つれづれなる日々

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2007年4月の日々

入学式(おかあさん)


04/30/2007(日)

「無断転載はかたくお断りします」という文を見て、なんか変?と気になった。断らないで転載するのが無断転載だから、それをお断りしても意味ないんじゃないの?と思ったのだ。でもよく考えたら、「断らないで転載」する人と「かたくお断り」する人は別の人なので、変なことはないのでした。

あ、ていうか、あれですね。これって、「断る」の意味がちがうんだ。「断らないで転載」の「断る」は「事情を説明するなどして事前に了解を得ようとすること」で、「かたくお断り」のほうは「拒否する」なんだ。日本語、むずかしいな。

『東京ノート』はきょうも昼公演のみ。13時の集合時間にあわせて、12時過ぎに家を出るんだけど、「きょうの公演、3時じゃなく1時開演だったらどうしよう?」と不安になる。ま、電話もなにもかかってきてないからそんなマチガイをしてるはずはないんだけど。

終演後、『スネークさん』の稽古に。目の前に大ガラスを想定してそれをなるべく大きく拭く動作をするアップを教えてもらう。これは寝転がらなくても全身運動ができて、なかなかいいね。『東京ノート』のアップでもこれからやろう。アップの後は、デュオ。15分ほど二人で相談してから発表ということで、他の組はさっそくカウントで動きを決めたりし始めたんだけど、ミナコと私のチームは、ほとんど何も決まらず。私たちの分のテキストが、衣裳の指定があるというか、ある特定の衣裳でないとできない動きが元になっていて、その衣裳のない今どうやってそれをやろうか、どうしよう?どうしよう?と言ってるうちにタイムアップになってしまった。ごく大まかな動きのルールだけ決めて、えいや!と発表してしまった。それでもまぁ、これから動きを作っていくとっかかりにはなったんじゃないかと思う。


04/29/2007(土)

きのう友からもらったペンを、使ってみたら、すごく書きやすい。Stabilo S Move Easyというもので、グリップのくぼみが、左手で持ちやすいように付けてある。文房具好きの友がデザインが気に入って買ったけどどうにもこうにも持ちにくくて、あぁこのパッケージの「L」は太字とかそういう意味じゃなくてLeftだったか!と気づいて、左手でペンを持つ私にくれたのです。交換用のインクカートリッジもたくさん買ってて、それも全部もらっちゃった。ありがとう!

きょうの『東京ノート』は昼公演のみ。終演後、友とご飯を食べる。その後、『愛のはじまり』自主稽古に参加。参加といっても俳優ではなく、翻訳者として。

それから、8月のあなざ事情団公演の仮チラシを、片面だけ印刷。片づけてたら、5階の稽古場でこれから、とある短い作品の通し稽古があるよ、と教えてもらって、面白そうなので見せていただく。面白かった。


04/28/2007(金)
注意:最後のパラグラフで、『東京ノート』の登場人物設定について触れています。

友から、日記の漢字がまちがってますよ、と指摘のメール。『火宅か修羅か』と書くべきところを、「家宅」って、私、書いてた。おせっかいかなーと思ったのですがとメールに書いてあったけど、ぜんぜんそんなことなくて、ホントにありがたかったです。どうもありがとう!

『東京ノート』は、今回初の1日2回公演。きょうはあたたかくていい天気だなと思っていたら、3時開演のマチネが始まるのと前後して、急な雷雨。そして終演時にはすでに雨はあがっていた。にわか雨だ。

夜公演の準備の前に1時間ほど時間があったので、友とご飯を食べる。受付の仕事をする友は私よりも集合時間が早かったので、ちょっとしか話ができなかったけど、一緒にご飯を食べられてよかった。

