つれづれなる日々

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2005年2月の日々

仕事が一段落して満足げな自画像


02/28/2005(月)

青年団リンクRoMTの公演が明日から始まるんだけど、週末のワークショップとアフタートークの通訳を引き受けたので、打ち合わせも兼ねてきょうは稽古を見学した。数シーン分しか見れなかったけど、戯曲(シェイクスピアの『オセロウ』)とも、一つ一つの台詞とも、がっつり取り組んでいる感じがした。早く全体像を見てみたい。


02/27/2005(日)

韓国で『カガクするココロ』を上演する友人からメール、「どんけつの意味はなんですか?」。「お尻とお尻がぶつかることです。『ドン』はぶつかる音で、『けつ』はお尻のあまりよくない言い方です」と答える。後で気づいたんだけど、「どんけつ」にはもう一つ、「ビリ」(一番最後)の意味もあるね。

「穂」、というのは今度作るカーテンの模様に、稲の穂をイメージした部分があって、そこのことなんだけど、「穂」の試作をさらに進める。明→暗→明→暗とあまり規則的に並べないほうがおもしろそうなこと、右が明で左が暗、みたいに半分で変えるのもよさそうなことなどがわかってきた。


02/26/2005(土)

有賀さんに家まで来てもらって、カーテンのミーティング。ログキャビンのピースの縫い方のデモンストレーションなどもしながら、使う布地を選んで、二人で分けた。どの部分をだれが縫うかの分担も決めた。

その後、「穂」のデザインを考えたり、考え直したりして、試しに少し作ってみた。ログキャビンの応用で行けそうだ。

朝早く起きたので、変な時間に眠くなり、夜はまた、寝れない……。


02/25/2005(金)

いえの人と駅の近くでご飯を食べた後、駅ビルを一人でぶらぶらする。春めいたコサージュなどが並んでいて、欲しくなるが、花のコサージュをつけて引き立つような地味な服を持っていないことに思い至り、買わずに帰る。

TNG エンタープライズ・パニック (5, 105)を見て、ピカード艦長たちが歌っているFrera Jacque(朝の鐘)の歌詞を知りたくなり、ウェブ検索したら、各国のいろいろな歌の歌詞とメロディーがあるウェブサイトにたどり着き、カラオケ的音楽にあわせてなんだか2〜3時間くらい歌いまくってしまった。賛美歌とか、スカボロフェアとか、TNGでオブライエンが歌ってた歌(The Minstrel Boy)とか。その後、子供たちが歌ってるのを聞けるサイトも発見。

さしせまった締切のない、こんな日は久しぶり。


02/24/2005(木)

きのう書き始めた書きにくいメールをなんとかかんとか書き上げて送信。私には使いたい表記があり、出版社はちがう表記にしてくれと言っていて、おとといの電話もその件だったんだけど、ここまでの経緯全体がなんだか釈然としないので、メールを出したのだ。私がこうしたい理由はこうなんだ、あなたがたがいままでに挙げた理由はこれこれだけどこれではよくわからないので説明してほしい、いまのあなたがたの対応に不信感を持ってしまったのはこういうわけだ、このメールは、理解してほしいし理解したいので書いたので、他意はない――という内容。電話は言った言わないという話になりやすいし、私は書いたほうが込み入った話を伝えやすいので、メールにした。こういうことを「雰囲気」でうまーく進められたらいいと思うが、私は、白黒はっきりさせないと、かえって気がもめて苦しくなってしまう。面倒くさい性格だし、「きつい」とか「怖い」と思う人もいるだろうと思うんだけど、まぁそれはお互い相性が悪いと思ってあきらめるしかないだろな、と思っている。

『御前会議』の第一回通し稽古を見に行く。稽古場が狭く、実際の上演ではありえない位置から観劇。議論が私の頭の上を通過していく!

