つれづれなる日々

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2001年1月の日々


01/31/2001(水)

コーヒーをいれて、コーヒーメーカーで保温して置いとくと、そのうち納豆のようなにおいがしてくるのはなぜだろう。豆だから、と一瞬思ったけど、豆の種類がちがう……。

先週だったか、パッチワークのメーリングリストで、「インターナショナルキルトを作っているので、アメリカ以外のキルターの方、ブロックを交換しましょう」という投稿があって、興味があったので連絡をとってみたら、「あなたの国にちなんだブロックと、私の住んでるアイオワ州にちなんだブロックをそれぞれ作って交換したい」とのことだった。よし、それなら、富士山と東京タワーだ、と一念発起してデザインした。で、あーでもない、こーでもないとやってようやくできたのがこんなブロックです。
1辺15cm(+縫い代)です。







もっと大きい写真

東京タワーがちょっとゆがんでるけど、まぁこれはゴジラがさわったということでカンベンしてもらおう。ベースになる型紙に布を縫いつけていく、ペーパーピーシングという技法で作ったが、型紙作りをWindowsの「ペイント」でやって四苦八苦した。手で描くよりはずいぶん楽(とくに修正)だったけど、パーツの周りに縫い代を足すのとか、けっこうたいへんだった。


01/30/2001(火)

先日漬けたダイコンのビール漬けを食べた。おいしかった。ぜんぜんビールくさくない。甘さも甘すぎない。また作ろう!

「ワープ」っていうのは、とても一般的なSF用語だと思ってたんだけど、そうでもないのかな? スタートレックでしょっちゅう出てきてて、でも
「宇宙戦艦ヤマトを知らない人には、ワープって言ってもわからないだろう」
という人がときどきいるので、私としては、その意見のほうに驚いている。私は、ワープって言葉はたぶんいまから30年近く前から知ってたけど、ヤマトは歌しか知らない。

それで、ワープっていうのは、英語で書くとwarpで、発音はウォープです(warmはウォームでwormはワーム、って、英語で習いませんでした?)。そんで、英語ではけっこう普通に使う言葉みたいです。ねじ曲がる、という意味で。カッティングマットがゆがんだ、というときとか。

とかいって、「ワープ」をウェブ検索していたら、こんなページがあった。
株式会社人間と産業開発研究所というところの、商品紹介 出版本の紹介である。ちょっと抜粋すると、

こんなに成功できるワープの驚異的な力
あらゆる分野で活用できるワープのパワー
ワープとは現状打破の手法である

アインシュタインの顔が表紙になってる本もあるんだけど、どんななんだろう、これ。


01/28/2001(日)

食事に行ったら、近所のファミレスがなくなっていた。工事中。マンションになるらしい。「さよなら〜」の旅に行ってるあいだになくなっちゃったのかな。ごはん食べる場所が、1つ減ってしまった。

久しぶりに、日舞のお稽古に行った。先生の都合で休みだったり、その後は私が公演があって行けなかったりで、ほとんど半年ぶりだった。

復習ということで、8月のゆかた会で踊った「柳の雨」をまずやったけれども、だいたい元々それほどまだじっくり踊り込んでない曲なので、一緒にさらってる隣の人を横目で見てばっかり。それでも、1回踊っては不明なところを教えてもらい、と3回くらい繰り返したら、だいたい思い出してきた。

次に、やっぱりこれも復習で「加賀の菊」。「加賀の菊は、酒屋の娘……」と始まる唄なんだけど、女の子の話なんだか花の話なんだかいまひとつよくわからない。この曲は以前だいぶ練習したから、まぁまぁ覚えていた。次はこうと考える前に手や足が動く箇所もあるくらいだった。

そのあと、新しく「梅は咲いたか」を教えてもらった。他の人が踊っているのはものすごい回数見ている曲なので、なんとな〜く見覚えはあるけど、足を一歩出すとこ、引くとこ、この手はてのひらが上か下か、など、いざ自分で踊るとなると、確認事項がいっぱいだ。