夜の公演終了後、何人か友と話す。「ずいぶん若い頃からこの役をやってたんだね」と言われてちょっとビックリする。『東京ノート』のお姉さんは30代前半くらいの設定だと思っていたから。でも、考えてみたら、『東京ノート』初演時に比べて社会全体が晩婚傾向になってきてるから、30過ぎて独身なんてごく普通で、いまはあの役は40代半ばでも違和感ないのかもしれない。


04/27/2007(金)

久しぶりに『スネークさん』の稽古に参加。久しぶりのアップで、次々出るマキのすばやい指示に、みんなが前よりついていけてるのに気づく。うわー、やっぱ継続してやってる人はそれなりに前進してるんだ。私もがんばろう。と思う。

ちょっと圧倒されたまま、piece(各自のソロ)の稽古に入る。前のときはそのキャラクターの特徴の1つ1つ、pieceの文章の1文1文を手掛かりにして作ったけれど、きょうはテキスト全体から作るとのこと。じゃ、15分くらい考えて、と言われて考えようとするけど、どうしていいのかなかなか方向が決まっていかない。私のもらってる文章は、死んだ友人に夢で会うというような内容で、これをなんか変なマイムみたいにしないでどうやって踊ったらいいのさ、と途方に暮れる。1番手のナホが発表している間も、自分がどうするかということばかり考え続ける。まだまとまらないうちに、じゃぁ次マチコ、と指名され、もう、とにかく、「探す」「どうしてもこの一点に戻ってしまう」「ルーティンワークの繰り返しでいい」という3つのことをやろう、と決めて、発表。フィジカルな表現からしばらく遠ざかっていたので、なんとなく気恥ずかしくて、すねた子供のような気分のままやっちゃった。他の人たちの、構成も方向性もはっきりした発表を、圧倒されて見る。夜の『東京ノート』公演に備えてセーブしてたので、特に筋肉痛もなく、稽古場を後にする。

『東京ノート』は、去年『フェードル』を一緒にやった演出家フランソワ=ミッシェル・プザンティが見に来てくれてた。今回、客席が近いので様子が割とよくわかるんだけど、最初腕組みしてむずかしそうな顔してた(いや、顔まではわからないけど、そんな雰囲気だった)フランソワが、途中からは笑ったりもして面白そうにしてたのが、嬉しかった。


04/26/2007(木)

ニシンのきりこみ、というたいへんおいしい食べ物があることを、最近知った。それで、用事で青森に行った人に頼んで、買ってきてもらった。1日1食はニシンのきりこみと白いご飯だけで食事にしていい、ということにしている。塩分過多だと思うけどさ。あー、こんなおいしいもの、なんでいままで知らなかったんだろうか。とにかくいまは、親のかたきのように(比喩が変でしょうか?)食べまくっています。

昼間、いえで、あなざ事情団のチラシの仕上げをする。ホームページとか用にマウスで描いてる絵とあまりにタッチが同じで、ちょっと自分でもおどろいた。

公演前の楽屋でメイクをしながらみんながなんかざわついているので何かと思ったら、先日の『火宅か修羅か』のオーディションの結果が劇団のメーリングリストで発表されたという。うわー、『東京ノート』公演開始直前に!? 終演まで待とうかと思ったけど、待ちきれずに、終演ちょっと前に確認。私は落ちました。残念です。


04/25/2007(水)

きのうやけにくしゃみが出るなぁと思っていた。今朝目がさめると、喉が痛い。うわー、いま風邪はひけないよ。イソジンでうがいしたら痛みもおさまり、シャワーを浴びたらもう全然大丈夫になったので、あぁ、乾燥がいけなかったのかなんて思って、あなざ事情団の稽古に出掛ける。でもどうもなんだか熱っぽいような感じで、早々にひきあげる。夜、来年のアレグレ企画についてのミーティングがあったんだけど、やむなく欠席。企画に参加するかしないか、各自の意見を伝える期限が明日の朝なので、「今夜メールします」と伝えてもらった。


04/24/2007(火)