その稽古場に付けるカーテンを、有賀さんと私で作ることになっているので、二人でミーティング。私のラフスケッチを有賀さんが非常に具体的に、何センチ、何センチという図面に変換していく。私は、縫いながら様子を見て変更してもいいやみたいな気持ちなんだけど、服飾関係、布関係の経験は豊富でもパッチワークは初めてという有賀さんは、デザインも、使用する布地も、あらかじめきちんと決めておかないと不安なようだ。いいコンビになる予感。


02/23/2005(水)

明日締切の、「訳者あとがき」の原稿を書く。きのう編集の方からいただいたお電話への返事のメールも書き始める。どちらも完成には至らず、明日送ることにして家を出、明日図鑑の『甘い罰』を見に行く。「甘い」はチラシをいただいたときにすぐに覚えたけど、「罰」の部分はなんだかうろ覚えで、「甘い罪? 甘い罠? 甘い罰?……」などと考えながら行く。THEATER/TOPSは何度も行ったことがあるのに、きょうも道を一本まちがえた。

登場人物一人一人が悲惨な問題を抱えていて、いわば「てんこ盛り」なんだけど、「ウソだろ?」と疑う気持ちを持つことなく見ることができた。それぞれの悲惨さが、具体的な、その人独自の悲惨さとして、ステレオタイプにならずに描かれているからだと思う。


02/22/2005(火)

Happy Hunting Groundの『knob』を見に行く。人物がそれぞれ多面的で「一筋縄で行かない」感があり、そのことはおもしろかった。その人の悲しさ、その人の絶望、その人の希望……そういうものがもやもやーっと立ち上がってきていた。ただ、演劇の作り方の文法が、私とはちがうんだな、という感じはした。たとえば劇の冒頭部というのは、ここがどこでこの人はだれなのかということを、観客と一緒に徐々に確立していく(小出しにして、だんだんわからせてくれる)ほうが私は好きだが、この舞台は、まず最初に「ここはこういう場所で、私はこういう人物なんです!」というのが一方的に提示された。と私は思う。こちらは「あぁ、あぁ、そうなんですか、へー」ととまどいながらついていく。そのうちこっちの気持ちも追いついてきて集中して見られるんだけど、最初しばらくは置いていかれちゃったようなさびしい気がした。それと、カタヤマが相手の名字を当てようとして百個名前を言うところで「(中略)」という感じで途中パントマイム(音楽がかかって、台詞は口パク)になったのは、心底驚いた。百個名前を言い続ける時間、息づかい――そういうところにドラマ(劇的なるもの)があると私は思うので、せっかく観客の目の前で、「いま、ここ」でやっているのに、あそこを省略してしまうのはもったいないと思った。

一緒に行った友と、モロッコ居酒屋へ。なんもかんも美味しかった。「美味しかったねー」と言いながら二人で表に出ると、ちょうど通りかかった近所の人らしいおばさんに、「ゲテモノじゃないの?」といきなり話しかけられる。前置きとか、なんもなしで、いきなり「ゲテモノじゃないの?」。「一度入ってみたいと思ってるんだけどね」と言うおばさんに、スパイスが独特だけど、美味しいですよ、ゲテモノじゃないですよ、イワシとか豆とか肉とか……しっかりした味つけで、ご飯のおかずみたいななつかしい感じの味ですよ、いま、席あいてますよ――と最後は営業。おばさんは、「一度入ってみたいんだけどね」と繰り返しながら去っていった。


02/21/2005(月)

いままで予定の決められなかった、あの公演やこの公演の観劇の予約を入れる。3月になったら髪も切りに行くことにして、その予約も入れる。

こまつ座『円生と志ん生』を見に、紀伊国屋ホールへ行く。泣いたり笑ったりして見ていたけれど、あるシーンでは可笑しさのあまり涙が出て、「可笑しくて涙が出るなんてめったにない体験だなー」と思った。


02/20/2005(日)

市川準監督の『あおげば尊し』という映画に出演するので、その撮影に行った。私は、きょうが3日目(で、最後)。楽しみにしていた給食のシーンがなしになってしまって(「欠番」というらしい)、ちょっと残念だった。先生(私)が左手に箸とか持って給食を食べているシーンが映画になったら楽しいだろうな、というような個人的な思いもあったので。

そんなこんなで時間があいて、やはり出演している青年団の友と、控え室にてしばし「ジェスチャーしりとり」に興じる。きのうで翻訳の仕事が一段落して、なんだか私は相当ハイテンションだ。