Foxテレビで、「ザ・プラクティス」字幕放送が再開されていた!しかもきょうは新シーズンのオープニングエピソードのようで、なんだか力(リキ)入っていておもしろい話だった。第4シーズンから二カ国語(吹き替え)放送だけになっちゃって、いやになって見なくなっちゃっていたんだけど、字幕なら見ますよ。見るともさ。


01/27/2001(土)

荷物の配達があり、ドアを開けると雪景色で驚いた。積もって、まだ降っている。

きょうはちょっと遠出の予定があり、雪に一瞬ひるんだが、登山用防寒下着、くつした重ね履きに、帽子までかぶった重装備で出掛けた。

夜、ピザか中華でもとろうかと思ったが、電話したら、雪のため配達は休んでいるとのことだった。ふだん雪ふらない街は、ちょっとの雪ですぐ機能しなくなっちゃうんだね。


01/26/2001(金)

洗濯は、干すのと、たたんで仕舞うのがニガテ。ってそれ以外は洗濯機がやってくれるわけなんだけど……。洗面所に干してるんだけど、乾いてぶらさがってるのをそこから取って着たりしちゃう。ずぼらな私。


01/25/2001(木)

用事があって、こまばアゴラ劇場に行った。劇場名にある「こまば」は、ひらがなです。「『こまばアゴラ劇場』という名前には、ひらがな・カタカナ・漢字の3種類の文字が入っている」と覚えるのがポイント。

5Fの稽古場では、青年団の若手公演「バルカン動物園」の人たちが稽古をしていた。事務所の台所においしそうなウィンナが湯気を立てていたので1ついただこうとつまんだら、おこられた。稽古用の消え物だそうで。

「食べる」芝居はたいへんだ。えと、私は、いままでにどんなのがあったかな。

一番大変だったのはなんてっても「新版・小町風伝」のときだ。役名からして「喰う姉妹」だったからなぁ。とにかく、2時間、ほとんど食べ続け。しかも、スナック菓子とかケーキ、チョコ系の菓子など、「ジャンクフード」ばっかし。特に、何をどこでどれくらい食べるか、というのが稽古で確立されるまでは、ああ食べてみたりこう食べてみたり試行錯誤するから、なんだかものすごい量を食べちゃってた。

次点は、「われらヒーロー」の、結婚披露パーティのごちそう。スパゲティ、炊き込みご飯、ミートボールなどなど、けっこう滋養がある系の物だったのが救いだったな。

こないだの「さよならだけが人生か」も、ラストシーンはみんなでお菓子(おかきとかりんとう)ポリポリだったけど、私はかりんとう2つ食べるだけだから、へっちゃらだった。


01/24/2001(水)

「大根のビール漬け」の、「ダイコンの上下を返そう!」と今朝冷蔵庫を開けてみたらば、容器の上まですでに水がいっぱいになっていた。ラップでフタをしててダイコン全部につけ汁がかぶってるので、重石も必要なさそうだ。楽しみ、楽しみ。

用事で麹町あたりに行ったので、帰りに「シェ・カザマ」でパンを買った。買おうと思ってた、レーズンとクルミの入った黒いパンがなくて、カラントとクルミの入ったパンの小さいヤツを試しに買ってみた。

夜、鳥レバーと厚揚げとニラの炒め物を作った。これは、むか〜し、NHKのきょうの料理のテキストに載っていたもので、高校生くらいのときから作っている。レバーぎらいのばあちゃんも食べてくれるかなと思って作ったけど、ダメだった。箸つけてもくれなかったな、たしか(よく覚えてますねー、私。「食べ物の恨みはこわい」ってこういうこと?いや、恨んじゃいませんけどね、ばあちゃんのこと)。これも料理のページに載せようかな。

なんだか、食べ物のことばっかり……。


01/23/2001(火)

掲示板で福音亭宣狂さんが教えてくれた、「大根のビール漬け」に挑戦してみた。
オリジナルのレシピは:

