に白を重ねてぼかす、という技法を多用しているからな。

「はだいろ」についてネットで少し調べてみた。はやり、差別的という意見があって最近名称が変更されたらしいということがわかってきた。なんとなく釈然としなくていろいろなホームページを見ていたら、「はだいろ」?「ペール・オレンジ」?という文章に行き当たった。共感を覚えたのでここに記しておく。


07/30/2004(金)

クレパスを買いに出かけるが、スケッチブックを買った大きな文具店が棚卸のためまだ開店していなくて、デパートの文具売り場まで行く。「しろ」「みずいろ」「うすだいだい」がほしかったのだが、12色のセット(いちばん色数が少ない)に全部入っていたので、それを買う。
「ご自宅用ですか」
と聞かれた。だれのために買うどういう人に見えたのかななどと、考える。まぁ、相手は、プレゼント包装をする必要があるのかどうかを聞きたかっただけだと思うけれど。

クレパスの、この「うすだいだい」という色、私が子供だった頃は「はだいろ」という名前だったように思う。人種差別的だとかいって名前がかわったんだろうか。

夜、アゴラに『作、アレクサンドル・プーシキン』を見にいく。シンプルなスタイリッシュさ。


07/29/2004(木)

大きなスケッチブックを買う。いままで紙芝居の絵をB4くらいのスケッチブックに描いていたんだけど、人物の多い絵をクレパスで描くにはちょっとせまいので。

エンピツでざっと形をとっておいて描くシステムを、きょうから採用(こないだはグレーのクレパスで下絵を軽く描いていた)。3枚描く。いままで使っていたスケッチブックよりも紙の肌理が荒く、ちょっとタッチがちがってきた。白のクレパスが、もう終わってしまった。

きょうは、絵を描きながら、久しぶりにたくさんテレビを見た。ミステリーチャンネルの、イギリスとかの刑事物が、地味でなかなかおもしろい。


07/28/2004(水)

来週『三人姉妹』を公演するアトリエ春風舎で、仕込み。最初は、なおこさんと私と二人。アクティングエリアを作ったり(周囲に養生テープを貼る)、客席を作ったり(平台を並べ、椅子を置く)。そのうち、お手伝いの屈強な山の手事情社研修生男子や、春風舎に詳しい友だち、照明スタッフも加わり、おおむね形にして、きょうは終了。思っていたよりも立体的な、おもしろそうな空間となり、なんだか興奮する。


07/27/2004(火)

名古屋駅で、おととい探していた雑誌を買ったり、きしめんを食べたりした後、皆と合流して、新幹線で帰る。雑誌は、『悲劇喜劇』8月号。4月の『山羊―シルビアってだれ?―』についての記事が載っているので。

ゆうべあまり寝ていないのに、地下鉄でも新幹線でも眠れず、そのまま劇団の倉庫に行って、荷おろし。終了して、いえの人とご飯を食べに行こうと歩いていたら、同じく倉庫帰りの一団と会って、一緒にファミレスへ。

夜は、歯医者。暑さのせいかここのところ根っこの治療で痛みが出たりする人が多いそうで、きょうはやめておきましょうと言われ、恒久的な処置は次回に延期して、きょうは消毒剤を詰め替えてもらう。


07/26/2004(月)

「Don't Disturb/起こさないでください」の札を出しているのに、フロントから、「お掃除はどうしましょうか」と電話が掛かる。しかも最初の言葉が、「お休みのところたいへん申し訳ありませんが」だった。こちらが不機嫌な気持ちで聞くせいかもしれないが、その丁寧さがいかにも型どおりの丁寧さに思えて、かえって腹が立った。サービスって、そういうものではないのではないだろうか、と思った。

3時過ぎに宿を出て、食事をしようとするが、行きたい店はどこもランチとディナーの間で閉まっていて、結局、24時間オープンの定食屋へ。4時に劇場入りし、バラシ(きょうの撤収)やカタシ(明日の片付け)をどうするかのミーティング。その後、だらだらとアップなど。