夕方アゴラに行けばいいんだけど、翻訳の問い合わせのメールを書いたりしているともう行く時間になっちゃった。

最近の私のウォームアップは、スネークさんの振り付け(のごく一部)と3月のデスロックでさんざんやったシャドウボクシング。別にだれかをなぐりたいわけじゃないです。交互に繰り返して10分くらいやってると、汗かくし、いい感じ。

カルヴァドスというお酒を初めて飲んだ。リンゴのブランデー。うわー、いいなーこれ。いえの人がヨーロッパのおみやげに買ってきたグラッパと似てる。食後にちびちびやるのにすごくいい感じ。


04/23/2007(月)

朝、パスカル企画の集まり。18日に引き続き、台本の後半部分を俳優に読んでもらって、確認したり、修正したり。前回指摘を受けて直した部分も、確認してもらえて、一安心。

昼から、冬の『火宅か修羅か』に向けて劇団内オーディション。再演の演目の場合、劇団内でオーディションがあるのです。キャスティングの発表があるまで落ちつかないけど、やるだけのことはやった、という感じ。

ところで私はいま、8月のあなざ事情団公演のチラシのイラストを描いている。『東京ノート』の公演中のためアゴラにいる時間が長いので、イラスト描きもアゴラでやってることが多い。ペンで描くのはきのうで終わって、きょうからスクリーントーンを貼り始めた。そしたら、青年団の人やアゴラの人で、
「わー、スクリーントーン。なつかしい!」
という人が何人もいて驚いた。マンガ描いてた人って案外多いのか?


04/22/2007(日)

きょうもマチネのみ。終演後、最近知り合った友にご挨拶。どうもどうも、今後ともどうぞよろしく!

夜は、ホームパーティにおよばれ。ターキーにクランベリーソースなんて、いつ振りだろう。昔ICUに住んでた(お父さんが先生で、キャンパス内の住宅に暮らしていた)という人と思いがけなく出会って、泰山荘(茶室)だのICU牧場だのMMSだの、他の人にはさっぱりわからない言葉続出の話でずいぶんと盛り上がってしまった。リンディ先生ってミスター・スポックに似てますよね?という話を、いえの人以外とできる日が来ようとは!


04/21/2007(土)

『東京ノート』は、15時開演の昼公演のみ。

夜は、去年9月にワークショップをしたメンバーでフランスの演劇人ヤン・アレグレを囲んで食事会。ヤンは、来年の公演の準備のためいま来日していて、そういう、予定のことなども熱く語っていた。


04/20/2007(金)

きょうは『スネークさん』の稽古を休ませてもらって、『愛のはじまり』のテキストの件を進める。翻訳の直し、フランス語の達人への問い合わせ、作者への問い合わせなど。

『東京ノート』はきょうも19:30開演。きょうもたくさんのお客さまが来てくださった。

夜、お誕生日お祝い飲み会に飛び入り参加。最初と最後に「お誕生日おめでとう」と言っただけであとは普通の飲み会。ピルスナービール飲んで、麦焼酎飲んで、シャンパンみたいな日本酒飲んで、いろんな話をして、楽しかった。


04/19/2007(木)

あなざ事情団稽古開始。といってもきょうは、内容や構成をどうするか、どういう方向性で進めるかなどを3人で話すのが主。

1時から『東京ノート』稽古。そして、19:30開演で、初日。『東京ノート』は去年このキャスティングで東南アジアツアーそして富山公演をしたけれど、こんなに客席の近いのは2005年の『ソウルノート』以来だな。


04/18/2007(水)

『愛のはじまり』の戯曲(私が翻訳した)を、出演する二人の俳優に読んでもらう。という会をやった。総合プロデューサーで劇作家の平田オリザにも参加してもらう。1時間半かけて、前半部分終了。来週月曜に、後半部分について同じことをやる予定。

『東京ノート』は、稽古の後、ゲネプロ。


04/17/2007(火)