  1. 大根2本半(2.5kg)を横2つ縦4つに切り分けて、バット等に並べる
  2. ビール350cc、砂糖350g、酢110cc、塩110gをよく混ぜ合わせる(=つけ汁)
  3. 大根につけ汁をかけ、軽い重石をして涼しい所に置く
  4. 大根から水が出てくるまでは、1日1〜2回上下を入れ替え、大根全体につけ汁がつくようにする
  5. 室温5〜10度の室内に置いた場合、4〜5日で食べられるようになる(今の季節の北海道の場合)

というものだったが、ダイコンは1本に変更。でも、手持ちの耐熱ガラス製パウンドケーキ型には半本分しか入らなかったので、結局ダイコン半本分だけ漬けてみた。

いくら混ぜても砂糖・塩が溶け残るので、じゃりじゃりどろどろしたものをそのままダイコンにまわしかけた。1/3くらいまでしかつけ汁がこなかった。それでラップして、冷蔵庫に入れた。

残りのダイコンは、おみおつけの実にする分をちょっととって、あとはマッチ棒くらいに切って、ビール、酢、砂糖、塩を適当にかけて、混ぜて、重石して冷蔵庫に入れておいてみる。なますのようなものができるかな?


01/22/2001(月)

午前中、装置などの片づけのために集まる。「カタシ」と言っている。

どうも若い人(最近劇団に入った人)は、「タタキ(装置製作)」も「バラシ(撤収)」も「カタシ(後かたづけ)」も、アタマ高アクセントで言うようだ。「肩たたき」の「たたき」みたいに。ドレミで言ったら、「ミドド」。私はどれも「ドミミ」だなぁ。「鰹のたたき」の「たたき」とおんなじ。

仕込みに履ける靴、購入。黒の、丈夫そうな布(ナイロンみたいな)の、履き口の浅い紐靴。おととい言ってた条件をあんまり満たしていないけど、履いた感じが気に入ったし、脱ぎ履きもそれほど大変じゃなさそうなので。

あなんじゅぱすの松山くんがこないだ紹介していた「虚数の情緒」(←ここからリンクしてる先は、東海大学出版会のウェブサイト内です。)という本を、いま読んでいるが、きょうもちょっと読んだ。私は、読書はたいてい寝ころんでする。この本は重いので、寝ころんでは読みにくいのだが、やっぱり寝ころんで読んでいる。腕の筋肉がつくかもしれない。


01/21/2001(日)

「さよならだけが人生か」公演最終日。バラシに関してのミーティングがあるので、ちょっと早めの12時半集合。ミーティングの内容は、私物の小道具・衣装を持って帰る人はこうこうしてくださいとか、バラシは客席からやりますとか、事務所に持っていく荷物はこれこれのところにためておいてとか。

終演後、バラシ。生活斑の荷物(楽屋で使うコップやお茶関係、ぞうきんなど)をまとめ、次は小道具で使ったお茶道具を荷造りし、それから舞台のバラシのほうを手伝った。鉄筋から金網をはずし、解体していく。

積み込みまですっかり終えて、楽屋で乾杯。ホールの方に、「なぜ楽屋で使うコップに持ち主の名前を書くようになったのか」とか「初めて旅公演に行った頃の朝食」とか、なんだかそんないろいろな話をした。


01/20/2001(土)

公演は、3時と7時。

昼公演の後、洋服のバーゲンなどを見に行った。仕込みなどに履ける靴がほしいのでこないだから探しているが、なかなかない。条件としては、

といったところ。

お店から外に出ると、雪が降り出していた!


01/19/2001(金)

5時半集合。といっても、4時前には家を出る。

あまりに肩こりがひどく、二人組で登場する「相方」にもんでもらった。肩というか、けんこう骨のまわりが凝るんです、私。


01/18/2001(木)

初日。7時半開演。ちょっと早めの4時集合。
きのうのゲネのダメ出しを聞きながら稽古。2カ所ほど、声が大きすぎる(台詞のアタマが強すぎる)ところを直された。

稽古でラストシーンをやったので、小道具の湯飲みや皿は、再度洗ってスタンバイ…したはずなのに、本番前になってメイクをしていたら、
「私は稽古の後で湯飲みをスタンバイし直しただろうか?」
と不安になってしまい、開場中に袖までたしかめに行った。