撮影では、スタンバイしていて床の鉢植えを倒してしまい、一緒のシーンに出てる小学生女子に「大丈夫ですよ」と気を遣われる。とまれ、無事終了。

帰宅前、駅前の整体(主にマッサージ)に寄る。翻訳の原稿も提出して、映画の撮影も終わって、そのうえマッサージにも寄ったので、心身共に肩の荷がおりて(と言ったら変ですが……)スキップしたいような気持ちになる。


02/19/2005(土)

翻訳には「フレッシュな目で見直す」という過程が大切だと私は思う。きょうは、寝て起きてスッキリした頭で、原稿全体(といっても、前に一度前半部分は納品したので、それ以降の分だけだけど)を見直す。

この本は、亡くなった著者の残した原稿を整理・構成して一冊にまとめたものなのだが、通して読むとつじつまがあわない部分や、内容が重複している部分がある。英語原著の編集者の人はきっと元々の原稿をなるたけいかす方向でまとめてそうなったんだと思うけど、日本語版ではけっこう思いきってさらに整理した。「翻訳」でそこまでやっていいのかというのは賛否両論あるところだと思うが、演劇になじみのない学校の先生たちにも読んでもらいたいという、この本を出す日本劇作家協会の意図もあるし、私としては、著者が生きてたら最終的にはこう直したんじゃないだろうかみたいな気持ちもあるし、だいたい、「ワークショップを通じて生徒たちに劇作を教える方法を、先生たちに会得してもらいたい」という原著の目的からしたって、読む人にわかりやすい本にしたほうがいいはずだ。なんだか言い訳がましい?

午前2時にすべて終了し、メールで送信。今回の翻訳の締切に関して、「明日は映画の撮影なので、寝ないで行くわけにもいかないし……」という不安があったんだけど、あぁよかった、寝る時間がある! いえの人と、ご飯を食べに行って、就寝。


02/18/2005(金)

きょうも翻訳の直し。夕方には8章まであらかた終わる。でも、19日24:00という締切はやはり無理なんじゃないだろうかと思い始めていると、編集の方から連絡があり、自宅で作業しようと思ってたけどやはり会社ですることにしたので20日の朝11:00までで大丈夫とのこと。ヨカッタ。

あした全体を見直したいので、なんとか最後(11章)まで原稿の直しを終わらせる。なんか、いま何曜日なのか、よくわからなくなってきた。


02/17/2005(木)

きのうの打ち合わせを受けて、翻訳の直し作業。6章の終わりまで。


02/16/2005(水)

打ち合わせに行って、(前回は7時間だったけど)きょうは2時間くらいでさくっと、……なんて思ってたんだけど、やっぱ甘かった。きょうも7時間打ち合わせした。編集者の、演劇のことを知らない人の立場からの指摘が特にありがたい。「そうなってこそ真のアンサンブル精神が生まれる」の「アンサンブル」を「訳してください」と言われたときは驚いたが、なんだかんだ言っても私は演劇界の人間だから、なにをどこまで説明しなければいけないかということは自分本位に決めたらダメだなと、身にしみました。

夜、劇団の年代別ミーティング。


02/15/2005(火)

ゆうべ遅くまで仕事して、今朝も(私としては)早くから仕事して、でも全部はできなくて、できている分だけ送って、前から予約していた歯医者さんに行った。睡眠不足でなんだか自分の動きが緩慢になっているのがわかった。顔の筋肉なんかも鈍くなっている感じだったので、先生に、「不機嫌みたいに見えるかもしれませんが、そうじゃなくて、睡眠不足なんです、すいません」などと言い訳した。ファミレスで明日の打ち合わせのための仕事をして(料金を払うときに「1,029円です」と言われて、何を思ったか、千円札1枚、百円玉1枚、1円玉2枚出した。翻訳以外の思考回路が、もう相当へろへろだったんだと思う)、いえの人が照明をやっていることもあってどうしても見たかった『十六夜』を見に行って(さらにへろへろ度が増していたので、受付の人などに迷惑をかけてしまった。もうしわけなかった。公演は、眠くならずに2時間観ることができた)、帰りのロマンスカーで仕事の続きをして、家に帰って続きをやって、きょう締切だった分の続きもやって、朝になって送信。たぶんこのまま寝ないで打ち合わせに行くと思う。こんなむちゃくちゃな仕事のしかたをしたのは、バブル期(日本の)以来ではないだろうか。


02/14/2005(月)

一日、仕事をしていた。ふがいない父親を残して家を出る15歳の少女の最後の台詞"George, I love you."に「お父さん!」という訳をあてることを思いついて、ちょっと興奮した。あざといだろうか?