午前中と夕方に『東京ノート』の稽古があり、間に時間があいた。ちょっと昼寝。ちょっと読書。そして友とお茶した。最近忙しくて、お茶飲んでおしゃべりする時間があんまりなかったので、こういう時間、嬉しかった。


04/16/2007(月)

朝9時から『東京ノート』仕込み。青年団本公演の『東京ノート』がこまばアゴラ劇場に帰ってくるのは、1994年の初演以来。やっぱりいろいろと感慨深い。

私は「照明班」で、照明器具を設置したり、色を変えるためのカラーフィルターを準備したり、ということを主にやった。その後、午後8時すぎから、稽古。


04/15/2007(日)

5月14日(『東京ノート』最終日)までほぼ毎日アゴラに通うから、1カ月定期を買う。PASMO定期。もっとピンクなのかと思ってたんだけど、ほとんど銀色なのね?

11時から、稽古。「ちょっとうるさい」とダメ出しされて、考えてみたらそこ声量マックスでやってた。そんな手放しに大声出したらダメだよね、演劇なんだから。

午後、倉庫に移動して、積み込み。仕込みミーティング。夕方からは、五反田団のアトリエを借りて青年団の全体ミーティング。人数が多くてアゴラの稽古場だと入りきらなくなっちゃったから。いろんな人のいろんな意識、境遇、野望などなどが垣間見えて、興味深かった。興味深くはあったけど、5時間半近く大勢の人の中にいて、最後は頭が痛くなってきちゃいました。比喩じゃなく。


04/14/2007(土)

10時から、8月のあなざ事情団公演の打ち合わせ。終わって、カレー食べて、14時から『東京ノート』稽古。夜は、東京デスロックのワークショップ。自己紹介を元にして、事実から演劇へシフトしていく感じがおもしろかった。自己紹介に1つウソを混ぜるように言われて、「前にいた劇団は、主宰を殴ってやめました」と言ったんだけど、後で聞いたら、他の参加者はけっこうそれはホントだと思ったらしい。


04/13/2007(金)

13時から『スネークさん』稽古。私は14:45まで参加。1幕の、こないだ1回やったシーンの稽古になったら、いきなり相手役が別の人になっていて驚く。配役が一部変わったとのこと。わー、教えてよー。ま、いいけど。サ行やタ行の発音をもっとはっきり、とダメが出た。唇に過剰に力を入れないで母音を明瞭に発音すればよい、ということに気づくまでちょっと試行錯誤。

その後、『東京ノート』の稽古。帰宅して、『愛のはじまり』翻訳。よし、稽古用台本、完成。


04/12/2007(木)

こないだ駅前のスーパーで、THERMOSの真空断熱ケータイマグっていうのが安くなっていたんで買ったんだけど、きょう初めて使ってみた。これは、保温・保冷のできる、口を付けて飲める、携帯のできる、蓋付きのコップ。熱い紅茶を入れてみたら、熱くて飲めない! あぁそういえば取説に「飲み頃のを入れろ。熱湯を入れるな」ということが書いてあったっけ。あれはこういうことだったのね、と理解する。でもそこだけ気を付ければ、あとは使いやすそうな道具である。


04/11/2007(水)

パスカル・ランベール作『愛のはじまり』の翻訳を進める。あともうちょっとで俳優に台本を渡せる。あともうちょっと。

夜、あなざ事情団打ち合わせ。2時間くらいかと思っていたら、4時間近くかかった。


04/10/2007(火)

朝10時開場、10時20分開演で、『東京ノート』通し稽古。「開演」の前から舞台上を人が通ったりするから、「開場」(お客さまが劇場の中に入ってくる時間)からやるわけです。

私はどうもなんか、状態が、きのうまでの稽古のときとちがっていたように思う。なんだろな。情緒と理性のバランスが悪かった。

昼頃終了し、帰宅。とにかく寝る。夜起きてきて、事務的な仕事をいくつか。


04/09/2007(月)