話はかわりますが、各人が登場時に持って出る小道具は、楽屋通路にスタンバイしているのだが、私の使う「コンビニ袋」のストックが、どうも弁当持ち帰り用やゴミ捨て用に使われているらしいことが判明した。なんてこった!私の目には
「小道具スタンバイ用の長机にのった、小道具のコンビニ袋」と「制作管理の物用の長机にのった、弁当」が「並んでいる」
と見えていたものが、他の人には、
「弁当」と「弁当持ち帰りなどに使うコンビニ袋」が「並んでいる」
と見えていたわけですな。


01/17/2001(水)

場当たり、ゲネプロ。

劇場まで、電車を乗り継いで1時間強かかる。向かいの席のおじさんの新聞に、
「ヤリイカ上向き」
とあり、私は、 「『ヤリイカ、うえ向き』って、どっちが上なんだろう。やっぱ、やじるしが天を指してる状態?」
と一瞬考えてしまった。だいたい、なんでそれが新聞記事になるのか。一瞬後、その右の「冬キス敏感に反応」という見出しと欄外の紙名(スポーツ紙でした)が目に入り、
「あー、釣り情報かぁ。ヤリイカ漁がうわ向き、つまり好調になってきたってことね」
と納得。日記に書こうと思って「ヤリイカ上向き」とかメモしている自分に苦笑。

ひまな時間に、劇場近くのデパートへ。いまはどこでも冬物のクリアランスセールだ。婦人物のMサイズのフリースを買うという暴挙に出た(私は通常、服のサイズは13号とか15号とか、つまり「大きいサイズ」です)。いやいや、暴挙っていうか、だって、割とぴったりめに着たかったんですよ。で、着てみたら、もくろみどおりでした。よかった、よかった。

今回の会場では、大ホールの舞台上に「舞台」と「客席」を設営する、私たちが「舞台上舞台」と呼んでいる形式での公演だ。そのせいもあるのか、声がけっこう反響する。伊丹のホールと響き方がだいぶちがうので、声の大きさ、方向性など、微調整が必要だ。


01/16/2001(火)

越谷公演の仕込み。「さよならだけが人生か」は、今週の越谷公演で最後だ。仕込みもこれが最後かと思うと、ちょっとさみしい。とか思うのは仕込みが終わった今だからこそで、やってる最中は最後もへったくれもなかったです。東京、北九州、伊丹、とやってきてるので、みんな、作業の段取りがよくなってきてました。

劇場の近くのファストフード店に入ったら、セルフサービスで驚いた。トレイに自分で商品を載せて、会計をしたあと、「テイクアウトコーナー」で自分で袋に詰めて持って出るのである。急いでいたこともあり、
「これで他の店舗と同じ値段だなんてひどいや」
とぶつぶつ……。きのうからどうも、「文句たれ」である。


01/15/2001(月)

早朝、バスで東京着。帰宅。ランサムのペーパーバックをバスの中に忘れてきてしまった。しばらく人のいなかった我が家は、コンクリートが冷え込んでいるのか、なかなか暖かくならない。

昨年末にインターネットで注文した通販の商品が、まだ届かない。「お届けまで1、2週間」ということだったが、年末年始だということを差し引いてもちょっと遅いのではないかと心配になり、問い合わせのフリーダイヤルに電話。「(12月)27日に発送しました」と言う。たぶんそれは「その日に運送会社に発送依頼を送った」ということだと思うのだが、「発送した」って言うからさ、シャクシジョウギな私としては
「27日に発送してまだ届かないというのは、これは、普通なんですか。とくに異常なことではないんですか」
などと聞いてしまう。うるさいお客さんにあたっちゃったと思ってるだろうなぁこのオペレーターは、と考えると気が滅入った。「クレーマー」というコトバが頭に浮かぶ。そういうつもりじゃないんだけど、私は。