『ヤルタ会談』は7時開演。終演後、次の『家が遠い』の開演までにソッコウで小道具、衣裳の荷造りをすませ(開演してしまうと、階上の楽屋の物音が階下の劇場に筒抜けになるので、動けない)、このツアー最後の『家が遠い』を客席で見る。もう何度も見て台詞もだいたい覚えているからだと思うけれど、きょうは、全体の構成のことなどを考えながら見ていた。

終演後、バラシ。終了していったんホテルに帰り、再集合して近場でこれがホントに最後の最後の打ち上げをした。


07/25/2004(日)

大きな書店を探して繁華なあたりに行ってみたが、収穫なし。ちゃんと調べてから行けばよかった。

『家が遠い』中、引き続き、絵。全体の構図をまずざっと薄い線で描いておくと描きやすい、というか、大きく描きたいものを思い切って大きく描ける、ということを発見。

OLの人たちはきょうで公演が終わり、明日は帰ってしまうので、きょう、全体の打ち上げをした。


07/24/2004(土)

ゆうべ寝たのはだいぶ遅かったのだが、朝7時に目が覚め、9時過ぎまでなにやかややって、また寝た。一人部屋になって、自分が寝たいか起きたいかだけに忠実になり、結果として変な時間に寝たり起きたりしている。

『家が遠い』と『忠臣蔵・OL編』の本番中、きのうにひきつづき、紙芝居の絵を描いた。自分がサクラクレパスをどういうふうに使いたいのか、だんだんわかってきたような気がする。でも、もしかしたら、いま描いてる分は「下書き」ということにして、全部新たに描き直すかもしれないような気もしている。でもとにかく、ぐいぐい描いていると、なんだかとっても楽しい。

衣裳が汗にならないように、下にTシャツと短パンを着ていて、それは2組あって毎日部屋で手洗いしているんだけど、きょう洗いながら、「公演はあと2回だから、もう明日は洗わなくていいんだ」と思ったら、急に、あぁもうこの旅は終わるんだなぁ、という気分になった。でも『ヤルタ会談』は次に10月に北海道公演があるので、全部これで終わりというわけではないのだけれど。


07/23/2004(金)

ホテルの近くでラーメンを一緒に食べた(台湾ラーメン。生ニラがおいしかった)あと、いえの人は、本隊より一足先に東京に帰っていった。私は部屋に戻り、劇場入りの時間まで昼寝。

忠臣蔵の本番中、楽屋で紙芝居用の絵を描く。8月の『三人姉妹』の準備である。演出のわたなべ・なおこさんから、これこれこういう絵を描いてほしいという注文を文章でもらっているのだが、なかなかムズカシイ!

帰りし、女子3人でモツ焼きの店に。みそ味で、おいしかった。


07/22/2004(木)

ゲネのダメ出しで、目からうろこが落ちる。というか、そんな当たり前のことを、どうして私は見失っていたんだろうか。


07/21/2004(水)

『きもの』、おもしろくて、昨日どうにもこうにも眠くなるまで読み、今朝も起きぬけに続きを読んで、読了。あの結末には納得いかない。この本を読むのに費やした私の時間を返してほしいと思うくらい、気に入らない。

搬出、積み込み。そして名古屋に移動。楽屋に入れる衣裳や小道具等だけ搬入した後、いったんホテルへ。きょうは五反田団の初日なので、五反田団の稽古の時間をなるべく取れるようにするためのスケジュールだ。大浴場があるホテルなのでお風呂にも入りたかったが、ゆうべ読書で夜更かしをしたので、ただただ部屋で眠る。五反田団の受付を手伝い、『家が遠い』観劇。終演後、昼間に搬入しなかった青年団の道具類を搬入。

帰り、数人で飲みに行く。イタリアンの店だが、トマト、ルッコラ等、野菜の味が力強く、「滋味あふれる」という感じでとてもおいしかった。自分のところで栽培しているとのこと。


07/20/2004(火)

京都公演最終日。私はきょう1泊だけ部屋が変わるので、11時(チェックアウト)から14時(チェックイン)まで外出して時間を潰した。以前2度ほど行ったことがある有名な鞄屋さんに行ってみたが、「有名だから」、「せっかく京都に来たのだから記念に」と言って買うには値段が高く、しかし、長く大事に使いたいほど気に入るかというと、形がよくても色がちょっと(またはその逆)……、といった感じで、どうにもこうにも中途半端。結局何も買わずに店を出た。