午前中、『別れの唄』のカタシ(劇場から撤収されてきた舞台装置を、倉庫にしまったり、解体して捨てたりする作業)。最近の青年団の公演では、その公演に出演してた人たちがやる場合が多いけど、今回は『東京ノート』チームが担当。あと、新人の人たちとか。3月に青年団に新人が入って、デスロックの公演のときとか『東京ノート』のタタキ(舞台装置作成)でとか何人かには会ったけど、まだ全貌をつかめていない。早く知り合いたいんだけれど。

午後、『東京ノート』稽古。私の出演してるシーンは、これで一通り稽古したかな。

夜、『スネークさん』顔合わせ。


04/08/2007(日)

朝10時から『東京ノート』稽古。その後、自主稽古もちょっとやって、昼過ぎ帰宅。煮物を作ってご飯を食べて、洗濯しながら寝てしまう。夜、『愛のはじまり』の翻訳をガッツリやる。もう少し。もう少しで稽古用の台本が完成する。

駅前の書店で立ち読みした「暮しの手帖」のこと。直線裁ちの服が何点か載っていて、なかなか応用がききそうで、興味をひかれた。衿あきが縦のスリットというところがポイントと見た。そして、そっか、ローンみたいな薄い布で作ったらたしかにいいだろうね、と思った。身体になじんでさ。よし今度布地見に行ってこよう。


04/07/2007(土)

『東京ノート』自主稽古。自主稽古というのは、演出家がつかないで、俳優だけでやる稽古。台詞や段取りを確認するのが主な目的。

予定より早めに終わったので、美容院に行く。年末に行って以来だ。いい匂いのシャンプーやリンスでゆっくり洗髪してもらって、頭や肩やマッサージもしてもらって。いいね、こういう時間。


04/06/2007(金)

『東京ノート』稽古。昨年8月に富山で公演して以来だから、8カ月ぶりか。

『スネークさん』も稽古。マスコミ用の写真を撮って、ダンスの稽古して、テキストの稽古して。


04/05/2007(木)
注意:平田オリザ作『別れの唄』のネタバレがあります。

アゴラで『東京ノート』自主稽古した後、シアタートラムに『別れの唄』を見に行く。インターネットで舞台写真を見たときには、『スパイ大作戦』に出てくる、座敷にも廊下にも畳を敷き詰めた日本間みたい、まさに「西洋人が想像した日本の住まい」だな、と思ったんだけど、実物の印象は驚くほどちがっていた。そこにあるのは、なぜか周りが鏡張りの、畳敷きの同じ大きさの部屋が横に3つ並んでいる、変な家なんだけど、ふすまを取り去って広々とした古い家の感じが実際に目の前にあるものと二重写しになるみたいに立ちのぼってくる、不思議に説得力のあるセットだった。

この作品には、フランス人が5人日本人が3人登場して、おもにフランス語で話をする。お互い、異国の文化に戸惑いながら、気をつかったり、いらだったり、悲しみ(お葬式の前日の話です)がぽっかり真空状態になってふと好奇心からサルの話だのなんだのを延々としてしまったり、これだけは譲れないことがあったり、わかってもらおうと説明したり。ちょっとみんないい人過ぎるくらいいい人で、いい話で、でも家族が亡くなったばかりというシチュエーションでは「あり得る」と納得できる内容で。私は泣き虫なので、当然見ながら泣いたけど、アフタートークでも泣かされるとは思わなかった。後半に葬儀屋さんが、前に、亡くなった人の部屋の押入から大きな水槽が見つかってそれがなんと蟻の巣だったんです、蟻を飼ってたなんてだれも知らなかったんです、という話を長々するんだけど、それはどういう意味ですか、と聞いた人があって、それに答えて作者が言うには、死んだ人が本当はどういう人だったのか、何を考えていたのか、何を大切に思っていたのか、残された者にはわからない。それは、残された者には絶対共有できないものなんです――これを聞いたらまた涙がこぼれちゃいました。