そう思いながらも、さらに
「たとえば、3日前に発送してまだ届かない、というのならわかりますが、27日に発送しててまだ届かない、というのはどうなんですか?」
と言ってしまい、電話の向こうでオペレーターがおどおどしているのがわかる、なんか自分がいやになる(でもさ、こっちはわからないことを聞いてるだけなんで、答えられない人が電話に出るのがいけないとも言えると思います)。

そういえば、けさかかってきた「羽毛布団のナニナニです」という電話のときも、
「羽毛布団をお使いいただいていると思いますが、」
と言うから、
「それは、どこのどういう情報を調べてお電話いただいているんでしょうか」
と言ったら、
「お使いいただいてませんか、すみませんでした」
と一息に言って向こうから電話を切ってしまった。なによ、結局、使ってるかどうかに関係なく電話したってこと?

なんだか自分がコワイおばさんになっていってるようで、ほんと、気が滅入る。


01/14/2001(日)

3時からのマチネ公演で、伊丹公演無事終了。

打ち上げで、「人に歴史あり」な話をいろいろ聞いた。


01/13/2001(土)

きょうの公演は3時と7時の2回。途中で、1回目なのか2回目なのか、よくわからなくなった。楽しいのはすごく楽しいんだけど。


01/12/2001(金)

伊丹公演初日(7時半開演)。

4時半集合だったので、お昼過ぎまで部屋でだらだらする。旅公演では、すごく忙しい日というのがどうしても出てくるので、「ゆっくりできるときはゆっくりしておく」ということを私は大事にしている。

劇場入りする道すがら、古着の和服などを安く売っている店に入る。和装用品も、足袋550円、帯枕300円などとのきなみ安いので、足袋、帯枕、和装用ストッキングなどを買った。店の人に話を聞いたら、東京にもいくつか店舗があるとのこと。今度、行ってみよう。

自分の住んでいる街だと、入ったことのない店にはなかなか入りにくいけれど、旅先だとどこもみな「入ったことのない店」なのでかえってどんどん入っていける。ショッピングは旅公演の楽しみの一つだ。

この数日、ランサムの「つばめ号」シリーズの9冊め『六人の探偵たち』を読んでいる。以前読み始めたものの、人が誤解される話は気が重くて、なかなか読めないでいた。今回また読み進めて、やっと私のお気に入りのDきょうだいが登場。深刻なばかりの話でなくなってきたので、読み続けていけそうだ。


01/11/2001(木)

9時集合。客席作り。

小道具の「押すポット」が先日来調子が悪い(押してもガスガス言うばかりであまりお湯が出てこなくなってしまった)。昨日劇場の近くの商店街で代わりのポットの当たりはつけておいたのだけど、「色は白地に花柄(いま使っているのと同じ)だけど、容量が3リットル(現状の物は2.2リットル)」というのと「容量は2.2リットルだが、新幹線のぞみ号のような色のスマートなやつ」という2種類しかなく、「帯に短し、たすきに長し」だったので決めかねていた、きょう演出家に相談し、前者を購入。

11時から場当たり。アゴラ→北九州→伊丹、とだんだん劇場が大きくなってきて、伊丹では特に上手、つまり外から部屋の中に入ってくる通路の部分が長くなった。それに合わせてセリフが追加になったり、セリフや登場のタイミングが変わったり、いろいろと微調整があった。俳優のほうで、前回に比べてもうちょっとこうだろうな、と見当を付けてやってみて、演出が「それじゃ早すぎる」とか「ここでナニナニと言って」とか直していく。

伊丹AI・ホールは、広い割に舞台と客席が近く、声の通りもよくて小さな声もよく聞こえる。

夕方からゲネプロ。ある俳優が「あがりかまち」の端っこを踏みすぎて舞台装置を支えていた箱状の土台がずれ、一時中断。ゲネプロというのは「すべて本番通りにやるリハーサル」なので、途中で止まるというのは青年団では異例中の異例だ。ビデオモニターで異変を知った俳優たちが、「どうしたの?どうしたの?」と楽屋や喫煙所からわらわらと舞台に集まってきて、それはそれでドラマチックだったとは、見ていた劇団員の弁。