02/13/2005(日)

翻訳の直し作業が、大変だけどおもしろい。おもしろいけど大変だ。演劇用語には訳註を付けることになって、それを考えるのも楽しい。「観客が知っている情報を、登場人物は知らない」という「劇的アイロニー」の説明に「『志村、後ろ後ろ!』と言いたくなるような状況」と書きたいんだけど、たぶんボツだろうな。


02/12/2005(土)

いま翻訳している本(はい、まだやってます。いま編集者の指摘を受けて、修正したり考え直したりしている最中)の中に、戯曲を作る方法としてインプロビゼーションを使うという部分がある。こういう設定、登場人物はだれだれ、と決めて、即興でシーンを演じてみるわけ。でもそれを「演じる」とは捕らえないで、即興演技という手段を使ってシーンを「書いた」という言い方をする。このレトリックがわかりにくいと編集の方に言われて、どうするのがいいか考えている。

考えていると関連情報が向こうからやってくるというのはよくあることで(セレンディピティーっていうんでしたっけ? あれ、それはちがう?)『肝っ玉おっ母とその子どもたち』(岩波文庫)の解説(岩淵達治)の中に、ブレヒト自身の「注」というのが引用されていて、その中にこういう部分があった。

屋根の上の娘は農婦が喋るのを耳にして、下のほうに笑いかける(これより二景前で、この女優はカトリンを同じように笑わせた。……

娘は町の人々に聞こえているのだろうかと疑い始める(この女優は動き全体にそれまで何か不器用な感じを与えてきた。ここでは一番救いのない人間が他人を救おうとしていること、それでいま大混乱に陥ってしまったことを観客に知らせなければならない)。

「カトリン」という役を「アンゲーリカ・フルヴィッツ」という俳優が、これこれこういうふうに観客に提示した、と言っているわけだ。私の訳しているTeaching Young Playwrightsの場合は、「グリゼルダ」という役を「ナンシー」という劇作家が、自分の即興演技を通じて観客に提示した、となる。やっぱなかなかわかりにくいかな? もう少し考えてみよう。


02/11/2005(金)

韓国映画『ナンバースリー』をチャンネルネコでやっていた。『ソウルノート』の演出のパク・カンジョンさんが詩人ランボー役で出演しているので、昨年ソウルでビデオで見たんだけど、そのときは日本語字幕がなかったので、話がさっぱりわからなかった。きょうは後半だけちょっと見ただけだけど、なるほどー、あの喧嘩はそういうわけだったのかー、あぁそういうわけであの店に全員そろったのかーなど、日本語字幕なしで見たときの疑問が解決してすっきりした。


02/10/2005(木)

打ち合わせに行き、ノンストップで7時間打ち合わせをした。


02/09/2005(水)

後から思えば、ホントに些細なことがきっかけで――まぁ、言ってしまえば、「こうしよう」と計画していたことが、相手先との認識のちがい(ホントにそんなぜんぜん大したことはない)のために、自分の思っていたように進めることができなかったということなんだけど――涙を流してぼろぼろ泣いてしまった。一人で。

しかし、涙を流すということは、文化によって意味がだいぶちがうんじゃなかろうか。アメリカのドラマを見ていると、感情が抑えきれなくて泣いた人は、こんなことをしてすまない、と周りの人に謝っている。恥じ入っているという感じだ。一方、韓国ドラマでは、男も女もけっこう涙を流しながら(そのことに言及せず)しゃべっている。ドラマが現実にどれだけ忠実かはわからないけれど、見ているアメリカ人や韓国人がリアリティーを感じる程度には、現実を反映しているんだろうと思う。で、日本はというと、私は泣き虫なので、割とすぐ涙目になったり涙がこぼれたりするが、そうすると周りの人が非常に動揺する場合が多い。涙を流しながら冷静にしゃべる自信が、こちらにあっても、相手がそういうふうに受けとめてはくれない。