書店で、小説とエッセイを購入。幸田文の『きもの』という小説、非常におもしろい。

終演後、バラシ。数人でお好み焼きを食べて帰る。


07/19/2004(月)

いえの人と、宿から程近い京都御苑を散歩。真夏の正午過ぎは、でも、陽射しが強すぎて、30分程ぶらぶらしたのみ。

『家が遠い』の客入れ・本番中、楽屋は、クリップライト1つだけ点灯して、非常に暗い。きのうその暗い中でメイクをしたらファンデーションがムラになったりしたので、きょうは、『家が遠い』上演中に受付(屋外。テントの屋根がある)でメイクしてみた。陽光の下でメイクすると少し濃いめになりがちらしい、ということがわかった。

自分の本番の後、『忠臣蔵・OL編』を見る。五反田団はきょうで京都公演終了なので、忠臣蔵終演後、五反田団のバラシ、積み込み。宿で料理を持ち寄ったり作ったりして、有志で、打ち上げというか、飲む。


07/18/2004(日)

大きなショッピングセンターで、ご飯を食べ、ユニクロに行く。劇場入りして、「どこに行ってきたの?」と聞かれ、「ユニクロ」と答えると、「こないだも行ったじゃん」と言われる。でも、こないだ行ったのは、ユニクロじゃなくて東急ハンズ。まぁ、どちらも、東京で行けるのになぜ?という感じの店であることは確かだ。

それとは関係ない話。どうも、きのう今日の私は、人に何か言われるとどよーんとへこむし、自分で何か言うときにはトゲのある言い方をしてしまいがちだ。旅がもう2週間近くになって、ストレスが溜まってきているらしい。気をつけよう。


07/17/2004(土)

劇場の周りを、少し歩いてみた。陽射しは強く暑いけれど、風があって、東京ほどベタベタしていないように思う。

きょうから3日連続で、『家が遠い』→『ヤルタ会談』→『忠臣蔵・OL編』と3本立て公演。きのうしっかり練習したので、転換もスムーズ。

スーパーに「長野産 三度豆」という表示あり。インゲンじゃん、サヤインゲン。「三度豆」という名前は聞いたことがあったけど、サヤインゲンのこととは知らなかった。


07/16/2004(金)

宿で洗濯。その後、ご飯を食べようといえの人と四条の辺りに行ってみたら、祇園祭で出店がずらっと出ていて、なかなか食事のできるところが見つからなかった。すごいなぁ、祇園祭。

『家が遠い』と『ヤルタ会談』の転換の練習を皆でしてから、『ヤルタ会談』。きょうはさすがに予約が少なく、心配していたが、当日券のお客様が多く、きょうも満席。

その後、『家が遠い』観劇。正面と右手(上手側)からは見たことがあるので、左手(下手側)から見たかったのだけれど、開演ギリギリに空いている席に座るのでそうもいかず、右のほうから見た。


07/15/2004(木)

10時集合で、建て込み。といっても、自立する屏風とかなので「建て」というより「立て」の感じ。昼からゲネ。そして『ヤルタ会談』『忠臣蔵』、京都初日。

ストレートパーマが、少しとれてきたようだ(毛先にくせが出てきた)。10日しか、もたなかったなぁ。


07/14/2004(水)

朝8時から、搬出。1時間半で終了。電車で京都へ。なんという陽射し!

搬入の後、劇場内は、きょう夜の公演がある五反田団が仕込み。青年団の私たちは、衣裳の洗濯や楽屋作り。夜は、五反田団の受付。終演後、何人かで飲みに行く。


07/13/2004(火)

午後、こちらの人に教えてもらった「船場センタービル」に行ってみる。生地屋、呉服屋、洋服屋、下着屋、かばん屋などなど、すごい数。私なら、時間のあるときだったら1日ここでつぶせると思った。

大阪最後の『ヤルタ会談』は、いままでで一番お客様も多く、にぎやかな客席となった。『忠臣蔵・OL編』終了後、バラシ。1時間半ほどで、終了。というか、後は明日の朝。まぁ、後はほとんど搬出のみ。