夜行ったおいしい焼き鳥の店で、トイレに立ったとき、同じくトイレの順番を待っていたサラリーマン風の人に
「待ってるんですか?じゃぁ、後ろに並びますね」
と話しかけたことから立ち話になり、
「ぼくも最初は東京から出張できたときにひとに連れてこられたんですよ」
とか、
「いなかは徳島で、海のほうなので夏はあわび、冬は伊勢エビがおいしい」
とか、けっこういろいろ話した。私がトイレから出てきたときに、その、ちょっと「東京物語」の大阪で鉄道に勤めている息子に似た感じの人は、連れと一緒に店を出るところで、
「またここで会いましょう」
なんてお気楽なコメントを残して去っていった。なんか、いいなぁ、こういうの。


01/10/2001(水)

朝の新幹線で大阪(→伊丹)へ移動。午後から搬入および仕込み。

7時過ぎ、客席を残して仕込み終了。

宿泊先のホテルで、部屋の電話にモジュラージャックが付いていないことが判明。コンピュータ師匠に付き添ってもらって、初めて公衆電話からの接続に挑戦。

あれは7年ほど前だったか、師匠がノートPC、モデム、電話線などをカバンから次々出しながら公衆電話から通信をしていたとき、「スパイ大作戦みたい」と思ったものだった。今回の私の場合、モデムは内蔵だけど、まぬけなことに内蔵電池が死んでいるのでコンセントから電源をとらないと動かない(しかも長時間電源に差してないと日付が「1904年」になってしまうのでいちいち直さなきゃダメ)、ノートといいながらちっともモバイルじゃないパソコンなので、近くにコンセントのあるグレ電をさがさないといけない。さいわいホテルのロビーにそういう電話があり、無事、第1回のメール受信に成功。


01/09/2001(火)

きょうは、完全オフ。だらだらと起きてだらだらと食事。天気も、だらだらと小雨。

ゲーセンで、音楽系のゲームに挑戦。画面の矢印にあわせて前後左右にステップを踏むやつは、選曲によっては初心者モードでもけっこうむずかしく、すぐにゲームオーバーになってしまう。すごくうまい人が、ぜんぜん楽しくなさそうに淡々と、だけど足さばきはすばやく的確にこなしていった。私なんか、はぁはぁ言いながら身体動かして、それが楽しくてしょうがない感じなんだけどなぁ。

画面にあわせてタンバリンを所定の位置でたたいたり振ったりするのも楽しかった。いまのゲームは、センサーなどの技術がすごく進んでてびっくりした。ゲーセンでまじめにゲームしたのなんてすーごいひさしぶり。テトリスなんてもうないんですねぇ。

ウォームアップになんとかして取り入れられないかなぁ、などと考えた。でも、画面(つまり他人)の指示通りに動くと高得点が取れたり達成感があるのって、もしかしてちょっとヤバイのかなぁ、無批判に受け入れてたら。どうなんでしょう。

選べる曲の選択肢の中に「キラークィーン」、「UFO」なんかがあったんだけど、私たち30代がけっこうターゲットになってるってこと? 若い人よりお金をもってる可能性が高いから? あー、お金といえば、いまは1回200円、ってゲームが多いんですね。


01/08/2001(月)

成人の日。振り袖着て草履をパタパタいわせないでもらいたい。かっこ悪いよ。

きのうは雨だったが、きょうは雲一つない晴天。気温も上がったようで、舞台上も少し暖かかった。

本番は、2時と5時。「3時と7時」というのは東京公演でもあったけど、それよりも間の時間が1時間短い。マチネが終わって小道具を片付けてスタンバイするともう開場間近、という感じ。

ソワレ終演後、「新旧俳優陣が語る平田オリザ」とかなんとかいうトークがあり、「旧」のひとりとしてステージに上がった。その後、バラシ(撤収)。10時過ぎに終了。


01/07/2001(日)

雨。11時集合。

ゲネのダメ出しを聞きながら稽古。私は、後ろを向いているとことかでもうちょっと声を出すように何カ所か言われた。風雨のためきのうより少し声が聞き取りにくいようだったが、5時からの本番が始まる頃には雨もあがった模様。