しばらくして気持ちも落ち着いたわけだけど、泣いているあいだ、お、涙が出るとき、目の周りが熱くなるんだな、などと自分の状態を分析しているもう一人の自分がいて、それもおもしろかった。


02/08/2005(火)

洗濯をしたり、食べる物を作ったり(久しぶりである)、翻訳の校正の仕事をしたりの一日。


02/07/2005(月)

無針注射器というものを知る。うわ、これって、まさにスタートレックのハイポスプレーじゃん!

きのう、早朝からの撮影が終わって夕方5時過ぎに帰宅して、たしか9時過ぎに寝たと思う。夜中や午前8時頃にめざめつつ、結局午後2時くらいまで寝てしまった。先月は、忙しい、時間がない、とキリキリ舞いしていたが、当面することがないとなんにもしない自分に、いまちょっとおどろいている。当面することがないと言っても、さすがに、長期的な、「今年10月くらいまでに」とかそういうのはあるので、ちょっとそういう仕事を進めたりは、した。


02/06/2005(日)

きょうも、6時に家を出る。きのうに引き続き、小学校での撮影。きのうは屋外の撮影ということで寒いだろうと覚悟して行ったが、きょうの屋内撮影も、寒かった。最大限の防寒体制で臨んだので、大丈夫だったけれど。

きょうの撮影では、気持ちがへこむ局面もあり、帰りの電車の中で反省した。「役者はいつも上機嫌でなければいけない」という言葉(詩人の谷川雁さんの言葉だそうです)を、忘れないようにしよう。

この撮影に使用している化粧品が、すごく肌がしっとりしていい感じなので、メイクの方にメーカーなどを教えていただいた。購入したいと思い、帰宅後、ネットで検索してみると、値段も相当いいのであった。うーん。

行き帰りの電車の窓から見えるモデルハウスに「EMH」という看板が出ているのが、きのうから気になっていた(スタートレックでEMHと言ったら、緊急用医療ホログラムで、つまりヴォイジャーのドクターである)。きょう、もうちょっと気をつけて見てみたら、MはMcCoyであることが判明し、さらに気になる(スタートレックでマッコイと言ったら、初代スタートレックのドクターである)。調べてみたら、Everson McCoy Homes(エヴァソンマッコイホームズ)という輸入住宅メーカーだった。スタートレックとは、関係なさそう。


02/05/2005(土)

映画の撮影があり、6時に家を出る。空にまだ星が光っていた。電車の中で、空の色がだんだん明るくなり、巨大線香花火のような朝日がのぼるのを見た。

偽Sの件がゆうべはひじょうにショックだったんだけど、オーディションに落ちるたびにダメージを受けていたら、俳優はやれない。一晩たてば私も、けっこうケロリとして、夏の予定などを考えはじめているのだった。

朝の光の中、「朝礼」シーンの撮影。その1シーンで私はきょうの分は終わり。一緒だった友と駅前のケンタで食べたりしゃべったりしてから帰宅。明日も早い。友には「きょう夜10時くらいまでがんばって起きていて、それで早寝してあした早起きしたほうがいいよ」などとアドバイスしたのだが、自分は午後じゅう寝てしまった。

夜、いえの人と飲みに行く。焼き鳥(特にレバー)はあいかわらずおいしかったが、ガーリックトーストのバターがマーガリンに変わったのではないだろうか。なんだか、ものたりない感じがした。


02/04/2005(金)

いつも肩こりだが、ゆうべから、めまいがするほど肩がこり、きょう、マッサージに行く。きょうは30分間、背中、肩、首だけやってもらう。

ワークショップ研究会(私はメンバーではないんだけれど)の講座に参加させていただき、スクールカウンセラーの方のお話をうかがう。現場の人のお話は、やはりたいへん興味深い。