女子3人で、宿の近くのうどん屋に寄る。ものすごく大きな器で出てくる店で、でも、味はよかった。


07/12/2004(月)

8月のあなざ事情団『三人姉妹』で開演前に紙芝居でストーリーを説明するという案があり、私が絵を描くことになっている(描かせて、とお願いした)ので、それ用にスケッチブックとクレヨンを購入。絵の具やマーカー等いろんな画材があって、何にしようか迷ったけれど、やわらかいクレヨンにした。さて、どんな絵が描けるでしょうか、楽しみ(私の絵は、画材に左右されるところが大きい。「この紙にこのペンで描くから、こういう絵になる」という感じ)。

ヤルタとOLは明日も大阪公演なんだけど、五反田団が明朝から仕込みで京都に行ってしまうので、劇場にて本日、旅団の大阪公演の打ち上げを行う。たこ焼きがおいしかった。


07/11/2004(日)

いえの人が、ファミレスに行きたいと言い、ネットで検索して、徒歩10分ほどのロイホに行く。テーブルが皆、焼肉テーブルなのは、どういうわけだろう(ガスの配管は、されていなかった)。

私はまだ劇場に行かなくてもよい時間だったので、一人で少しぶらぶらする。スポーツ用品店には、汗を吸収発散させる素材のウェアとか、いろいろあって、ものめずらしかった。セール中の洋服屋で、ブラウス2枚購入。

『家が遠い』の終演から『ヤルタ会談』の開演まできょうは1時間半くらいあって、余裕があるはずだったんだけど、なにやかやでペースが狂って、準備がギリギリになってしまった。まぁ、たまには、こういう日も、ある。

きょうは、大学のときの友だちが見にきてくれた。『東京ノート』伊丹公演のとき以来だから、何年ぶりだろうか。共通の友の近況などを確認しあう。

ロビーで青年団公演のビデオを流している。きょうは、『バルカン動物園』。
「(ビデオの)マチコさん、若いね」
と言う人と、
「いまのほうが若く見えるね」
と言う人と、両方いて、おもしろかった。言う人自体の年齢とか、男女の別とかが、関係するのだろうか。


07/10/2004(土)

きょうの公演は、『忠臣蔵・OL編』→『ヤルタ会談』→『家が遠い』→『ヤルタ会談』。この旅中唯一、ヤルタが1日2公演ある日。

おととしのアゴラ公演以来久しぶりでヤルタを見たという友が、終演後、
「ポーランドは、どうなったの?」
「日本はどうして分割されなかったの?」
「あの歌(インターナショナル)は、何?」
等々矢継ぎ早に質問してきた。答えたり、答えられなかったり。


07/09/2004(金)

『忠臣蔵・OL編』チームが合流。旅公演の全メンバーが揃う。

夕方、お天気雨のなか外に出たら、交差点の向こうに大きな二重の虹がかかっていた。

夜、いえの人と、地鶏の店に行く。


07/08/2004(木)

『ヤルタ会談』の場当たり、ゲネ、公演(初日)の日。終演後、きょうも『家が遠い』を観劇。


07/07/2004(水)

朝いったん集合して、「五反田団→ヤルタ会談」の転換練習。だれが、なにを、どのタイミングで、どこからどこに動かすか、というのを決めていく。1時間半ほどで終了。その後は五反田団(きょう、初日)の稽古なので、ヤルタ組は解散。

劇場周辺を少し散策。というか、どの辺になにがあるのか、見て回る。結局劇場の向かいのスーパーで買い物して、宿に戻り、昼食を済ませ、洗濯(手洗い)。窓を開けるとけっこう風が涼しい。台本を読んだり昼寝したりしているうちに、集合時間となり、劇場へ。

きょうは五反田団『家が遠い』の公演のみ。私は場内係。『家が遠い』は前の席(床面がよく見えるところ)で見るのが面白いと思うので、なるべく前のほうに座っていただきたいのだけれど、自分がお客さんで観にいくときは「自由席」なんだから好きなところに座らせてよ、という気持ちになるわけで、だから、じゃぁ、どういうふうに言ったらいいんだろうと考えるが、なかなかいい案が思いつかない。