夜、ゲームセンターで、右脳度テストとかなんとかいうのをやってみた。結果はレベルDで、そうとう低い。心外だ、左利きなのになぁ。

飛ぶ劇場の泊さんに、なんかの話のついでに「私のホームページ」と言ったら、「え?何それ?」と言われた。あれ、知らせてなかったっけか。知らせてたとばかり思ってたよ。で、飛ぶ劇場の掲示板にURLを書き込んだら、飛ぶ劇場の人たちがウチの掲示板に書き込みにきてくれた。


01/06/2001(土)

後発隊として、午後一で劇場入り。他の人たちはきのうからここにいたと思うと、「空間に慣れる」点ですでにして出遅れているような気がして気後れしたりする。でも、自分の小道具や衣裳の準備や確認をしているうちに落ちついてきた。

3時から場当たり。アゴラでは最初から靴なしで登場していたけど、北九州に来て入口で靴を脱ぐ動作が新しく加わった(劇場の大きさとか装置の関係で、)ので、そのあたりを調整。

夜、ゲネプロ。


01/04/2001(木)

「さよならだけが人生か」旅公演のため、舞台セットとか小道具とかいろいろをトラックに積み込む。私が担当してる「生活」の用品は、楽屋で飲むお茶とか、救急箱など。

夜は、青年団若手自主企画「スリヌケル」の受付を手伝いに行った。「さよなら〜」でまったくの普段着のような衣裳をずーっと着ていた反動で(?)、受付はバッチリ決めてやるぜと赤いスーツなど着てみた。アゴラ劇場のロビーはほとんど屋外なので、寒かったけど。

夕飯は、宅配ピザ。お正月でスーパーが早じまいということもあって、今年になってぜんぜん料理してない。師匠、ごめん。


01/03/2001(水)
注意:TNG「勇者の名の下に」およびTNGに出てくるクリンゴン帝国の勢力争いのネタバレ、ならびにVGR「ブラックホールと共に消えた恋」および「偽造された地球」のネタバレがあります。

きょうは、休みだった。目覚まし時計なしで、自然に目が覚めるまで寝ていた。あー、のんびり。

年賀状書き、やっと終了。あと、師匠にいろいろ教えてもらって、旅公演にもっていくパソコンの、メール送受信のための設定をした。こないだ長岡に行くときにうまくできなかったのは、Internal Modemというのが選ばれてないとダメなのに、Modem Portが選択されていたかららしい。といってもよくわかんないんだけど、ここに書いといたら忘れないかと思って、書いておく。さぁ、3.4kgの「ノート」パソコン持っていく準備が、これでだいたいできました、と。

TNG「勇者の名の下に」を見る。初見。これより前の、ウォーフが帝国を追放になるエピソードとか、これよりもっと後のガウロンが出てくるエピソードはすでに見ていたので、ガウロン=いいもん、デュラス=悪もん、と思って最初から見ていたが、どっちも悪そうに描いてあってネタバレしないようになっているところがうまいと思った。ウォーフがデュラスに復讐するところ、VGRだったらジェインウェイ艦長がきっと直前に阻止していただろう。TNGは、宇宙艦隊の価値観を押しつけないところが、いい。

VGR「ブラックホールと共に消えた恋」も見た。VGRの「ネタバレ邦題」はスタートレック関係の掲示板でときどき話題になっているけれど、これはネタバレというよりもウソ邦題ではないだろうか。遭難したトゥボックが異星人と互いにひかれあうけれど自分の気持ちを表に出さず、救出した彼女を母星に帰す、という話で、ブラックホールの消滅と恋の顛末には、関係はないと思った、私は。だいたいトゥボックの気持ちは最後に彼女に伝わって、二人とも納得して別れていくわけで、「恋」が「消えた」わけじゃないんじゃないの? とタイトルに文句はあるけれど、トゥボックがフィーチャーされためずらしいエピソードで、しかも彼の心の内をうまく表現した、いい話だったと思う。あぁ、1つ言えば、どうも翻訳が気に入らない。ユニバーサルトランスレーターを「宇宙翻訳機」と言うのはどうなのか(VGRでは他のエピソードでもこの訳語が使われていたと思うが)。universalは、「普遍的な」という意味だと思う。「万能翻訳機」、じゃ古くさいか…じゃぁ、「マルチ翻訳機」とかにしたらよかったんじゃないかなぁ。TNGでは「ユニバーサルトランスレーター」って言っていたような気がするけど。