先日偽S高原からのオーディションを受けたけど、不合格ときょう判明。ひじょうにがっかりして、就寝。


02/03/2005(木)

この2カ月、「ワークショップを通じて、若い人たちに戯曲を書かせる」ということをやってきた人がそういうことをやる先生のために書いた本、というのを翻訳していた。輪になって座ってもらうならどういう大きさがいいとか、紙に書こうとすると元気がなくなっちゃうなら最初は即興で演じさせてみればいいとか、こういうことを聞かれたらこう答えろとか、とにかく経験に基づいたすごく実践的な本だ。

だけど、翻訳しながらずっと思っていたのは、日本語で戯曲を書く場合、ここにある説明だけでは足りない部分があるんじゃないかということだ。それは、台詞という「話し言葉」は、文字では書ききれないので、戯曲を書くときにはそれをなんらかの形で補ってやらないといけない、ということに関してだ。英語だとあまりそういう問題がないのかもしれないが、日本語の話し言葉はそのまま書いたのではわからないことが多い。戯曲の翻訳をしていて、よくそう思う。「そうじゃない」というのが「そうに決まってるでしょ」と決めつけて言ってるのか、「そうではありません」という否定なのか、字だけじゃわからない。「バカなことするなと思った」は「バカなことはしないほうがいいと思った」なのか、それとも「あいつはバカなことをやっているなぁと思った」なのか。

それで、どうするか。私は、省略されている語句をカッコに入れて書いておくという作戦を使っている。
「(私は)なんでビールグラス(を持っているの)? (飲んでいるのは)ワインなのに。」
「だ(って)、な(んだよ)……、いいよ、もう」
といった具合。鈴江俊郎さんの戯曲を読んでいて、そういうやり方があることを学んだ。
「バカなことするな[否定命令]と思った」
のように、説明を書いておくこともある。

また、友人の俳優山内健司が、ワークショップで、「しゃべった言葉を再現するため、『音の形』を書きとめる」ということをやっていて、ここで音が高くなったとか、息継ぎがあったとか、どんくらい間をとったとかをその人なりの記号で書き込んでいくというのをやっているけれど、そういう方法も、戯曲を書く場合に有効な場合があるだろうと思っている。いろいろな劇作家の人の戯曲を読むと、「次の台詞で断ち切られる」とか「間がある」とか「前の台詞とほとんど同時に言う」とかそういうことも、各自工夫して表記している。確立された方法って、たぶん、ないんだと思う。

とにかく、即興を録音して台詞を起こすったって、こういう、なにかの形で話し言葉を文字・記号化する手段がないと話し言葉の持っている情報を書き言葉として記録しきれないというのが、私のつねづね思っていることであり、せめて、「話し言葉のニュアンスを保持しようとしたら、文字だけでは不充分な場合も、あるんですよ」ということだけでも、読者の人に知らせてあげたい。


02/02/2005(水)

あいかわらず、変なDMやウィルスメールがたくさん来る。そういえばこないだ、Don't Open the Attachment!(添付ファイルを開くな!)という件名でウィルスメールが来たけど、あれはどういう心理をねらっているのだろうか。

ずいぶん久しぶりに、韓国語の勉強をした。2カ月以上、あいだが空いてしまった。翻訳の仕事と公演があったから、しかたがないんだけれど。そして夢中になって韓国語のメールを書いていて、いえの人との待ち合わせに遅れてしまった。


02/01/2005(火)

8月31日の小学生状態で、翻訳の仕事を終わらせ、送信。

午後は、歯医者。前に歯を抜いたところの骨が、まだ充分治っていないのと、どうやら最近歯磨きがちゃんとできてないらしくて口の中の状態があまりよくないとのことで、きょう予定していた治療は、先延ばしに。次回、歯ブラシを持っていって、歯磨きのしかたを見てもらうことになった。

この2カ月の大仕事だった高山植物園と翻訳が両方終わり(翻訳のほうはこれからまだ校正があるわけだけど、ひとまず終わったということで)、久しぶりの「何もしなくていい時間」を、ビールを飲んでマンガを読んで、昼寝して(ゆうべは2時間しか寝てなかった)過ごす。


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