終演後、劇場で軽く初日乾杯。


07/06/2004(火)

結局、3時間睡眠。出掛ける2時間前に起きる。旅中に必要になるであろうデータをデスクトップからノートパソコンに移したり、台所の流しにたまった食器を洗ったり、生ゴミを捨てたり、荷造りの確認をしたり。充分時間はあるのだが、なんだかなにか忘れているような感じで、「これで終わり!」とすっぱり気持ちの区切りがつかない。なんなんだろうなぁ。

でもまぁそんなことを言っていてもらちがあかないので、
「忘れたものは、買えばいい」
と自分に言い聞かせて、家を出る。

午後から、仕込み(搬入は、トラック隊と劇場の方が午前中に済ませてくれていた)。私は、舞台面にパンチカーペットを敷くのとか、あと、照明の手伝い。


07/05/2004(月)

倉庫で暗愚小傳の装置を仕舞ったり捨てたりする作業。私は少し早めに抜けて、美容院へ。ストレートパーマをかける。前回ストパーをかけたのは『上野動物園再々々襲撃』の前だから、数年前か。なんか、器具も薬剤も進化しているらしく、見たことのない器具・処置だった。所要時間3時間半。美容師さんも大仕事。さて、このさらさらヘアーが、いつまでもつだろうか。

明日から関西公演だが、荷造りも家の片づけも、いっこうに終わらない。きりがないので、とにかく、寝て起きることにする。


07/04/2004(日)

『暗愚小傳』最終日。終了後、バラシ。楽屋のお茶関係とか、衣裳のアイロン、メイク道具なんかは、この座組みから次の関西ツアー(『ヤルタ会談』『忠臣蔵・OL編』『家が遠い』)に引き継いで持っていくので、そっちの用意も一緒に。私がそういうことを楽屋であれこれしているうちに、舞台のバラシのほうは、照明まで、全部終了していた。

渋谷で打ち上げ。お店での打ち上げは、準備や後かたづけがないので気が楽だ。けっこうゆっくり、いろんな人と話せて、よかった。カラオケに行く人たちと別れて、帰宅。


07/03/2004(土)

歯医者に行く。こないだ言っていた「前の治療の脱脂綿が残っていた」ということについて、もう少し詳しく聞いた。ミスで残っていたのではなく、アルゼンという毒物をしませた脱脂綿を歯の根っこに詰めて、取りきれなかった神経を殺す(そして、そのまま詰めておく)、というやり方なのだそうだ。そういう処置をした歯は、そのときは治る(痛くないし、早いし、「いい歯医者さんだ」ということになるとのこと)けど、10年とか20年とかたったらダメになって、結局抜くことになるんだそうだ。同じ時期に根治した歯が他にもあるので「心配です」と言うと、必ず今回のように「何かおかしい」という前兆があるから、そのときに治せば大丈夫、と言われ、少し安心する(でもそのとき海外公演中とかだったら……と思うと怖い)。


07/02/2004(金)

事情団は、ミーティングのみ。暗愚は、マチソワ。


07/01/2004(木)

あなざ事情団『三人姉妹』シミュレーションの日。観客参加型の演劇なのでお客さまが入った状態での稽古が必要で、だから、知り合いの方々に来ていただいて、観客の前で通し稽古を行う。それを、シミュレーションと言っている。

客席1列めは12人なので、少なくともそれだけの人が来てくれたらいいね、と話していたのが、きのうとかになって参加の連絡がたくさん入り、結局26名ほどのお客さまをお迎えしてのシミュレーションとなった。

その前に、全編通して段取りの確認をしたこともあって、私としては、わりと冷静にシミュレーションに臨むことができた。演じている私たちもいろいろと発見があったし、全体を見ていたなおこさんも、いろいろ気づいたり考えたりすることがあったようだ。私としては、体力的に、そもそも、通してやれるのか?という心配もあったんだけど、そして息はそうとうあがったんだけど、50分強(現在のところ)やり続けることができて、それはホントに一安心だった。

7月に稽古ができないという事情があってこの時期にシミュレーションまで持っていったわけだけど、この後、構成や内容にしても、演技にしても、1カ月も練り直す時間があるというのは、とてもいいことのように思う。


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