最近見たVGR「偽造された地球」のことも書いとこう。これこそネタバレ邦題! このエピソードには不満がある。まず、地球から遠く離れたヴォイジャーの一番の目的は、地球に帰還するということなはずだから、生命体8472が宇宙艦隊の情報をどこから得たのかにもっと興味をもってしかるべきだと思った。ヴォイジャーのクルーからでないとすればアルファ宇宙域とコンタクトがとれているということになるわけだから、その技術に興味をもたないはずがないのではないか。次に、チャコティ副長の付けてるランクピップ(階級章)は宇宙鑑ヴォイジャー独自のものなので、あんなのをつけて偽宇宙艦隊本部に現れた時点で、侵入者だということはすぐにバレるはず。さらに言ってしまえば、そんなヴォイジャー独自の階級章を付けたままで潜入しようとするはずないじゃないか、あれじゃ作戦が甘すぎるよ。も一つ。ヴォイジャーの医療室で死んだ生命体8472は本来の姿に戻ったとき、着ていた艦隊制服が消滅した――ってことはあれも擬態の一部だったということになると思うけど、チャコティとデートした8472は制服からガウンに着替えたりしてた。設定のつめが甘いのでは? 「甘い」と言えばもう一つ、あのような訓練所は他にもたくさんある、とか、上層部に言ってみるけど話が通るかどうかわからない、とか言ってるから、8472が今回のヴォイジャーとの遭遇によって地球侵略をあきらめるかどうかまだまだ不明なわけで、ヴォイジャーがこのままここを立ち去って帰還の旅を続けるのはけっこう無責任な感じがした。チャコティがメインのエピソードにケチはつけたくないんだけど、どうもあらの目立つお話だった。


01/02/2001(火)

東京での公演はきょうが最終日。1時集合でミーティングをしたが、きょうのバラシの段取りと5日からの旅公演の話で、30分近くかかった。私たちの劇団は、ミーティングが多い。というか、全員に知ってもらいたいことはミーティングで告知するシステムだ。

本番終了後、バラシ。そして、入れかわって劇場入りする若手自主企画の搬入と、打ち上げの準備を、並行して手伝う。おにぎりの味つけに、乾燥ワカメを細かく砕いたものと、きざんだバターピー、きざんだおつまみ昆布、きざんだ…えーと、おつまみで、カツオがコンソメかキャラメルみたいに金や銀の紙にくるんであるあるやつ、それにカツオ削り節を混ぜ込んで、気分はミスター味っ子。

10時くらいから稽古場で打ち上げ。打ち上げといってもこの後まだ、北九州、伊丹、越谷と公演は続くわけで、「あぁ〜、終わったぁ〜!」という打ち上げとはやっぱりちょっと気分がちがう。それでも一段落は一段落なわけで、だらだら落ち着いて飲めてよかった。

お正月のせいかいつもよりきれいに見える星空を見上げながら、深夜に帰宅。


01/01/2001(月)

届いた年賀状に目を通し、劇場に向かう。着る着ると言っていた、高校生の時に作ってもらったウールのアンサンブルの着物を着て出掛けた。どうせ羽織はぬがないから、と帯は適当。

しまった。駒場に着いてみたら、コンビニも弁当屋もパン屋も閉まっている。ウチで食べてから行けばよかった!唯一開いているマクドナルドで食べ物を買った。

会う人ごとに「おめでとう。今年もよろしく」。楽屋で年賀状を配る人もいた。公演期間中でも、けっこうお正月っぽい雰囲気になるもんだなぁ。

晴れ着(和服)姿のお客様もあった。


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