演出がきちんとしていて、フランスの俳優も日本の俳優もとてもよかった。そして、流暢にフランス語を話す日本人の兄妹が、しぐさはまったく日本語の文脈のままなのが、私には興味深かった。


04/04/2007(水)

きのうもきょうも、間に合わない、行きつけない、できない、という夢を見た。翻訳で気持ちに余裕がないんだろうか。主観的にはそんなにせっぱつまっていないと思っているんだけれど。

なんか最近寝過ぎじゃないかと思う。きょうは、1時間仕事して1時間寝て、2時間仕事して1時間寝て、みたいなことを、昼から夕方遅くまでやっていた。ま、それで夜中すぎから明け方まで起きてるから、変なサイクルが直らないんだろうな。でも家にこもってるのは一応きょうでお終い。明日は出掛ける用事があるし、明後日からは『東京ノート』の稽古だ。しかも朝10時から。またガラッと生活のリズムが変わる。


04/03/2007(火)

午前中、宅配便を受け取る、近所の人に物を渡す。この2つのことを頼まれていて、でもどうしても眠くなってしばらく寝ていたら、宅配便も受け取って近所の人に物も渡した夢を見た。頼まれたことはもうやったってことにして眠り続けたかったんだね、きっと。それでもまぁ1時間ほどで起きて、ちゃんと用事はすませました。

友のウェブ日記を読んでたら、ダンスカンパニー名「バティック」のつづりがまちがってて、それとはちがうふうにだけど自分もきっとまちがえてると思って自分の日記を確認したら、あっていた。友に知らせてあげるのが親切だろうか、でも、そんなたいしたことじゃないんでこんなことでお節介に思われたくないし。つか私みたいにタイポを気にする人ってあんまりいない。ということは自分でもわかっているつもり。

翻訳作業を進めつつ、きょうは料理も作ってみた。1品は、ネギブタの原形をもうとどめていないネギブタ。ネギが高かったので、見切り品のキャベツを使用。こういうとこは、ものすごく大ざっぱ。豚肉はもも肉、あとシメジとエノキダケを入れた。香りが足りないだろうなと思って、ニンニクも4片くらい、皮をむいて丸いまま投入。なんかやっぱり、ネギブタとはだいぶちがったものができあがった。もう1品、カレーを、カレールー投入直前まで作った。タマネギ、ニンジン、金時豆、シメジを煮込み始めて気が付いたんだけど、入れるはずの肉を入れ忘れちゃってた。そのまま続行。あした仕上げるつもり。


04/02/2007(月)

きょうは『スネークさん』の稽古があったんだけど、翻訳佳境につき、休ませてもらった。夕方までやって、ちょっと休んでから家のことをしよう(1カ月仕事で中国に行っていたいえの人が帰ってくるので。私1人だと、汚くてもぜんぜん気にしなくて、結構大変なことになっていた)と1時間ほど寝て起きたら、めまいがするので参った。ふらふらしながらその辺掃除。

最近ずっと1人だったので、自分の都合だけで寝たり起きたり食べたりしていたのが、きょうから2人暮らしに戻る。1人に慣れちゃってちょっとめんどくさく感じるかなとも思っていたんだけど、やっぱ2人のほうがいいね。


04/01/2007(日)

きのうに引き続き、『東京ノート』の装置をつくる日。きょうは私は、午前中は『東京ノート』の塗り作業、午後からは『別れの唄』の照明器具の加工作業。

帰り道から、腰、太股裏側が筋肉痛。なるべく腰に負担が来ないように作業面の高さに気をつけてはいたんだけれど。こないだのデスロックやいまの『スネークさん』も筋肉痛になるけど、あれらはどちらかというと、ガンガン動いてなる、熱い感じの筋肉痛で、きょうのは、筋肉が固まってしまった冷たい感じの筋肉痛だ。


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